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2012.2.7 アラビア湾緊張シナリオを考えてみた オバマ大統領が唐突にイスラエルがイラン攻撃準備を整えているとは考えないと発言。 素人からすれば、なるほど感あり。 どう見えたか書いておこう。・・・ 普通に考えれば、ペルシャ帝国の歴史を受け継ぐ大国意識濃厚なイランが核武装化に進まない訳がない。インド、パキスタンでさえ保有しているのだから。 しかし、本格的開発体制までには至っていない可能性が高い。オバマ発言とはそういうことでは。 そう思うのは、もしも進捗の兆候を発見していたなら、イスラエルは有無を言わさず核兵器開発拠点を爆撃した筈だから。攻撃には、周囲の国々との秘密協定も必要であり、それも済ましていそうな雰囲気濃厚だった頃がある。だが、結局のところ、攻撃には踏み切らなかった。−−−米国の圧力が奏功というのが一般解説だが、そんなものだろうか。 核兵器は開発されてしまえば、以後、手出しは難しくなる。従って、米国政府の働きかけがあろうが、イスラエル軍が逡巡するとは思えない。 つまり、イスラエル軍の判断は、イランは開発に邁進している訳ではないというもの。−−−そうみるのが一番自然。 当然ながら、イランの姿勢が変わらないようにする必要がある。先ずは、査察を認めさせる圧力政策。開発嫌疑を煽り、イランにそれを受け入れさせる方針で臨むことになる。 ただ、プライド高きペルシャの末裔にとっては、それは屈辱そのもの。無理難題である。イランはもともとは反イスラエルではなかった筈だが、この動きで対立は深まる一方。 お陰で、外交交渉はニッチモサッチモ状態。だが、それはイスラエルにとっては望むところ。安定均衡とは、大国が力をつけることを意味し、自国の存在が脅かされかねないからだ。 しかし、今のような大騒動にまで進んだのは、こうした流れが行き詰まったからと見るべきではなさそう。 ココが肝。 くり返すが、おそらく、イスラエルも米国も、確証はないものの、イランの核兵器開発はたいして進んでいないと見ている。しかし、誰も実態はわからないから、最悪を考え、もうすぐ開発完了と大騒ぎしているのでは。 この流れを、イスラエルがずっと後押ししてきたということだろう。−−−それを裏付けるのが、オバマ発言という訳。 大統領が自信を持って発言したのだから、米軍の諜報活動報告によれば、イスラエル軍は攻撃準備態勢に入っていないと発言したに等しかろう。 要するに、イスラエルの希望通りのシナリオで米国は動いているが、チキンレースでイランを追い詰め、暴発させて戦争にもっていきたい訳ではないと釈明したということ。−−−小生には、その意思表明に映る。 イスラエルにしてみれば、ホルムズ海峡の軍事緊張化が続く状態が最良。米軍の中東引き上げを阻止できるからだ。 ただ、中東原油に頼っていない米国にも、その負担の十分な見返りはある。湾岸諸国が米国から大量に先端兵器を購入せざるを得なくなるからだ。しかも、それは付随訓練も不可欠な代物。これは、世俗勢力である各国軍隊が米軍の枠組にとりこまれることを意味する。イラク流支配の構図をアラビア湾岸一帯に広げることになる。 −−−以上、素人の見方でした。 (参考) SCOTT SHANE: "No Israeli Decision on Iran Attack, Obama Says" NYT February 5, 2012 SCOTT SHANE: "Obama tones down Iran rhetoric" The Hindu February 6, 2012 BILL KELLER: "Bomb-Bomb-Bomb, Bomb-Bomb-Iran?" NYT January 22, 2012 |
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2012.2.3 Haikuのご紹介 エコノミクス・ブロガーの作品 当サイト選 jobs and Jobs are gone need more Jobs to get more jobs innovate to grow --- ARTHUR DIAMOND (評)スティーブが生み出した雇用は中国での45万人とか。 Uncertainty rules While the economy suffers Politics rejoices --- PEDRO ALBUQUERQUE (評)政治屋さん達の張り切りぶりは絵になりそう。 On this Continent All European Unions Always end in blood. --- ANDREW SAMWICK (評)確かに、血の気が多すぎる人達だ。 You may disappear or appear in great numbers debt must come undone. --- STEVE WALDMAN (評)ハハハ。 折角だから、第2回日EU英語俳句コンテスト最優秀賞2句のうちの一つを引用させて頂こう。もちろん、友愛モノである。この落差がイイネー。 Blue sky and twelve stars Embracing a round red sun A fraternal hug --- Ms Federica Bertacchini (出典) Kauffman Economic Outlook A QUARTERLY SURVEY OF LEADING ECONOMICS BLOGGERS 4th-Q 2011, 1st-Q 2012 第2回日EU英語俳句コンテスト 結果発表 平成23年5月28日 外務省欧州局政策課 |
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2012.2.3 インドの宗教を誤解していないか インドは仏教発祥の地なので大いに親近感を覚えると語る方が少なくないようだ。 うーむ。 友好ムードは悪くないとはいえ、誤解が入り混じっていそうで気になる。 この調子では、政治・経済に関しても現実を見据えないで、ムードが先走ってしまいかねず心配。過度な期待は外れるもの。それだけならよいが、それが怒りに変わりかねないから厄介だ。 この国は経済好調なら中国からの製品輸入が急増して貿易赤字が嵩む。経済成長にはインフラ投資が不可欠だが、当然のこととして外資だのみにならざるを得ない。発展途上国の経済運営は難しいのは当たり前だが、それにしても不安定すぎる。 ただ、英語圏なので、優秀な人達を活用できるから、一部の産業は確かに急成長している。その流れに乗っている人の数は少なくないが、生憎とこの国の人口は巨大で、大部分は土地制度に縛られている下層農民。大多数の人々には全く無縁な産業が勃興しているにすぎない。そもそも、カースト制度と表裏一体の職業家督制度が厳然としてそびえているから、労働力は名目上豊富でも、労働者化させるのは簡単なことではないのだ。小売市場開放も一筋縄でいくようなものではなかろう。 多大な困難が見てとれる国ということだけは承知しておく必要があろう。 ついでながら、宗教についても、冷静に眺めた方がよいと思う。特に、インド仏教の見方。 以下2点、常識的な見方を記載したつもりだが、流布イメージとは違うかも。ご注意のほど。 (1) インドの仏教は、潜在的には反権力の宗教だと思う。 統計数字は知らないが、仏教徒はおそらく極く少数とされていると思う。