■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.18 ■■■

   雪景色鑑賞

雪月花は伝統のテーマ。ただ、雪景色の嬉しさというのは、たいていは遠からず訪れる春の前兆現象としてのもの。辛いが我慢のしがいがあるというところか。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「礫川雪ノ旦」
晴れ上がった冬景色を肴に、雪見酒としゃれ込んでいる客の傍らで、仕事中だというのに茶屋娘がはしゃいでいる。江戸市中が雪に閉ざされることなど滅多にない訳で、降雪も又愉しからずやの世界。犬っころや、子供のように全身で嬉しさを表現することは、大人だから世間体があってはばかれるが、実際は心底ウキウキしている訳である。そんな余裕あってこその都会生活。それを見事に描ききっている。
この絵のよさがわかるということは、市中の生活にどっぷり浸かっているということでもある。
万葉の世界でいえば、宮のある明日香浄御原には降り積もったが、古色蒼然のあなたの実家の里ではまだだろうという歌のような感覚か。
  我が里に 大雪降れり 大原の
  古りにし里に 降らまくは後 [天武天皇 万葉集#103]

○広重 東海道五十三次 「蒲原(夜之雪)」
雪は生活にとっては厄介な代物。しかし、その「寂」とした景色に美を見出してきたのが日本の上層階級の伝統。
  大和国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる
  朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
  吉野の里に ふれる白雪 [坂上是則 百人一首/古今集]
李白の「静夜思」を思い起こせる人達の世界での話しだったのだが、江戸期になると、それが大衆のレベルに持ちこまれた訳である。その一例が蒲原雪景色の絵と見ることもできよう。いかにも、雪に埋もれた山村風。しかし、そう感じるのは豪雪の凄さを知らないから。
タイトルでわかるように、この場所、駿河湾沿いの蒲原。常識的には、積雪で難儀するような土地柄ではない。ほんの少しの積雪に、たまに遭遇程度でしかない。ところが、そんな情景をわざわざ選んで描いたのである。
つまり、深々と雪降り積むといった、豪雪地帯型雪景色ではないのである。雪などどうせすぐに融けるものとされており、冬将軍の到来と深刻に感じる人はいないのである。雪明りがあるから、雪の夜道を歩いていこういうことで、降雪中の夜間でも行き来している図。

○広重 東海道五十三次 「亀山(雪晴)」
これに対して、亀山城を望む急斜面の方は本格的な積雪状況と言ってよさそう。晴れわたった昼間だが、街は雪に覆われてひっそり状態と想像させる絵である。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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