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2008.4.7
 
 


PHSとは何者なのか…

 PHS(Personal Handyphone System)とは、家庭で使われている固定電話のコードレスフォンの大出力版。理由は知らないが、携帯電話と呼んではいけないらしい。言うまでもないが、日本の独自規格だ。
 登場したての頃は、携帯電話との競争が一大ニュースだった。しかし、騒がれた割りにはさっぱり人気がでなかった。利用者にとってメリットが無かった訳ではなく、全く逆である。通話音質は圧倒的に高いし、利用料金も安価だったのだ。
 どうしてそんなことになったかといえば、カバーエリア拡大が遅かったからとされている。しかし、電話会社が携帯電話をお勧めしていたのだから、一般の人がPHSを避けて当然である。

 しかし、都心のビジネスマンまで同じようにPHSを避けたのには流石に驚いた。と言うかがっかりした。日本ではITでオフィスの生産性をあげることは無理だと直観したのを覚えている。
 なにせ、当時は、PHSは携帯電話と違って、駅やビル内で結構使え便利このうえなかったし、携帯電話の通話エリアが広いといっても、田舎で仕事をすることなど例外的だったからたいした意味はなかったのである。
 もちろんそれだけではない。PHSは固定電話並の通信環境を提供できた。モデムを介し固定電話でインターネット接続していた頃の話だ。携帯電話は時間がかかりすぎ、実用性ゼロだが、それでも仕方なく使っていた人もいた位だ。そんな人がPHSを使えばすぐにわかる大きな差があったのである。
 ところが、モバイルの時代が来るから準備せよと大騒ぎしている人に限って、PHSを使わない。つまり、本心では、モバイル環境など欲しくなかったのだ。これが、日本のありのままの姿である。皆で大騒ぎするのは好きだが、合理的判断を下すとか、自分から先進的な取り組みをしたくはないことがよくわかる。そんな人達がビジネスを牽引しているのが日本だ。
 これでは先が思いやられるといった印象を受けた。
 おそらく、この体質は今も引き継がれていることだろう。

 それはともかく、素人目にも、PHSの意義ははっきりしていた。
 そもそも、日本の国土は、面積からいえば、ほとんどが山。しかも、使える土地のほんの一部に人口が密集している。そこには、膨大な電話線が敷設済み。それなら、生活の場で、安価にいつでも通話ができる仕組みを作ったらよいではないか、というのは正論だ。PHSはこれにピッタリ合う。
 なんといっても、電電公社が営々と作り上げてきた巨大な固定電話用デジタル回線のインフラが使える点が大きい。このため、初期のインフラ投資は微々たるもので済む。しかも、この回線網、とんでもなく高品質な上、余裕だらけと、良いこと尽くめなのである。(もっとも、電話網だから、通話モデルの立て方で余裕度の見方は大きく変わるが。)
 これなら、安価なサービスで加入者を集めさえすれば、高収益ビジネスになると見込んでおかしくない。

 ところが現実にはそうはならなかった。政府や通信機器業界は、携帯電話“利用”拡大を狙うと言いながら、一番欲しいのは、実は大規模投資。携帯電話時代という掛け声に合わせ、投資で経済刺激というパターンが期待されていたということ。当然ながら、インフラ構築費用も膨大だし、端末も高価な、携帯電話に投資して欲しかったのである。

 当時の日本の携帯電話の基本技術は遅れていた。従って、本来なら、固定電話技術を基盤とするPHSを登用し、その間に“次世代携帯電話技術”開発に賭ける道を選択するのが一番自然だった。次世代携帯が普及したら、PHSには消えてもらうというシナリオだ。
 ところが、このようなヘジテーション・ストラテジーどころか、不足するのがわかっている周波数帯でデジタル携帯電話を立ち上げることに注力したのである。
 こんな不合理なことを進めれば、ツケは後からやってくる。
 なかでも、社内電話の全PHS化(固定電話全廃)へと踏み切るチャンスを活かせなかったことが大きい。もし、これができていれば、社内通信をインターネットに親和性を持つ仕組みへと、いち早く転換できた可能性もあったのだ。

 話がとんでしまったから、元に戻そう。
 要するに、PHSは、安価な基地局を数多く設置することで通話可能領域を増やすという点が特徴ということ。このことは、地域全体をカバーする配線網敷設コストが膨大ということでもある。すでに敷設済みで回線容量が余っているような場合にはピッタリだが、そんな条件は滅多になかろう。世界標準には向かない仕組みなのは明らかである。
 このことは、回線容量が余っているなら、「つなぎ」技術として価値が高いということになる。ここが重要な点。

 というのは、ISDNへの大規模投資が大失敗に終わったから。インターネット網の登場で、ISDNはゴミと化した。しかも、それが判明しても、計画を中止せずダラダラと設備投資を続けたから、壮大なISDN伽藍が構築されてしまった。
 PHSはこの資産を使えた。積極的な導入意義はないが、捨てる資産の有効利用の観点では価値は極めて高い。湯水のようにお金を注ぎこんだ設備を、使わず捨てるよりは大いにマシではないか。

 ところが、「つなぎ」ではなく、技術をさらに発展させる取り組みが進んでいるらしい。
 どういうことか、簡単に説明しておこう。

 ポイントの1つ目は、ISDN網を止め、フル・インターネット網にするという点。
 メタルのISDNを光ファイバーに変えるらしい。ISDNをバックボーンにしたのでは、トラフィック量増大には対処できないのは当たり前。だからこそPHSは「つなぎ」なのである。使い道の無い容量が空いている回線を使えるからこそ意味があったのに、容量が足りないから、大容量回線を新たに敷設するという。
 すでに、近距離無線LAN技術は汎用化しており、とてつもなく安価。しかも、インターネット電話化が進んでいるのだが。

 2つ目は、次世代PHSを始めるという点。名前はPHSだが、現行との互換性があるとは思えない。それに、インテルの無線技術を取り入れずに実現するのはかなり困難なのでは。しかも、そのインテルが提唱する規格に対抗するのだ。
 全国にはりめぐらせた現行PHS基地局にモジュールを追加するだけといっても、10万台以上の基地局をつなぐ回線を自前で敷設し管理する必要が生じる。そこまでして、世界的に孤立している新方式を導入する意味があるのだろうか。

 --- 参照 ---
(イラスト) (C) clipart.jp http://www.clipart.jp/index.html


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