しかし、潜在的シェアは数割といえそう。 そんないい加減なことを、インドをろくに知らない輩が断言すれば呆れるかも。しかし、それこそがインド観察の肝。 と言うことで、先ずは、ド素人の解説から。ご説明が少々ゴタつくが、ご容赦願って、・・・。 インドはご存知のように身分・職業制度の国。誕生の瞬間、社会における地位や役割が決まっており、そこから抜け出るには海外の自由世界に移住するしかない。ただ、極く例外的に、都市圏の一部の職種では見かけ上の自由採用が行われてはいるが。 開放経済へと歩を進めてはいるが、この状況はおそらく今後も変わらない。 人口の大半は都市ではなく、農村だからだ。そこでは、中国や日本とは違い、古くからの土地制度が厳然として存在している。革命なしでこの状況が変わることは考えられない。 インドは普通選挙制度の国であり、名目的には世俗主義政治。ただ、西欧的な民主主義が社会に浸透している訳ではない。真逆と言ってさしつかえあるまい。誤解を恐れず言えば、身分・職業制度を改めるつもりは全く無いのである。それが国是というより、不可能だからだ、大多数の人々が信仰しているヒンズー教が身分・職業制度と表裏一体だからだ。 言うまでもないが、イスラム教やキリスト教は教義上、そんな社会制度を認める訳にはいかない。しかし、対立を回避し、信者を獲得するには、黙認する以外に手はなかろう。と言うか、その問題を堀りおこすと、分離独立運動に宗教対立を利用されるから致し方ないといったところ。 しかしながら、表立って、身分・職業制度を完全に否定する宗教勢力も存在する。3つ考えるとわかり易い。 理屈から言えば、それは、イスラム教やキリスト教の原理主義者。しかし、そのような勢力はほとんど力が無いのでは。両宗教ともに、その信者はヒンズー教からの改宗者であり、原理主義的なムードが高まってヒンズー教徒と対立することを一番嫌う人達だと思われるからだ。イスラム原理主義者のテロを外国の陰謀と断じる政府の指摘は一理あると言えよう。 従って、目立つ勢力は、少数信者の宗教。数が少ないので、ヒンズー教徒の海のなかで、離島のように生活することが容認されてきた勢力である。政治・経済・文化上では力を持っている上、そうした制度の完璧な否定論者だが、ヒンズー教社会の変革に手をつけることは無さそうだから、容認されてきたのだと思われる。それに、対外的に、民主主義国家の風情を醸しだすには、こうした人達の存在は欠かせないし。 それに加えて、もう一つの宗教。それが仏教。ただ、こちらはわかりにくい。 釈迦の教えは、身分・職業制度を越えよというもの。その教えが広まり、インドで一時代を築いたが、結局のところは社会から駆逐され、ヒンズー教に戻ってしまったのである。従って、仏教は、この制度を肯定する訳にはいくまい。ヒンズー教と正面から対立しかねない唯一の宗教ということ。 アナロジーで言えば、ローマ帝国のキリスト教信者は奴隷から広がったように、現在の仏教信者の大半は最下層となろう。いわゆる、不可触賤民と呼ばれる人達である。この身分で生まれれば、将来になんの期待も持てない。これに答える宗教は、来世に期待するタイプ。仏教への改宗が進んでおかしくない。 インドの仏教とはそういう立場。日本の仏教とは根本的に違う。 (2) 日本の仏教はヒンズー教に近い。 日本の仏教は、鎮護国家の役割を果たすことから始まったが、土着信仰に染まってしまった。そのため、身分・職業制度と表裏一体化しているヒンズー教の信仰スタイルとそっくり。 バリ島で遊んだ方なら直感的にわかると思うが、ヒンズー教では、身近な場所、それこそ至るところに、神や精霊が存在し、ヒトと同居しているのである。日本仏教も同じようなもの。仏性が至るところに存在すると考えるからだ。 しかも、身分・職業制度と表裏一体化しているヒンズー教同様、「血族」や連綿と続く「家業」と日本仏教は切ってもも切れない紐帯を有している。そう、それがわかるのが葬式仏教のシーン。すべての死霊は家の祖先と一緒になって、仏となり、子孫を護ってくれるのだ。従って、専門家による法要は欠かせないのである。これなくしては心穏やかに暮らせないからこそ、日本人は仏教徒と自称していると言っても過言ではなかろう。日本のお寺のお墓とは個人の埋葬地ではななく、身分・職業制度の象徴なのである。 従って、日本の仏教徒は来世のために現世を生きるとの感覚は薄いのでは。仏のご加護で現世を精一杯生きるとなりそう。来世は過去の人達とご一緒させて頂き、子孫繁栄を見守るという思想。ヒンズー教徒同様に、現世主義と見なされて当然である。 インド仏教にそんな思想があるのだろうか。現世では希望が持てないが、来世は生まれ変わって新しい社会で生きようという希望を持つといった信仰では。日本の仏教とは正反対な感じがするが如何なものか。 大陸と島国という、全く異なる風土にもかかわらず、日本仏教とヒンズー教がよく似ているのは不思議である。土着意識が強くて、狭い地域や組織で安定的に生活を続けることを愛する人が多いと、こうなるということかも知れぬが。 ところで、ついでにちょっと調べてみて面白かったのは、ヒンズー教にも天ッ神と国ッ神が同居している点。前者は司祭者集団が依拠する経典に登場する神々で、後者は土着神話を集大成した叙事詩に登場する神々。暗記モノの歴史授業では、ヴェーダとラーマーヤナという言葉は覚え込まされるが、それがどういうことかは今のいままで知らなかった。 これでおわかりのように、小生も、インドに関する常識を欠いている輩の一人である。 |
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2012.2.2 日本企業のTV造りはついに転機を迎えたようだ 事業環境激変で、日本のTVメーカーは極度の事業不振に陥ったとされている。しかし、なるべくしてと言えなくもなさそう。というのは、 そのうち自分で首を絞めることになるのは明らかな政策を政府に要求してきたからだ。その手のツケは必ず回ってくるもの。必然は偶然を媒介として発生するといったところ。 思うに、消費者相手の商売なのに、業界一丸となって政府に頼ろうとする姿勢がすでに時代遅れなのでは。 お隣の国の躍進企業は、お国まるがかえだったから、そうもしたくなるだろうが、日本は発展途上国ではないのだから。ちなみに、あちらでは、輸出対象国の社会に完全に溶け込んだ生活をさせられる社員がいて、どのような製品を開発すれば売れるか考え抜く役目を果たすのだとか。日本ブランドだけで売ろうとの姿勢ではとても勝てまい。 と言うか、そもそも、日本市場で日本企業全社が食べていける状態を政府に作ってもらい、それを経営基盤にして、グローバルな競争力を強化しようとの目論見は無理筋なのでは。 ともかく歪んだ国内産業が出来上がってしまったから、これからが大変だ。短期的には嬉しい施策だったのは間違いないが、この先、その副作用をもろに被ることになるからだ。 ・ニーズと無関係な高価格化追求と参入障壁作り 廉価ニーズを無視 公共放送視聴に不要な筈のカード搭載義務付け 量販店を高価格品キャンペーンに誘導 売り場獲得競争のための品揃えと新製品ラッシュ ・政治的措置による需要の先取り 国民総出的な強引さで、デジタル化を実現 アナログCATVも機器買い替え誘導 エコポイントなる直接補助金制度 当然ながら、2011年の夏を越せば、TVの国内市場は一気に縮小する。そうなれば、経営基盤どころではなくなるのは自明。 先日量販店に行ったら、TV売り場は閑散としていた。そこでの目玉商品のインチ価格がほぼ1,000円。