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■■■ 日本の基底文化を考える [2016.1.13] ■■■
日本の色彩感覚の原点(青)

日本におけるアヲ(青)は、色というよりは、"生き生き"と伸びる葦の芽の如し状況を示す言葉だと考えられる。従って、そのもともとの色彩としてはブルーではなくグリーンと考えるべきだろう。
しかし、それは日本独自文化という訳ではない。大陸にしても、もともとはそのような意味だったのは間違いない。「青」とは、「」を書きかえた文字であるが、その構成は「生+丹」だからだ。丹は赤色とされるが、土を指しているのは明らか。葦が湿地からニョキニョキと伸びていく様と全く同じ概念である。
実際、字義を「説文解字」で眺めて見ると、以下のようになっている。・・・

 ,東方色也。
  木生火,从生、丹。
  丹之信言象然。
  凡之屬皆从。

【珀】系は宝石のようだ。
 ,石之美者。
 𤧥・・・璧,瑞玉圜也。
     壁,垣也。

【艸】系は草木染の色を指す。
 ,艸色也。
 ,染艸也。

】系には色の意味はなかったようである。
 ,寒也。

【糸】系は染められた布を示す。
 ,帛深揚赤色也。
 ,帛白色也。
 ,帛黄色也。

このことは、大陸では、(生々しさ)-藍(草染め色)-縹(染めた布)から、色の概念「青」が生まれたということ。日本もこの概念を受け入れた可能性が高いが、古代の「生々し」を捨てることなく今に至っているため、緑色であっても、それを青と呼ぶことになるのだろう。

要するに、青色の源は「藍」にありということになりそう。
藍の染め色が「青」なのは、「出藍之誉」で知られるから間違いなさそう。・・・

   「勸學篇第一」  荀子
  君子曰:學不可以已。
  青,取之於藍而青於藍
  冰,水爲之而寒於水。

   (注 by 楊w:以喩學則才過其本性也。)

文言が一致していないし、意味も違うから本当なのか気にかかるが、後世の言い回しで変化したと見るらしい。・・・

   「賦賦」  白居易
  賦者古詩之流也。
  始草創於荀,宋,漸恢張於賈,馬。
  冰生乎水,初變本於典,墳;
  青出於藍,復揄リ於風雅。


       「憶江南」  白居易
      江南好,
      風景舊曾諳。
      日出江花紅勝火,
      春來江水鵠@藍。
      能不憶江南!


   「與朱康叔書」  宋 蘇軾
  天覺 出藍之作
  本以為公家寶,
  而公乃輕以與人。


   「答呂季克書」  宋 朱熹
  其所著書乃如此,
  若原説者,
  則可謂青過於藍矣


   溪漁隱叢話後集卷四十九 山谷下」  宋 胡仔
  東坡蓋學徐浩書,
  山谷蓋學沈傳師書,
  皆青過於藍者。


   「哭呉卿明輔 詩之一」  宋 劉克莊
  水心 文印雖傳嫡,
  青出於藍自一家。


ただ、藍と一口に言っても、調べてみると様々な植物。少なくとも5種類あるようだ。インディゴが合成染料名になった位だから、欧州では印度藍一番鮮明なブルー染料とされていたと思われる。ジャパンブルーは浮世絵の印象が強かったのは間違いないが、来日した人々が、日本での街中での法被や半纏類を始めとする藍色衣類の多さに仰天したせいもあろう。

 印度藍/木藍/南蛮駒繋・・・マメ科コマツナギ属
 琉球藍・・・キツネノマゴ科イセハナビ属
 蓼藍/唐藍(大陸渡来)・・・タデ科イヌタデ属
 山藍(土着)・・・・・・トウダイグサ科ヤマアイ属
 浜大青@北海道浜辺・・・アブラナ科タイセイ属
 大青@大陸・・・〃

日本の青色染を考える時は、染料となる植物よりは、その技法に注目する必要があろう。素人的には以下の4種類で峻別したくなる。それによって、日本独特な青色概念が見えてくるからだ。

 生葉直接染
 沈殿染料染(熱帯型)
 甕内醗酵液染(亜熱帯型)
 乾燥葉堆積醗酵染料染(温帯型)

