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2013.8.8
 

イマジネーションベース日本通史

…超古代時代区分の重要性…

「イマジネーションベース日本通史」と大仰なタイトルをつけているが、少しは自分の頭で考えようヨと呼びかけているにすぎない。
歴史の見方は色々あることを知っていながら、他人の顔色を伺いながら適当にあわせるのはおよしになったらということ。
細かな分析などどうでもよい。間違っていても気にするな、ということでもある。勘違いやミスをしないように気をつかってばかりいたら、肝心の考えることが疎かになりかねないからだ。しかし、表立ってそんなことを言うと憤慨される方だらけの社会だから、それがなかなかできない訳である。この辺りを是非突破して頂きたいもの。
お前はクドイと言われがちだが、ご勘弁のほど。
要は、新しい「概念」を創出する訓練をお勧めしているのである。新しい「分析結果」で、新たな知見を生み出すことにばかり一所懸命になるのではイノベーションは生まれないゼと言いたいだけ。

ということで、小生が戯れに作った「通史」の例で、何がそのガツン的新「概念」かご説明してみよう。何の証拠もなしに適当に書いた超古代の部分が一番わかり易かろう。・・・
  超古代:【樹木精霊信仰】の時代
    樹木利用水上移動や樹木食料発見での卓越者がリーダー
    植物生育状況に対応した移動キャンプ生活
    ナウマンゾウ(本州)/マンモス(北海道)も含め多種の動物が移住
  3〜4万年前頃から:【火山岩霊場信仰】の時代
   黒曜石を用いた、狩猟/毛皮処理用具
   季節に合わせた半定住生活

なにも説明がないから、おわかりにならないかも知れぬが、【樹木精霊信仰】の時代と【火山岩霊場信仰】の時代の間にはとてつもなく深い文化的溝があると書いたつもり。だからこその時代区分。
樹木の精霊を感じることと、岩や火山の超越力を信仰する姿勢の間には越え難いギャップがあるということ。つまり、人類史上特筆すべき「革命」がこの時点で発生していると見るべしと主張しているのだが、お感じになれるかナ。

樹木の「精霊」といっても、所詮は食べ物を頂戴するとか、道具を提供してくれる有難さの感興と言ってもよいだろう。一緒に生活している「嬉しさ感」の発露そのもの。それなら、石器時代でもある、岩信仰も同じようなものではと勘違いしがち。それなら、こんな時代区分は不要。

そう言えば、ご想像がつくかも知れないが、鍵は「半定住」である。書いてないが、「墓」が生まれるということ。
おそらく、群れでの移動生活者には、「死」という概念は欠落している。「死」そのものも、どういうことかわからなかった筈である。移動する「群れ」から脱落したり、突然動かなくなったヒトが存在したところで、それだけの話だからだ。冷徹に眺めれば、動物とはそういうもの。「死」を理解するには、それを概念化する必要があるが、動物にはそれは無理なのである。概念化の知恵を授かった(あるいは進化かも)ホモサピエンス以外、「死」という「思想」を身につけることは不可能。

要するに、死んだヒトを葬ることが始まったのが【火山岩霊場信仰】の時代ということ。この論理が肝。

石器の超人的な力は、異次元から来ているという見方が生まれ、そこと繋がる場が霊場。その霊場信仰のお陰で、命を賭けて神津島まで黒曜石採取に行く人が生まれたのである。

換言すれば、、「この世」とは違う、「あの世」の存在を感じることができたということ。
同様に、死者もその異次元に行ってしまったとなる。「死」の概念の誕生だ。・・・ここには論理の飛躍があるのだが、これを間違いとするなら、何時、どの様にしてその概念を作ったか提起しないと議論にならない。これができると初めて本格的な「考える」作業が可能となる。

「死」の概念ができあがれば、当然ながら、異次元との接点をどうするか考えることになる。それこそが葬儀。
石器を使うようになると、半定住ができるようになり、葬儀が始まるというストーリーである。ここからが人類史。


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