40インチクラスがこの小売価格なのだから、これで工場利益が出せたら奇跡。一方、その横で、インチ価格5,000円の製品が売られている。精細度や画像のキレが見た目ですぐ判別できる訳でもないのに、余りの大差。一体、どうなっているのだろう。 この調子だと、早晩、量販店も廉価ニーズを掘り起こしにかかるのでは。それを防ぐためにはマーケティング費用をさらにばら撒く必要があり、日本企業はますます儲からなくなるのではないか。 せっかく、優秀なエンジニアや研究者を育てながら、どうして、こんな路線を選択するのか理解に苦しむところだ。 違う道を選べばチャンスはあっただろうに。 個別に眺め、勝手なコメントをつけてみようか。 (1) パナソニック プラズマ大型画面TVは液晶TVに勝てるだけの潜在的力があった筈。自力発光だから画面は美しいし、コスト的には優位に立てる可能性は高かった。しかし、残念ながら、その特長を活かせなかったのである。 しかも、戦略展開を考えることが難しかった訳ではない。何が成功のポイントかを探ることは、容易だったのである。それはパイオニアの事業があったから。化学会社の力を活用し、専用の大規模ラインを作り、美しい大画面TVの大量生産をいち早く狙ったのだが上手くいかず。 そう、問題は価格。 それなら、ここを徹底的に磨けばよいのである。そして、ソニーがCDに賭けたように、大胆な先行的大型工場投資を敢行すれば、・・・。だが、どう見ても、投資が遅すぎた。液晶TVに大場面市場を開いてもらってから、腰をすえてじわじわコスト削減では間に合わない。 健全な大赤字事業で、インチ当たり価格でとてつもなく安価に見える商品を上市し、何はともあれ、大型画面TV市場を自力でしゃにむに拡大し、大量生産によるコストダウンと市場拡大の好循環の弾み車を、自分から回す必要があった。 液晶TVの動勢に合わせていたのでは、プラズマは主流にはなれず。せっかくの特長も理解されずに終わりかねまい。 もっとも、外野がこんなことを口で言うのは簡単だが、現実は厳しいものがあろう。この企業の一番の強みは、原価計算を組み込んだモノ作り。各事業は確実に収益を捻り出さねばならない訳で、不確かな予測で健全な赤字と称する事業展開ができる訳がないからだ。山師のような商売や、エンタテインメントソフトの巨大会社の運営には凝りている筈だし。その点では、ブレずに進んでいそう。もしそうだとすれば、緊張感をバネにして飛躍実現という経験則が成り立つかも。 (2) ソニー ソニーはトリニトロン方式ブラウン管TVで一世風靡。明るさを強めると、圧倒的に美しく見える製品だった。しかし、そこから先のフラットパネルTVへの展開が遅れたとされている。 しかし、フラットパネルTVでは独自色が出せなかったのだから、それも致し方なかろう。独自技術で力が発揮できそうにない上に投資が嵩む液晶パネル製造を放棄したのは、この企業にとっては当然の選択だったと思われる。問題は、それを続けられなくなった点。ここらが躓きのもとでは。 もう一つは、子供がウキウキするようなエンタテインメントデジタル製品を作るというビジョンを発信していながら、インターネット社会などどこふく風だった点。 外から見れば、ブランドだけで食べる事業へと邁進したとしか思えない。それは、GEブランドのシエア同様の地位に陥ってしまうことを意味する。超美麗画面の高級品発売でブランド価値を高める施策でそれを防ぐのは無理。逆に、信号処理技術で一歩先を行く感を打ち消した効果が大きかったのでは。 もともと、日本企業にしては、戦略的に動くことで、優れているとされていたが、これらを見ると真逆に映りかねまい。実に不思議。 本来は、ネット時代の画期的TVコンセプトをいち早く提起し、新しいエンタテインメント文化を作り出せる、まさに絶好なポジションにいたからなおさらだ。ところが、実際は、TV放送とディスクメディアの旧来文化の伝統を続けることしか眼中になかったようである。 早くこの体質を変え、斬新なエンタテインメント文化を生み出して欲しいもの。 (3) シャープ 大阪万博に参加しなかった企業だが、その風土は保たれているのだろうか。そう感じさせられたのは「堺コンプレックス」を巡る動き。亀山型を広めようとの国策的雰囲気が生まれたから。思わず応援したくなるが、シャープの収益性にどれだけ貢献し、リスクは誰がかぶるのか気になるところ。 それに、技術の流れも腑に落ちぬ点があった。 いかに優れたパネルだろうが、半導体の威力で、画像の美麗さではそうそう大きな差があるとも言えない時代である。従って、液晶TV事業は半導体開発能力と、そのコストマネジメントが重要となる。そうなると、パネルを内製しても競争力向上に大きく貢献するとも言えない筈。 ところが、報道を見ると、さらなる美しい画像を提供できるパネル作りに精を出すための巨大コンプレックスという流れがありそうに映る。宣伝もありそうだから、そのまま受け取る訳にはいかないが、ココがなんとなくしっくりこないのである。と言うか、気がかりなのだ。コンプレックス化によるコスト削減は当然視されがちだが、アセンブル事業の場合、スキルを溜め込んでいないと、簡単に実現できるものではないからだ。 もちろん、「亀山工場製」で、驚くような収益性を実現していればよいが、そのようには見えなかった。コスト競争力があるなら、世界で圧倒的なシェアを獲得する動きがあってしかるべきだと思うが、そんな馬力は感じさせなかった。 にもかかわらずの巨大コンプレックスへの邁進。 それなら、新世代のより大きなガラス基板の投入だけでなく、画期的な製造工程短縮の仕組みか、新しいタイプの液晶への転換目論見でもあるのかと思っていたのだが、どうもそうではなかったようだ。 業界トップ企業との相対シェアを考えれば、こうしたシナリオなき動きは極めてハイリスクな挑戦。損失を被るのは致し方あるまい。そんなことは覚悟の上というのが、この企業の文化と言えそう。 外野の雑音は耳障りだろうからこの辺りで止めにしよう。 |
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2012.2.1 年寄り考+ バイオ学者の方の「年寄り考」(2012年 01月 30日)を読んだ。 「年寄りというか65才以上の人々が考えをあらためれば日本の未来は暗いどころか、明るい」というもの。 こういうのはイイネ。 All Japanで考え、皆で力をあわせれば、道は開けるとかいう、願望調と正反対なので気持ちが晴れ晴れとする。 「日本の若い人たちが考えを根本的に変える前に年寄りが先に根本的に考えを変えないといけない、」・・・「すくなくとも70才までは年金は一円ももらえなくてもしかたない、という心構えにかえる。」そして、「自分のことは自分でやる、お金も国の金を当てにしない年寄りが著しく増えることが望ましい。」 その通り。 小生は、その第一歩は、延命治療の廃止からではないかと思う。これができるかどうかが別れ道。 昔、ちょくちょく見ていた物理学者の日記は。末期癌のなか最後まで科学技術政策についての話題が続いた。これを眺めて、壮絶と言う人もいるらしいが、小生はそんな感慨は覚えない。宗教観にもよるだろうが。 気付かない人が少なくないようだが、淡々と人生の最後まで生きていく人は少なくないのである。 何回か触れたが、小生の脳裏に深く刻まれているのは、ある脳外科医の方の最期。お会いせねばと思っていたら、突然、ご逝去されてしまったのである。