表紙
目次

■■■ 本を読んで [2018.1.3] ■■■

「杭州茶趣」斜め読み

中国茶は今も昔も、主流は緑茶。そのブランドとして誰でもが知っているのが龍井茶(ロンジン茶)である。その歴史から、お話をピックアップした本を眺めてみた。
1991年に建てた中国茶葉博物館をさらに魅力的なものにしようとの試みであろう。

白髪3,000丈のお国柄であるから、のっけから「有学者認為杭州先民在8000年前就食用"原始茶"」。
もちろん、世界的に日本の茶道が知られているから、「杭径山為日本茶道源頭」ですゾと書くことも忘れてはいない。(日本では金山寺味噌の禅寺として有名であるが、裏千家のお点前の発祥は径山興聖万寿寺で受けた法と茶道具であるとされている。)

はてさて、そうなると、真っ先に親玉のお話がくるのかなと思ったら、流石にそうではなかった。
とはいえ、清の乾隆帝は植樹したようだから、その後の為政者の話もあってしかるべきなのである。
後ろの方で、ちょこっと触れてはいる。
胡耀卿《西湖龍井茶的"持供"》とあり、国家外事礼品として用いたと。そして、ケ小平も贈送に。上海書紀だった江沢民はエリザベス女王の招待茶に使ったとか。

しかし、なんといってもページを割いて書きたかったのは総理周恩来が《采茶舞曲》を改詞したという点かも。と言うか、ニクソン訪中の立役者でもあり、西湖龍井茶の歴史を教えたということで別格扱いなのである。気持ちわかる。(武夷岩茶の最高級品愛好家毛沢東だとこうはならぬ。)

と言っても、お話の取り上げ方は政治というよりは中国史的。
冒頭は三国志の「以茶代酒」。(酒豪である呉国の帝が、酒に弱い臣下を宴会に招いた際、酒そっくりの茶でもてなしたという話。)
要するに、これが茶会の始まりということ。
それを茶館文化へ導いてきたのは、確かに、ココ杭州であろう。そこでの政談(清談)こそが命なのだが。その辺りは、下手に書くとえらいことになるから書けないだろうが。

そして詩人へと繋がる。
当然ながら茶詩が多く残っている白楽天[772-846年]からとなるが、龍井にこだわっていたとは思えない。しかし、南方禅に理解があり、脱俗的品格を重視していたからそのお言葉は頂戴しておく必要はあるだろう。
[ご参考→] 「茶詩一瞥 」[2015.5.2]

もちろん、禅宗の方も取り上げられている。
有名な趙州和尚[778-897]の"喫(吃)茶去"公案。よくこんな難しいものを取り上げる気になったものだ。

ただ、本命は当然ながら「茶経」の陸游である。となれば前述の径山。紹介は的確で、天目山とされている。日本流に言えば、臨済宗大本山万寿禅寺の抹茶ということになろう。(栄西「喫茶養生記」に繋がる訳である。)
 「臨安春雨初霽」陸游@1186年
   世味年來薄似紗,誰令騎馬客京華。
   小樓一夜聽春雨,深巷明朝賣杏花。
   矮紙斜行閑作草,晴窗細乳戲分茶。
   素衣莫起風塵歎,猶及清明可到家。

62歳で官職(閑職)をあてがわれて詠んだ詩。生活を考えれば、まことに有り難いことだが、マ、おおっぴらにそんなことは言えない。
その赴任先の臨安は杭州中心から約100Kmの地。龍井茶を入れながら、詩作(思索)に励んでいる訳だ。
[ご参考→] 「照葉樹林文化否定=茶文化 」[2014.11.24]

正義感の塊である御仁ももちろん登場。
 「次韵曹輔寄壑源試焙新茶」蘇東坡[1037-1101年]
   仙山靈草濕行雲,洗遍香肌粉未
   明月來投玉川子,清風吹破武林春。
   要知冰雪心腸好,不是膏油首面新。
   戲作小詩君一笑,從來佳茗似佳人。


こんな具合に現代にまで、お話がオムニバス的に並ぶ。

この手の本をどう評価するかは、立場による。
杭州共産党の肝入り本ではあるが、中国の世情を考えると、ナカナカいいじゃないか、というのが小生の見方。

(本) 姜青青編[杭州市政協文史委員会,杭州市茶文化研究会]:「杭州茶趣 Hangzhou tea story」杭州出版社 2016年
 本を読んで−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2018 RandDManagement.com