■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[13b釋草]■■■
「爾雅」記載の植物がさっぱりわからない最大の理由は、文化的に成熟した社会でうまれた本草の視点では軽視されてしまう種が沢山収録しているからと見る。
雑草と言う種は無いのだよ、と侍従を諭したセンスは抜群だが、要するに「爾雅」にはこの手の植物が満載ということ。それだけの話。
こう書くと、愛でる対象が時代で変わるという鑑賞眼の話に映るが、その本質は社会的重要性が180度変わってしまったことが大きい。

厄介なのは、田畑で栽培される穀類系については、物証や伝承から、過去の状況を辿るのは極めて難しい点。社会的価値を失うと、すぐに雑草扱いとなって邪魔者扱いされるのだから、余程のことでも無い限り人々の記憶から消えて行くしかない。
名前が残るのは、その恩恵への想いを消したくないと考える人々が住み続けている限定的な地域のみ。と言っても、官僚差配が個々人の精神領域にまで踏み込んでくる中華帝国では見つかりそうにないが。

穀類にしても、すでに触れたが、 蓑米ムツオレグサや赤米マコモが該当していた筈が、それを確かめるには多大な労力を必要とする。後者など、現役農作物だが、穀と思う人などいまい。
ヒユは莧菜だが、穀類的風情も感じさせる姿であり、どうなっていたかはなんとも言い難し。
現代人気の、南米雑穀のQuinoaはユーラシア原種穀類アカザの同類。大麦小麦伝来前の無文字時代はアカザは花形だった可能性もありそう。そうでもなければ、色別(赤 黄 紫 白 etc.)品種名を必要とする筈が無い訳で。
「爾雅」でアカザに対応しそうな文字は、釐 蔓華 拜 蔏藋らしいが、「說文解字」での呼名は他にある。
  藜[艸](現代のアカザ表記) 藋[釐艸] 萊[蔓華] 

田畑外の放置された地に生えているので、若い葉は菜として使っただろうが、救荒作物として有用ということで遍く知られていたのだろう。(風水冷害で田畑が被害を受けた際に利用。)ただ、栽培種化されていそうにないから、地域毎の植生で多種多様状態だったろう。そうだとすれば、種の確定は難しいし、名称との突合せなどまず無理。

白楽天の漢詩にアカザが登場しているので、どういうことか気になるが、要するに、何処にでも生えている、社会実相の象徴的な草ということ。
  

     

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