末期癌であることを患者さんに漏らすことなく、文字通りギリギリまで、体力気力を振り絞って脳手術を執刀されていたのである。 要するに、最期の数日を除けば、末期癌だろうが、意志の力がありさえすれば、入院しなくても過ごせるのである。1年余り、外からは一見通常に映る生活を過ごし、3ヶ月ほどは痛みをコントロールしながら生き抜くことになる。要するに、癌と共に生きる訳である。 こういう方々が、この先も、ほんの一部に留まってしまうと、明るい社会への道は閉ざされてしまうのでは。 それこそ、入院ベッド争いが始まり、コネ社会独特の嫌らしい動きがさらに深まる。 現状を眺めると、そうなる可能性は高そう。 なにせ、救急車をタクシー代わりに使用したり、治癒見込み無しの病気でも無為に通院するは、軽度な疾病にもかかわらず社交のために通院を重ねる、といった例にはことかかないからだ。そして、こうした事例を指摘したりすると、弱いもの苛めする不届きな輩として徹底的に叩かれる。お蔭で、実態はさっぱりわからない。 そうそう、ついでながら、小生は、日本の超長期的予測で、65才以上が40%の総人口5,000万人以下状況といった類のものは、信用していない。人口はもっと多く、さらなる老人だらけ社会になると見ているからである。 もちろん、それは技術的進歩。 癌細胞を物理的に叩けば、延命年数が格段に伸びる筈。個人別健康モニター機器の利用が進めば生活習慣病の高リスクファクター者の重篤疾病発症は劇的に減るのも間違いあるまい。ただ、その実現までには相当な時間がかかるが。 このことは、医療のスタイルが変わることを意味する。専門家に病気を治してもらうのではなく、個々人が自己責任で、専門家の助力を得て、病気と共に長く生きる方向に進むということ。特殊な環境が必要な病人を除けば、長期入院など有り得なくなろう。 これが進めば、発症確率ベースの従来予測を大きく越える平均寿命上昇をもたらすのでは。免疫能力が高い人なら、確実に100歳を越えてくると思う。 そんな時代の年齢人口構成が、逆ピラミッドではなく、直方体に近いなら、年齢的多様性が生まれるから、結構、明るい社会になるのではなかろうか。 ただ、日本人が、それに対応した住みやすい多様な社会をつくれるかは、なんとも言い難い。皆で同じことをやりたがり、一律的な扱いを要求するようなら、多様な社会は成り立たたなくなるからだ。 (当サイト過去記載) 深刻化する死(亡率低下問題 (2005.3.8) 予め考えておくべきこと (2007.4.11) 「The Fourth Three-Months」の話 (2008.8.28) 高齢者の話 (2009.9.20) |
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2012.1.30 ついにエクソンモービル決断 いつ来るかと見ていたが、ついに。・・・ 超巨大企業エクソンモービルは、日本の石油元売り企業「東燃ゼネラル」の株式を50.5%を保有していたが、その過半を東燃ゼネラルに売却すると発表。 「日本の変化に対応したいと考えた。日本から撤退するつもりはなく、事業を継続的に進めるために決めた」そうである。 日本でのガソリン事業は縮小一方なのは明らかだが、ガソリンスタンドビジネスは資本収益率のハードルレートに達しないということかな。 素人が考えても、ブランド使用料と精製技術サポートサービスだけに限定し、後は手を引いておかしくなかった。日本からのガソリン輸出業はありえるから、撤退はしないということかも知れぬが。 まあ、衰退が約束されたような、バラマキ政治の老人大国で事業戦略でもなかろう。 実にさみしい話だが、ウエットになっては間違った判断をしかねない。流石、冷徹そのもの。 (記事) 「米エクソン 日本の事業大幅縮小へ」 NHK 2012年1月30日 |
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2012.1.30 追記:日本茶の淹れ方を変えてみた(2012.1.24) お煎茶の概念はヒトそれぞれ。と言うことで追記の必要性がありそうなので・・・。 お茶を淹れるのは面倒だから、ペットボトルで十分という方がいらっしゃる。 言うまでもないが、小生が検討している、お茶の淹れ方の話はそれとは範疇が異なる。 いわゆるRTD型茶飲料利用の典型例は。列車のなかで喉を潤すようなもの。一気に飲む人もいるが、普通は一口づつ飲む。とはいえ、基本はガブ飲みスタイルの飲み物。コップが無ければ、色々な飲み方になる。 もっとも、茶碗があっても、結構な水分量が欲しい時は似た飲み方になる。労働の後や、満腹後のシーンだ。チビチビ味わう飲み方では、すっきり感は得られまい。 しかし、のんびりしたい時には、これとは違った飲み方をしたくなるもの。 それにどのように対応するか考えて見たのが「日本茶の淹れ方を変えてみた」という試み。 当然ながら、茶葉は多少高価なものを使いたくなるし、折角だから、美味しく淹れたいという気分になる訳。 まあ、それだけの話。 従って、記載されている量目にはご注意頂きたい。ここでの茶碗一杯分湯量とは、多くても、食堂で出される平均的な小振り茶碗の半杯分。鮨屋の湯呑なら底の方に僅かに液体が残っているようなレベル。 急須で茶碗2杯分というのは、通常で言えば1杯に近い。 要するに、ゴクゴク飲むのではなく、少量をじっくりと味わうと言う事。 ついでながら急須だが、小さなものも重宝する。拙宅には、外径6センチ程度の超小型品がある。中国茶用よりずっと扁平。ほんの少量の湯しか入れることができない。ご想像がつくと思うが、高価なお茶を味わうためのもの。もっとも、高価な茶を少量売ってくれるお店がなければ無用の長物。 >>> 日本茶の淹れ方を変えてみた…(20120124) |
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2012.1.28 感染症による死について 一流の科学者の2012年01月27日のブログ「感染症による死」からの引用。・・・「年間約10万人のかたが肺炎で亡くなると言うことです。肺炎は感染症ですから、やはり感染症はいまでも怖い病気なのです。」 現時点でも感染症が危険な病ということをご存知なかったようだ。 もっとも、それも道理。大きな歴史の流れで考える習慣ができていると、感染症退治が医学進歩の波の第一弾と見なされておかしくないからだ。従って、感染症は例外的な疾病を除けば、おおむね克服されたとみなされかねない。 それに、日々健康に気遣っていれば、お医者さんと「仲良く」なる暇もなかろう。これを逃すと、疾病の実態を耳にするチャンスはなかなか巡ってこないもの。 小生の場合、ご近所のお医者さんに度々雑談につきあわさせられ、肺炎死亡者の多さは聞かされていたのである。それに、忘れていたが、ずいぶん昔、疾病予測のインタビューをしたこともある。従って、疾病についてはそれなりに知っている方に属すのかも。 それはそうと、「肺炎」だが、それは普通のインフルエンザが原因も知れないのでご注意された方がよい。残念ながら、統計ではよくわからないが。 そんなことが気になるのは、多くの人が、一般のインフルエンザを感冒なみの病気と考えていそうな点。確かに、簡易診断も可能だし、タミフルもある。しかし、極めて限定的条件でしか奏功しない点を忘れるべきでない。 それだけではよくわからないか。 普通はこんなところか。・・・ 保健所が出す大流行の注意報・警報を耳にすることがある。たいていは、学級閉鎖が始まっていたりする。