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1999.12
 
 


マイクロンの飛躍…

 1999年時点で、DRAMの細密化競争のトップランナーはマイクロンのようだ。一番早く、コンマ18ミクロン・ルールでの商業化を進めているからだ。しかも、市場のアップダウンが激しいにもかかわらず、長期的に見ても十分な収益をあげ続けて来た。これを聞いて、隔世の感を持つ人が多いのではないか。

 「アメリカ人はメモリ戦争に敗れた。これからは日本人がこの分野をコントロールする。ソウトウエアは安いメモリを必要とする。どんどん安くなるメモリが大量供給されることで、未来が切り開かれて行く。」という発言がなつかしく思いだされる。当時は、マイクロンには目もとめなかった。まさに、油断大敵の典型例だ。

 メモリのようなハイテク製品は「モノつくり」の精華であり、日本人のどこまでも技術をつきつめる姿勢が、技術を磨きあげ最高品質の製品を作ると、誰もが信じていた。なかには、米国企業の経営者は投資家偏重なので「モノつくり」に興味を持たない、と断ずる人さえいた。

 こうした一般論は全く当てにならないことが、現実で示された。「モノつくり」に賭ける米国企業もあるのだ。マイクロンは決して独自の画期的な技術で他社を凌駕してきた訳ではない。技術の流れに遅れず、製造プロセスの徹底的な管理による収率向上を図り、コスト削減の努力を必至に続けてきた結果なのだ。
 いまや、DRAMで日本企業の品質管理優位性を示す証拠はない。米国企業や韓国企業の方が高収率の可能性さえ出てきた。

 マイクロンの「モノつくり」文化は、日本企業に優るとも劣らない。この原点は、CEO、Steve Appletonの経歴を見るとわかる。同社の発表によれば、Appletonの入社時(1984年)の時間給は5ドル以下だったという。オペレーターから出発したのである。12時間、 あるいは16時間労働を続け、底辺から昇進してきた人物なのだ。
 製造プロセスの事情を良く知っているからこそ、研究開発が事業成功の鍵を握ることも深く理解している。研究開発への資源投入も徹底的である。97年は2億2400万ドル、98年は2億8600万ドル、99年は3億2200万ドルという巨額なものである。同じような研究内容ならば、この規模に勝つのは容易なことではあるまい。ましてや、品質管理競争を今から挑んでも、もう遅かろう。


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