■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[18aelp釋獸]■■■
【象 豫】亞洲象アジアゾウAsian elephantの蛇足。

象の小篆字形はどう見てもelephant。そこから、ivory:牙に転用することはあるだろう。
さらに、象の大きさのインパクトは、ただならないものがあるから、犀とか虎同様に祭器系の用語に入ってくるのは納得できる。
 <象謂之鵠・・・象謂之磋> @釋器
   《周禮》六尊…犧尊 象尊 著尊 壺尊 太尊 山尊 以待祭祀賓客之禮

しかし、字義を、figureやimage、さらにはphenomenonという抽象用語類に伸ばされると、流石に理解できなくなる。せいぜいのところ、"本来の文字は像だったが、略字を用いた。"という手の、無理矢理な説明しかできそうにないからだ。
   《易[繫辭下]》是故易者 象也 象也者 像也
   《易[繫辭上]》一闔一闢謂之變 往來不窮謂之通 見乃謂之象

この状態であれば、「爾雅」が、釋獸で記載を避けるのもうなづける。

だからといって、現代にも通用しそうな説明ができない訳ではない。若干苦しいが、そうは感じない人も少なくなさそう。・・・
 人希見生象也 而 得死象之骨 案其圖以想其生也
   故 諸人之所以意想者 皆謂之"象"也
 今道雖不可得聞見 聖人執其見功以處見其形
   故 曰:「無狀之狀 無物之象」  
[「韓非子」巻六 解老第二十]

と言っても、この論旨は儒教型社会では決定的に拙い。

異国の動物を放って衆目を集めさせ瑞兆として王朝支配力の向上を図るとか、権力闘争上のスローガンとしての天命として、珍奇動物登場を喧伝するスタイルにはえらく不適合だからだ。

ただ、素人が、儒教的社会の習わしに沿って、常識的に解釈すれば、elephantと「易」の専門用語が並立しているだけのこと。そこになんの不思議も無い。
   《易[乾]》象曰:天行健 君子以自強不息

換言すれば、<象>を、舞踏や南方語通訳官の名称としていたことに触れたくなかったということ。
   《禮記[內則]》成童舞…象
   《禮記[王制]》南方曰:象
  
  "象"
     

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