そのうち成人の感染者が自分の周囲にも出てくる。手洗いやうがいをしたり、多少の対応はするがその程度。 要するに、インフルエンザ患者の大半は幼児や児童。だが、周囲での死亡例を耳にしたことは無いのでは。重病感がないのは当たり前。 しかし、医師も同じように見ているだろうか。 雑談でわかったのだが、老人の場合、感染すると死亡することが極めて多いらしい。死病とは言わないまでも、恐ろしい病気と考えていそう。おそらく、職業上、表立っては言わないが。 何故そのような姿勢かは自明。医療機関こそが一番の感染危険地帯だからだ。そこにはインフルエンザウイルスを始終撒き散らす人も来訪する。プロフェッショナルとして、最善の防御はしているものの、感染を防ぐのは原理的に無理。診療に来ると感染するかもと言える筈がなかろう。 ごく普通に考えれば、老人のインフルエンザ死亡を防ぎたいなら、現時点では、幼児や児童全員へのワクチン注射だろう。しかし、ご存知のように反対論者だらけでとても無理。 誤解を恐れず言えば、幼児と児童がウイルスを撒いているのである。数年後から老人人口が急激に増えるから、感染症死亡者が急増するのは間違いなかろう。 |
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2012.1.28 ギングリッジ候補の善戦ぶりを眺めて 共和党の大統領候補者討論会は泥仕合の様相。こう言ってはなんだが、サッカー選手のぶつかり合いの如きもので、ルールを守っているのか否かよくわからず。そこがなかなか面白いと言うと顰蹙ものか。確かに、議論の質は低いのだが、逆に、それが世界の流れを感じさせるので、それなりに考えさせられたりするもの。その点では結構目がはなせない。 日本でも、首相と野党党首の国会論戦があったばかり。案の定、下らないやり取りに終始した。財源不足の状態で、壮大なバラマキ政党のマニュフェストがまともに実行できる筈もなく、増税で少しでもなんとかするというのは自然な流れ。それに対して、少しレベルを抑えたバラマキ政党が増税という約束違反と、大バラマキの問題点を突くという論戦なのだから、つまらぬ話にしかならないのは致し方ない。だが、両者ともに、何を考え、何をしたいのかさっぱりわからないのだから、論戦を聞いたところで時間の無駄でしかない。どちらも有能で真面目な調整型政治家らしいから当然の結果だが、時代に合わなくなってはいまいか。 それにしても、ギングリッジ候補の活躍には目を見張るものがある。 ご存知のように、2011年秋迄、その評価は最低。まるで泡沫扱いで、支持率は地を這う状態。寸足らず候補だらけだが、あの人だけはこまるぜ的コメントが横行していた位だったのである。しかも、そんな批評が消えた訳ではない。「レーガン時代の過去の人」とか、「スキャンダルまみれの最悪候補」とのイメージを払拭したとは言い難いのだ。従って、現職大統領に勝てる見込みが薄いとされる。そんな候補の躍進ぶりに、共和党主流の政治家達は頭を抱えているとか。 まあ、なんといっても驚きは、フロリダ州で善戦中との報道。選挙資金も少ないらしいし、ギングリッジ型政治を好むタイプが多い州でもなさそうなのに。 このことは、人々の見方が劇的に変わりつつあるということかも。 もし、そうだとすればどういうことか、少し考えてみた。言うまでもないが、素人の仮説であるからそのつもりでお読み頂きたい。・・・ (1) 選挙資金の多寡で勝負がつかないかも。 表面的には、従来以上の中傷合戦が行われているように映る。今迄の常識からすれば、そんな戦いで勝利するためには、多額の広告費用がかかる。選挙資金が潤沢な候補でなければ、敗退止む無しの世界の筈。どうも、それが通用しなくなってしまったようである。ギングリッジ候補の作戦が当たった訳だ。 テレビを通じた大宣伝と、マスコミの徹底した批判は、悪辣な候補者潰しとの主張が受け入れられたのでは。 もしそうなら、中傷合戦が盛んになればなるほど、支持率への影響は限定的にならざるを得ない。選挙資金を湯水の如く宣伝に流し込んでも効果は薄いことになる。まともな政策論争にもならない訳だから、候補者のイデオロギー的なイメージで決着がつくのではないか。 (2) 金融業界叩きが始まりそう。 共和党亜流でしかないティーパーティや、民主党左派とでもいえそうなOWS運動は、金融業界に対する怒りが根底にありそう。怒りが強かったせいで、両者ともに話題にはなったが、何一つ新しい政策的潮流を生み出せずに終焉してしまった。つまり、ガス抜き運動ということになる。と言うことは、不満が溜まっている訳で、大衆運動をおこしたいなら、ココをつけばよいのは自明。投資失敗のツケを一般の人々に負わせ、政府の支援で巨大な利益を得ている金融業界の不当さを訴求すれば票は集まる。 但し、これは共和党的なイデオロギーとは本来水と油のような主張。ギングリッジ候補は、あえてそこに踏み込んだのでは。 現職大統領の高所得者増税提案はそんな流れで眺めると、再選を危うくしかねない賭け。リーマンショックで結局のところ甘い汁を吸ったのは金融業界という話が持ち上がってくると厄介である。そんなことを許すような政治家は大統領にふさわしくないというムードが蔓延すれば致命傷だ。 金融業界と近しいイメージの候補者は泥仕合ではハンディを負っているということ。 (3) マネジメント巧者にリーダー役を任せたくない風潮もありそう。 映画俳優出身のレーガン大統領の時代を彷彿させる討論姿勢が好感を呼んだ可能性を感じてしまう。ギングリッジ候補が「過去の人」だからこそ人気がでたのかも。但し、米国が指導力を発揮していた時代の回顧というより、現大統領の不甲斐なさの裏返し。 マネジメントのスキルより、信念あってこその大統領と考え始めたのでは。ユーロ危機に対して、米国大統領がなんの指導力も発揮できなかったのは、その辺りに問題があると感じてもおかしくないからだ。欧州問題が米国経済に大きな影響を与えているにもかかわらず、余りになさけないとの感覚。しかも、冷戦勝利に導いたレーガン政策の成果も失われつつある。なにせ、ハンガリーが独裁国化したのである。これでは元の木阿弥だから、共和党支持者には不快そのもの。 ソ連と戦ったハンガリー動乱や、ベルリンの壁崩壊の引き金となったハンガリー・オーストリア間の障壁撤廃は、遠い過去の話ではないからだ。 要するに、現職大統領と戦う候補は信念の人であって欲しいのでは。それこそが米国経済復活の鍵と考え始めたとは言えまいか。 イランを含めイスラム原理主義者に対するより断固たる姿勢を待望していそうな感じもするし。 (4) アンチ社会主義のイデオロギー闘争が生まれているということか。 上記を書いていて、ふと気付いた。今回の大統領選挙は雇用増出の経済政策での競い合いではなく、イデオロギーのぶつかり合いになるのかも。ひょっとすると、「経済ではないよ、お馬鹿さん」の可能性もありそう。米国民は、グローバル経済化してしまったのは日々の生活で実感している筈だし、そのなかで米国大統領が指導的立場を失っていそうだと感じ取っているに違いない。換言すれば、国内的な経済施策や、小手先の外交手段での経済好転は期待できそうにないということ。民主党の底流となっているイデオロギーではどうにもならないとの感覚が強まってきたのでは。 簡単に言えば、「消費者かつ資本家的見地からの政治」v.s.「労働者かつ市民的見地からの政治」の対立か。コレ、日本には無い対立構造。日本の場合、自民党は「生涯同一業務遂行者かつ土着民的見地からの政治」だから、後者の政党に近い。揶揄しているのではなく、実態がそのものズバリ。規制や補助金による既存組織維持と、その成員の生活を護ることに重点を置いているのは明らかだからだ。資本コスト割れの事業を賛美し、勤労者の貯蓄を国債に投資させる政策をとり続けている訳で、社会主義的政策そのもの。 米国は、ダイナミックな社会であることを誇る国。喜ぶ顧客がいる事業を興せば収益率も高くなる筈と考える。そんな投資が次々と生まれることで社会が発展していくというのが基本テーゼ。共和党支持者は、この絶対支持者と言ってよいのでは。グローバル経済の下でこれを否定しかねない道を選んだりすれば、米国は自滅の道を歩むことになると考えておかしくあるまい。 (当サイト過去記載) 2012.1.23 米国大統領選に関するニュースの読み方 2011.11.29 ズブの素人の本命予測はGingrich |
