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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.18] ■■■
[18] 略無縫

 其風俗不淫

 男子皆露 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連 略無縫
 婦人被髪屈 作衣如単被 穿其中央 貫頭衣之


不淫との表現が唐突に現れるのが面白い。
衣類を着用するものの、そこには性的標章を感じさせる装飾が一切無く、魅惑的なデザインの余地も与えない素っ気ないモノだったので驚いたのと違うか。

男性には着冠の習慣はなかった。この辺りが大陸との大きな違いだろう。

単純に髪を結っただけ。頻繁な水浴対応の姿としては当然であり、その伝統遵守というだけの話だと思う。
ただ、荒い繊維の布を鉢巻的に頭に巻いていたようだ。直射日光の強い地域では、樹木の皮を経木のように薄く剥いで、白肌を外側に向けた帽子様の被り物を作ったりするが、その名残り文化のような気がする。

衣服としては、丸首の一枚布下着に、上下別の広幅布を纏う装いが標準か。布を上手に結んで羽織るスタイルが粋なのかも知れぬ。布の質には拘っていそうだが、たいていの渡来者は気付くまい。着用しな限り金輪際分からないのだから。
身体の形に合わせた縫製は一切行わない訳で、和装の原点を垣間見る感じがする。(衣装を解けば反物状態に近くなる。セカンドハンド可能ということ。)

女性は髪を額に被せていたというが、ようするに前髪はオカッパなのだろう。ただ、後ろ髪は結って折り曲げていたというから、お下げを頭の上に載せていたのだろう。現代まで続く"島田髷"(髻を折り返し元結で止める)の原型かも知れぬ。神前結婚では未だに"文金高島田"は必須だし。

簡素な文章なので、以上は、勝手な想像でしかないが、かなり後世とはいえ、他国との対比で倭人の出で立ちを眺めることができる。倭の外交官の来朝扮装が描かれた絵図が残っているからだ。
 梁 元帝期の「蕭繹職貢図(進貢絵図)」@526-539年作成品の模写 [→@Wiki commons]

裸足が目立つし、布巻き付け型のいい加減に見える着衣である。文化的辺境とも見える姿だ。
ところが、新羅の説明には、倭に属国化されたと記載されており、この人物像には強国イメージが被さっている筈である。そういう意味で、脚絆と腕貫が強調されているのかも知れない。礼より武勇の人との印象を与えそうだから。
考えてみれば、野原や床では裸足で歩く習慣が訪問先で遺憾なく発揮されている訳で、実に面白い。椅子に座ることは稀だったことがわかる。

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