■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.22 ■■■

   渡し舟様々

渡し舟はどこいらじゅうに見かけた交通手段。その風景自体に情緒感覚を覚えるような人などいなかった筈。従って、渡河シーンをどう扱うかは、画家の気分次第。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「御厩川岸より両国橋夕陽見」
本所御廐川岸から対岸の浅草への渡し舟の図である。下流に架かる両国橋が見えるところが構図の好さと、言われているようだ。橋と船が同形なので、落ち着くと言うことなのだろう。まあ、夕方、西の空からの逆光という情景にうまく収まっているだけの話ではないかと思うが。
それより、船頭を含め渡し船上の人々が夕刻の富士山をじっと眺め入っている姿が面白い。今日もこれで暮れていくとの感慨を覚えているのではないかと思えてくるからだ。要するに、絵を見ている人の感傷を呼び起こすということ。
といっても、そんな感覚に沈潜させないところが秀逸。多様な人の存在を打ち出しているのが凄い。蛇の目傘を開いている人もいるし、風景など無関心で四方山話に花を咲かせている乗客も。渡し船が一つの世界を形作っているかのよう。
渡し場では、これとは又別な世界にいる人も。と言っても、これらが世間と隔絶している訳ではない。隅田川は今日も、船で大混雑状況。絵に登場する人達は、その一角を担っているに過ぎない。都会の一段面を描いただけなのだ。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「武州玉川」
題名からここは多摩川中流域の渡しとわかる。しかし、それを知らずに一瞥する程度だと、川舟が山麓を登っているかのような印象。地域の特徴も感じられないし、なんとも言い難き構図である。
それは、渡し場の建屋も見当たらず、岸には荷物を積み替えている馬しか見えないからでもある。しかも、船の荷は薪だけのようである。両岸の交流はそんな程度だったとは思えないのだが。

○広重 東海道五十三次 「川崎(六郷渡舟)」
同じ多摩川の渡しでも、フェリーボート的に映るのが広重版。渡し賃の徴収施設も完備。渡河サービスの仕組みが整っており、いかにも都会的。船頭達も、運行に支障なきよう役割を分担しながらせっせと仕事に精を出すだけ。もちろん乗客も、手馴れたもの。時間潰しに、船上で一服したりして。上流の遠望には富士山だが、まあ、いつもの眺めでしかない訳である。

○広重 東海道五十三次 「荒井(渡舟ノ図)」
浜名湖の舟渡しの風景。2艘のうち片方は大名ご一行様お借り上げ。特別な傘が用意されていることまで、細かく描き込んでいるから手が込んでいる。まあ、眺めた瞬間に毛槍と吹流しが目に入るし、幔幕を張っているから、それとすぐにわかる訳だが。ということで、ご寄港遊ばすところである。
その後に続く船にはお供が乗船中。あくびをしている者もおり、しばしの息抜き状態。
ここら辺りをお気軽に描けるのは武士階級出身の広重ならでは。しかし、何故に、一般人の旅姿図絵を避けたのだろうか。

○広重 東海道五十三次 「見附(天竜川)」
朝靄に煙る風景のなかで、中州で渡し船を乗り継ぐための旅人が溜まっており、繁盛している様子が見て取れる。反対方向から来る旅人の到着を待つ船頭は煙草をふかしている。技巧を凝らした情景描写にすぎない。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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