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2012.1.26 ついつい、日本人の科学観について考えてしまった 小生は、Googleニュースを見るのが日課。 その画面デザインだが、一覧表の右側に「ピックアップ」と称する得体の知れぬ記事リンクが表示されている。デザインを変更する気がないので、興味がなくても、なにげにその見出しが目に入ってしまう。 スポーツ紙の大衆ページのようなものらしいが、キャッチーな見出しがあったりして、どうせくだらないと思いつつ、つい読んだりするもの。 前置きが長くなったが、実は、「天地創造かビッグバンか?アメリカの結果に他の先進国「…おい!」」という見出しがトップにあがっていた。 面白サイトだから、よそうと思ったが、先日、素粒子科学について書いたので一寸気になり閲覧。 実に、非科学的な内容だった。 調査結果の話ではなく、アンケート結果の引用の仕方。執筆者は、自分は科学的に物事を見ていると考えていそうだが、実は非科学的そのもの。しかし、それに気付かない。そんなところが日本人の平均像という気がする。 と言うことで、以下、この面白記事を題材として。・・・ 質問は、「Who/What created the world, God or Big Ban?」というもの。ミカンとリンゴを比較するような質問で、全く次元が違う話を一緒にしているのだが、そう考えない人が多いようだ。確かに、宗教のドグマと科学的理論ではあるが、この質問設定自体が非科学的発想そのものなのである。 なにかが最初に存在しているかという話と、それがどのように変化したのかという話は、対象領域が違うからである。前者は存在論であり、まあ哲学の領域と言えそう。現時点、科学はこれに何も答えることができない状態である。一方、後者は、宇宙進化論と呼ぶべきもの。宇宙発展のプロセスを説明している理屈にすぎない。 ついでながら、ビッグバンについては、肯定する科学者が多いというだけにすぎず、これが真実かどうかはわからない。こうした見方こそが科学的態度なのである。要するに、現時点では一番納得できる理論ということ。反証が見つかれば否定されることになる。だからこそ科学なのだ。 非科学的思考とは、反証できない理屈を捏ね回すこと。 日本人にはこの辺りの論理がよくわからない人が多い。例えば、 「神による天地創造」を信じている科学者が、宇宙は大爆発して膨張しているとの理論を認めていることはありうる。ダーウィンの適者生存型進化論が成り立つと考えていても矛盾がある訳ではないのである。 このように説明しても、理解できない人は多い。日本の教育の欠陥かも。皆が正しいと言うものは真実と見なす体質ができあがっているのである。それは科学的思考と真逆なのだが。 この面白記事でも、「進化論を支持しない教師は日本ではめったにいない」と書いている。しかし、日本の場合は、それが科学的思考が広まっている証拠にはならない。この点には注意しておく必要がある。 それは、生命の起源話と進化論の違いがわかっていないからである。 前者は、最初のDNAはどこからか来たのか、それとも地球上のどこかで合成されたかという話。定説どころか、まともな仮説も提起されていないと言ってよいのでは。深海熱水でアミノ酸は合成できるが、それが生命に至る理屈には繋がらないのである。 従って、「誰か」が「命」を、外から地球に与えたとの説も、科学的仮説の一つと見なさざるをえない。その「誰か」を宗教上の「神」と考えるのは科学では無いというだけ。 未だに、タネなくしてはDNA合成ができない状況なのだ。従って、この仮説への反証は今のところ無いと言えよう。 さて、後者の進化論だが、これは、生命の起源たるDNAがいかに複雑化していったかを説明する理屈。DNAの存在はあくまでも前提条件。こちらは、極めてわかり易い。従って、大所では皆納得している。ただ、おかしなところはある。どうして、中間的種が存在しないのか。これに対する説得力ある理屈は作られていない。つまり、進化論も実は今一歩なのである。 ついでながら、アメリカ回答の異常性についてもコメントしておこうか。 ポイントは、総投票数が約42,000のうち31,000も占めている点。よくもまあ、こんなつまらぬ質問に、これほど多くの人が参加するものである。それは確かに特異。 従って、面白がって「神」に投票した可能性も考えられるし、人気投票のようなもので、どうしても「神」に勝たせたいと動いた人もいたかも。まあ、そんなところかも、ということ。 もっとも、日本人もなんと1,000人が参加している。投票行動がお好きなようだ。 そういえば、福島原発についての日本人の発言もトンデモ論が多かった。 と言うか、日本人は原発について余りに無知なのであきれた。科学的な常識を持ち合わせないと言ってもよいかも。お陰で、嘘八百のアジテーターがインターネットの発言コーナーを闊歩できたのである。 忘れないうちにこれも書いておこうか。 ・チェルノブイリは小型だが、炉を丈夫なもので覆う設計にはなっていない。スリーマイルはご存知のように、しっかりした格納容器がある。従って、常識的な対応さえしていれば、チェルノブイリのような爆裂状態に陥ることなど有り得ない。小型爆弾で壊れるようなものではないのである。ただ、稼動炉が3基もあり、冷却プールに使用済み燃料棒が大量に保管されているから、冷却が遅れたりすればチェルノブイリ以上の大規模汚染が発生し続けるという可能性があるにすぎない。首相が科学的発想で動いていればなんということのない事故ですんだとも言えそう。 米国は最初から科学的視点で眺めており、常識的な対策をとったが、日本はなにがなんだか右往左往状態で、メルトダウンしていないと嘘のつき通し。海外紙は、メルトダウンして、底で一時ブクブクしたりするかもといったところ。構造上、燃料は釜の底のシールを抜けるが、それだけのこと。常識的な予想と言えよう。日本とは対照的。 ・おそらく、世界中が仰天したのは、街頭デモ鎮圧用放水車の派遣シーンと、ヘリコプターによるバケツの水の散布映像。誰が考えたところで、ほとんど意味がない行動。理工系大学を卒業している人が指示したのだから呆れかえる。科学的思考というより、幼児的発想としか言いようがなかろう。もしかすると、東大安田講堂の水圧鎮圧作戦のアナロジーかな。 ・冷却できなければ、燃料棒がメルトダウンするのは当たり前。もっとも、それを公言した審議官は菅政権によって外されたが。まともに科学的常識で語ってはならない社会なのである。 なにせ、メルトダウンすると、原爆のようになると言うトンデモ話を流す輩がいる位なのだから手におえない。臨界の話と、核爆発の差もわからない訳である。流石にたまげた。そんな発言を臆面もなくする人を批判してもどうにもならない。 それにしても、日本の知のレベルの低さには恐れ入る。 (当サイト過去記載) 2012.1.16 量子力学関連のニュースを読んで |
