■■■ 小篆文字検討@「說文解字」「爾雅」[小篆体系]■■■ 現代の<部首>とは、辞書「康熙字典」がもたらした概念。字書の「說文解字」とは根本的に違う。 前者は、あくまでも漢字を網羅的に収集整理することにあり、当然ながら、膨大な数になるから調べたい文字に到達できる整理の仕組みが必要となる。それに便利なのが<部首>。500種類もあったら、ほとんど役に立たないから、200程度に抑えることになろう。 要するに、一目でわかる程度の分類にし、部首所属文字を、単純→複雑の順に並べる以上のことは無理と判断したことになる。この方針は、細かな工夫の余地は大いにあるものの、誰がみても検索に難あり。 しかしながら、論理的整理を追求すれば煩雑化を招くだけ。見た目で直感的に分類できる仕組みも可能ではあるが、有用性を考えれば避けるしかなかろう。場当たり的な略字や勝手気ままな一部デザイン変更文字が極めて多数にのぼるから、かえって混乱してしまい使い勝手が悪すぎる。 要するに、「康熙字典」的<部首>は、"qwerty"と同じで、設定した部首分類に慣れてもらうしかないという方針で設定されているだけの話。いくら理屈をつけて分類しようが、関係なし。辞書としての実用性を担保したければ、こうならざるを得ないということ。 つまり、辞書に於ける<部首>の数など、どうでもよい。と云うか、そこにこそ編纂者の知恵と見識が詰まっている訳で。 ・・・つまり、字体の系譜を眺めることで、文字体系を見つめようという字書と辞書代表たる「康熙字典」は対立的。辞書は情報集めには便利であるが、基本的に対立的な「說文解字」を読むに当たっては、邪魔物。 「說文解字」の数は540。小篆文字分析結果からの判断であり、結果的に、この辺りの数になったから、きりが良くて意味ある数字にした様に映る。 それはその通りではあるものの、この書は思想書でもあるから、主張の一貫でもある。小篆創成官僚が制定したのだから、540になって当然と考えるべし、ということ。 換言すれば、「說文解字」記載字義を、正誤判断的視点で読むべきではないということ。 そうした読み方は、現代の文字体系の<思想>に、「說文解字」を取り込んでしまうことになるからだ。(「康熙字典」の体系に、最古の辞典も組み込むことで、漢字の体系ができあがるという考え方。従って、小篆文字体系とは現代の文字体系とは思想的に違うとの見方は認める訳にはいかない。甲骨文字は、呪術という基盤ありきという見方も同様。) 「說文解字」がはっきり書いているように、漢字は官僚によって字体・字義が創成されたのであり、王や神が造字した神聖なモノではない。しかし、強制的使用を図ることにより、王朝支配を実現することができるから、極めて重要な道具であることは間違いない。それを、どう使うかが、当該王朝の性格を規定することにもなり、甲骨は祭祀王朝の力の根源としての機能を果たした訳だし、小篆は皇帝命の絶対性貫徹の上で不可欠な役割を担うことになる。 従って、文字の果たす役割と、字体・字義は、独裁者から直接任命された官僚が当該王朝支配を盤石なものとすべく鋭意造り上げることになる。当然ながら、前王朝との連続性・不連続性は当該王朝の性格で決まることになる。 「說文解字」の著者は早くにそのことに気付いており、小篆の文字体系は、秦王朝の政治思想をママ反映しており、それは儒教が模索した国家安寧観そのものと看破した訳である。脱呪、部族トーテム消去、皇帝独裁-官僚統治的秩序、といった視点から文字が体系化されていると見なしたことになる。 度量衡的標準化という点では、書記視認の容易性と誤認防止のために、明らかに規格部品的表記が進められてはいるものの、それは第一義ではない。機能性ではなく、思想性が打ち出されているのが一大特徴ということ。 一二三は123として使っていたものの、秦王朝規定の字義(原義)としては、数字の筈が無いと見抜いたのである。 一般論で語るなら、それ以前の卜占官僚が体系化した手の文字(元義)や、儒教統治国際国家の漢王朝官僚制定文字の字義(現義)と、小篆文字の字義(原義)は異なって当然との見方。但し、重要なのは、個々の文字の字義問題では無く、どの様な体系になっていることをはっきりさせること。 例えば、現代"臭"文字の歴史<兀⇔犬⇔大>が分かったところで、体系が読み取れる訳ではないと云うこと。当該文字体系の思想性を理解した上で、個々の文字の変遷の意味を探るべしということ。(反部首検索型の簡体字化も新たな体系化であり、そこには思想性があると考えることになる。官僚が文字を造る以上、そうならざるを得ない。) (C) 2026 RandDManagement.com →HOME |