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2012.1.25 「限界集落はどこも消滅寸前」は嘘であるソウダ 「限界集落はどこも消滅寸前」は嘘である。・・・コレ、2012年1月に刊行された、「限界集落の真実: 過疎の村は消えるか?」 (山下祐介著、ちくま新書)の宣伝文句。 弱者の塊に見える老人集落だが、土着の意志は強固そのもの。出て行った家族も時々帰って来たりして、消滅の方向にはほど遠いとのご指摘。 ソリャソウダ。 まともな産業が無い地域だろうが、地方には、引き続き徹底的に税金が投入されており、そこの住民がのんびり食べていける政策が未だに続いているのだから。なにせ、農業地帯では、世帯売り上げが年数十万円で悠々自適の生活を送れる人が大勢いるのだから。ただ、そうした社会の仕組みから外されると悲惨。赤貧に陥るか、当てがなくても都会にでるかの選択に迫られるからだ。地方は所属組織とコネの有無で生活水準が決まってしまう格差社会そのもの。税金ぶる下がりだけの生産性低下路線が極限まで進んでいると見て間違いない。 こんなことをしていて、一般の農業集落が成り立つ訳がないから、そろそろ、合理的な施策が打たれる潮時と見ていたのだが、現実は真逆。社会の破滅に突き進む道を選択したのである。民度が高い人が多い社会はこうなるという良き見本。世界大戦突入を拍手喝采した伝統的思考パターンは今も健在と言えよう。 ともあれ、この手のバラマキ政策は一律公平型にせざるを得ない。限界集落候補地域でも、安穏として暮らせる支援が行われることになる。そんな状態で、わざわざ集落から出て行き、苦労したい人が出るものかネ。 しかも、そんな流れを応援する人だらけ。そりゃそうである。地方への税金バラマキ政策を打ち続けるための学問が花盛りなのだから。もちろん、そこにも巨額な税金が投入されているからだ。どのような主張や宣伝をすれば、税金バラマキ路線をさらに強化できるか考えている人が大勢存在する訳である。これで素晴らしい成果があがらなかったらどうかしている。そうそう、そういう仕事をする人は尊敬されるし、格好イイと言われたりするもの。 世界大戦突入前夜も同じような調子だったらしい。言うまでもないが、それを揶揄したりすれば大変な目に合わされたのだ。それは今も変わらない。 ポイントは、日本の地方の大半は、自立経済ではないという点。 なかには、自称自給自足可能と主張する地域もあるが、それは日々の物々交換生活しか頭にないため、誤解しているだけ。正確に言えば、そんな幻想に浸たりたいから、つい口から出てしまうのである。単なる税金食いつぶし。発展性はゼロだが、それがお好きな人にとっては、お得な生活が送れる。 自称農業中心の経済地域も、一部を除けば、ほぼ同じこと。他の産業が、農業のために存在するから、そんな思い込みをしがちだが、そんな非農業収入のモトを辿ればすべて税金。そんな税金食い潰しの産業が支援するから、生産性が低い農業を続けることができる訳だ。 ご存知のとおり、こうしたバラマキをさらに続けようというのが、現在の日本の政治。 農村型「中」バラマキ政権から都市型「大」バラマキ政権へと代われば、すぐに問題がはっきりしてくるので、新たな政治状況が生まれると期待していたが、逆だった。 1月の自民党大会は圧巻。来賓挨拶に野次がとんだという。もちろん、TPP反対ということで。都市型政党に脱皮して、国全体の生産性向上に図る方向に進む姿勢を打ち出すと思いきや、昔からの土着政党に戻すつもりのようだ。 さらに大笑いなのは、自称小さな政府派ミニ政党の動き。社会保障費用は削らない方針らしい。それこそがバラマキの最たるもの。これをいかにして削るかが問われており、そのやり方を議論する必要があるのに、それは棚上げするようだ。 バラマキ続行という有権者の多数意志には逆らえないのである。 |
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2012.1.24 日本茶の淹れ方を変えてみた 先日、お茶屋さんのご案内で闘茶会に参加。 小生の理解では、茶道発祥以前に主流だった茶飲み文化。そんな文化に興味が湧いたから参加した訳ではなく、美味しく飲むにはどうするか知りたかったから。それに、自分の味覚と臭覚は、それこそ違いがわかる力があるのか、という点も知りたいところだし。 紅茶なら、ダージリンとセイロンの違いは誰でもわかろう。しかし、狭山、掛川、八女と言っても説明を聞いたところで、残念ながらその違いはよくわからない。従って、一度まともに飲み比べてみたいと思っていたのである。 それだけではないかも。この正月に人吉産の玉緑茶を頂戴し、自宅でいい加減に淹れてみたら旨みが矢鱈に濃かっので驚いたからだ。産地で相当違いそうだと、今更ながら、気付かされた次第。 そうそう、闘茶の中味だが、産地が違う同一価格の煎茶である。品種は主流のヤブキタ。 結果。 案の定、小生も含めた参加者全員、正答率低し。お陰で、ずいぶん勉強になった。 ちなみに、自分の好みとしては、本山ということがわかった。その辺りのテーストに慣れているにすぎないと思われる。 わかった点。 ・産地の違いだけで、味は相当に違う。 凡庸に感じるものと、尖ったものがある。 香りと色の違いもありそう。 ・慣れている手のお茶が一番バランスがよいと感じるのではないか。 それを平凡と感じたり、優れていると評価することになる。 ・全く同じ淹れ方は簡単なようで結構難しい。 ちょっとしたことで、茶葉の蒸らし方に相当な違いが出てしまう。 注ぎ方で茶碗毎の差が生まれかねない。 ・味わいは、茶以外の状況でもかなり左右される。 最初に味わう茶の印象はあてにはならない。 お菓子の味によって、その後で飲む茶の良し悪しが左右されそう。 ・茶の風味の違いは誰でもわかるが、それを表現できる語彙を欠く。 茶葉の特徴を概念的に把握するのは難しい。 飲み比べて、同じ茶葉を認識するには訓練が必要そう。 そして得られて教訓は単純明快。・・・ 茶の淹れ方と注ぎ方は、自分の頭でその都度考え、臨機応変で行くべし。 そして、以下の淹れ方に変えた。 言うまでもないが、専門家に教わった訳ではない。素人論なのでそのつもりで。 (1) 茶葉は、茶筒から、所定の分量の茶葉をを取る際に、できる限り欠片や粉が入らないように注意する。葉の形状のバラツキが見られる商品は駄目。そんなものなら、粉茶や茎茶の方がまし。 (2) 一番重要なのは、多分、最初の茶葉の蒸らし。静かに、熱すぎない湯中で、茶葉をゆっくりとした速度で静かに広げないと、十分に美味しさを味わうことができない。 よく巻いた細い茶なら低温長時間が望ましく、成分が抽出し易そうな茶葉なら多少高温で短時間にする。 従って、茶葉は薄く広げるように急須に入れる。急須の底は扁平で面積が広いほどよい。絶対に、塊で入れない。この観点で、急須の容量が決まる。一般に茶碗2杯強が限度だ。茶漉し網付き急須などトンデモない話。それは、鮨屋のアガリ用。 急須は暖める必要なしと考えていたが、そんなことはない。ただ、水分が茶葉についてしまわないよう、湯を注ぐ直前に茶葉を入れる必要がある。 湯をすべて注ぐのは、素人は避けた方がよい。最初に、茶葉に被る程度の湯量を、葉の全体を湿らすように注ぎ、すぐ蓋を閉じる。20秒程度たつと葉が広がるので、葉が湯に舞わないように。静かに残りの湯すべてを注ぐ。ガラスの急須は冷え易いので今一歩だが、葉が開く様子が見えるので、注ぐべきタイミングがわかり便利。情緒を欠く道具だが。 (3) 妥当な抽出時間はその都度勘で決めるのがよい。上記のやり方なら、葉の広がる速さがわかるから、それに応じて設定すればよい。80秒から120秒程度である。もちろん、購入した茶葉指定時間があるならそれを守ることになるが、その数字が当てにならない場合も。尚、深蒸茶表示品は他とは違い抽出が速いので要注意。 (4) じっくりと、しかし急いで茶碗に注ぐ。ここで手抜きすると、すべてが台無し。ともかく、一気に茶を注ぐべきではない。例えば、2杯分なら、5回x2茶碗程度。じっくり愉しみたいなら、1回に注ぐ量は少ないほどよさそう。ただ、この場合、1回毎に、注ぐ前に急須を振って、湯を踊らすこと。そして、文字通り、最後の一滴まで出し切る。振らし方が悪いと、急須の口に茶葉が溜まり、これができなくなる。そうなると、一番美味しい部分が得られない。 まあ、以上、薀蓄というほどのものではない。教訓をもとに理屈を考え、今までのやり方を少し変えてみたにすぎない。 (当サイト、過去記載) 「日本茶の淹れ方(20110203)」 |
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2012.1.23 米国大統領選に関するニュースの読み方 SC州での共和党候補予備選挙は、開けてみれば、ギングリッジ候補は2位に大差の40.4%を獲得。直前まで、日本の報道は猛追というものだったがハズレ。その前は、ロムニー1位を示唆。従って、直前の討論会での態度が勝敗を左右したとの話になっている。 1月17日のCNN調査では、ロムニー候補33%、ギングリッジ候補23%だったから、そりゃそうだろうと言えるのだが、そんな見方でよいのだろうか。 1月8日の別の調査では、両者は互角。ギングリッジ候補1位。もともとがそういう政治状況の州である。問題は、その感覚を、日本の新聞を読んでいて感じることができたか。 と言うことで、米国大統領選挙に関する、日本の新聞記事をウエブで眺めていて、感じた点をあげてみよう。 ・ステレオタイプな解説が僅かに含まれているものが主流。 ・記載されているデータは一部抜粋でしかない。 どうしてその点のみに注目しているのかはわからない。 知りたい情報は記載されていないことが多い。 ・4次情報(ソースは日本)と疑わざるを得ない記事がある。 ・一般に、情報ソースは曖昧。 ・取材ベースの記事もありそうだが、見出しからは判別できない。 要するに、まともなものに出くわす確率が低いのである。知りたくなって、色々な記事を見ても徒労に終わる可能性が高い。そんなことをしていると、頭が鈍るのではと思ったり。 だが、識者や署名記事なら良いかというと、そうでもなさそう。政局報道がえらく喜ばれる社会風土に合わせて書かれているからだ。お陰で、読んでも納得感はイマイチ。なかには、えらく古そうな認識の評論も。 そこで、小生がとったのは、最初に、ざっと生データを見る手立て。POLITICO・2012LIVE(www.politico.com/2012-election/presidential-polls/)が一番。 例えば、前述の1月8日のNC州の調査では、ギングリッジ候補もロムニー候補も現職に勝てない。サントラム候補だけが希望あり。 なるほど、そういうことかという感じ。 ちなみに、CNNの1月17日のフロリダ州調査ではロムニー候補が47%で2位は2割に届かず。そして、現職大統領に勝てるとの見込み。 こうしたデータを見た上で、論説を読むと状況がわかってくる。もちろん、POLITICOとWPだ。これらの抜粋訳でもあると、さっと目を通すことができて有り難いのだが。 WSJやNYT等にも面白い指摘が掲載されていそうだが、やはり餅は餅屋。 ところで、当サイトでの過去記載を思い出してしまった。(2011年11月29日「ズブの素人の本命予測はGingrich」) その論旨で読むとどうなるか。・・・ SC州で勝利を収めると共和党候補者の座を射止めるというのが経験則。ここは共和党では結節点なのである。ここで勝利すれば、原理主義的なプロテスタントとクリスチャンの票をまとめることができることが誇示できるということ。これを切欠として、以後、全国で、宗教ベースの草の根献金運動を始めることができる訳だ。素人が見ても、それこそがレーガンやブッシュの勝利の秘訣。 はたして、今回はどうなるか。 小生は、NH州で支持が3割を越えたことが、ロムニー候補のSC州での負け戦に繋がったと見ている。その数値は、宗教的亜流の候補が宗教の壁を乗り越えたことを意味するからだ。これに、宗教勢力が強烈な危機感を抱かない筈はない。反モルモン教徒候補者の一本化しか手はなかろう。それだけのこと。当たり前だが、建前上、そんなことを表立って言う人は滅多にいまい。 |
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2012.1.21 日本の新聞記事の不可思議さ とあるブログに科学系新刊書籍の表が毎日出されている。他にもあるのだろうが、小生にとっては、チェックが習い性になっている。 ただ、ブロガー氏の主たる関心事は日々のニュースとご自身の生活上のトピックスだと思われる。当然ながら、日記のタイトルは、そのなかから気になったことを抽出したもの。 例えば、「2012.1.20 雪 人類は4万年前から遠洋で釣りをしていた」という具合。そう、東京は初雪。寒い。 しかし、その後の見出しに驚いたのである。 前に同じものを見た覚えがあるから。 調べてみると、図星。・・・「2011.11.25 4万2000年前の釣り針」。 ついでながら、2ヶ月前、このタイトルを見た時、どうしたか。 小生は、この手のニュースの場合、できる限りブログ指定のリンク先は読まない。執筆者が誰かもわからない手のものは御免蒙りたいのである。理屈ではなく、体験から。 従って、海外のニュース速報で該当しそうなものを探す。えらく面倒だが、致し方なし。 何を見たのか忘れたが、多分、Natureの2011年11月24日の記事。 "Archaeologists land world's oldest fish hook First deep-sea fish supper dated to 42,000 years ago."である。ここでは、東ティモールのJerimalai遺跡で、4万2千年前の鮪の骨が見つかったとされている。もちろん釣り針も。鮪は外洋の魚だから、遠洋漁業をしていたことになる訳だ。 正直に言えば、この翻訳記事があれば、それが一番。はっきり言えば、これを抜粋したような日本語記事は読みたくないのである。 さて、それから約2ヶ月後に同じようなニュースが流された訳である。 今回は、共同通信社発で、多くの新聞が報道している。すべての新聞記事を見た訳ではないからなんとも言えぬが、新しく伝えたいことは一体何なのだろうか。 日本のメディアは不可思議そのもの。 (記事) 「人類、4万年前から釣り? 東ティモールで釣り針発見」 朝日新聞 2011年11月25日 「人類、4万年前から釣りか 東ティモール遺跡で東海大など調査 」 【ジャカルタ=共同】日本経済新聞 2012/1/20 |