「生葉」でそのまま色をつける技法は、極めてプリミィティブに映る。水が当たれば色落ちするし、光にさらされればすぐに褪せてしまうからだ。しかし、そうならない技法を習得してもその手の染色がすぐに消え失せた訳ではない。おそらく、草の生命力信仰があったから。
流石に、そのような染めは消えてしまったが、その伝統は、色名として残されている。別名は月草らしい。
 露草[つゆくさ]_・・・ツユクサ科ツユクサ属

色が褪せれば台無しになるのは確か。「つき草は。うつろひやすなるぞ うたてある。」[枕草子 群書類從版]の世界だ。しかし、その現象こそが愛しい「儚さ」でもある。

    寄草
  月草(鴨頭草)に 衣色どり 摺らめども
   うつろふ色と 言ふが苦しさ
[萬葉集#1339]

山藍で染める場合も露草同様な手法だった可能性が高い。

しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく [高橋連蟲麻呂 萬葉集#1742]

蓼藍が入ってきても、「露草」同様に続けていた可能性は高い。

そんな風土だったとすれば、「藍染め名称」とされる用語のうち、浅染めの3つは生葉色付と考えるのが自然。

 【1】瓶覗[かめのぞき]_
 【2】浅葱[あさぎ]_
  水浅葱  花浅葱  錆浅葱 
  鴇浅葱 
 【3】縹[はなだ]_

縹はかなり濃い印象があるが、生葉染めを何回も繰り返しただけ。この漢字、上述したように染めた布を示す。その色は白青。従って、もっと薄い青も該含まれた概念だと考えてよかろう。この漢字の読みが「ハナダ」とされるているから、尚更そう思う。どう考えても、その語源は「花田」であり、それは露草の花弁で染めた時代を彷彿させる名称だからだ。つまり、露草花弁を使用しないで露草に相当する色調を出したということ。要するに、大陸伝来の蓼藍葉による直接染色。

一方、藍染めの最浅とされている甕覗だが、本来は葉染だからこその薄色さだと思われる。縹と認定できるほどの白青には到達しないほど、ほんのりとした薄青色ということだろう。軽く色付いたか、甕を覗いて確認するからこその命名。藍色染めと言うより、白色では無くなったことがわかれば十分なのだと思われる。色が付いたことを愉しんだのであろう。
淡い青色は、もともとは3種類あったのでは。露草染、山藍染、蓼藍染である。蓼藍へと一本化されてきてからの名前が甕覗なのでは。

浅葱は、葱若葉の緑色を意味する言葉としか思えないが、薄青色があてられている。葱なら、もともとの若葉色とは黄色がかった萌葱色 。どうもしっくりこないのは、淺黄という表現も見かけるから。(「六月十日餘にて、暑きこと世に知らぬほどなり。・・・淺黄の帷子をぞすかし給へる。」[枕草子 有朋堂文庫版])マ、本来は緑系が感じられる蓼藍葉染めの色だったが、混乱が生じたのだろう。

醗酵藍の時代に入ってから生まれたのが、なんだかわからぬ名称。近世の一種の綽名。職人が工夫して作り出した一種のブランド色であろう。小生は、堆積醗酵染料で何度も染めて作り出した特別な色だゼとの、職人の洒落言葉と睨んでいるが。
 【4】御納戸[おなんど]_
  錆納戸 

ただ、基本色は、あくまでも単純に「藍」と呼ぶべきだろう。様々な技法が生まれ、そこから展開した色名も多種多様化ということ。
 【5】藍[あい]_
  濃藍  薄藍  紺藍  青藍 
  藍天鵞絨 
  二藍 
  藍鉄 
  白藍  藍白 

媒染技術が高度化して生まれたのが現代にも通用する「紺色」。色褪せない黒青色の誕生である。多分、それは古代の大陸伝来の色は違う。日本古代の紺も別な色である可能性が高い。大陸版は多数回の藍染だが、「藍」とされないのは、緋色をかんじさせるから。同じ色は簡単に出せないから、古代日本では薄茜染布を藍で染めたものを「紺」としたのでは。2種染は結構多用されていたようだから。
 【6】紺[こん]_
  紺碧 
  白紺 
  鉄紺 
  茄子紺 

藍草染色解説では、7段階の濃さに対応して名称が設定されていると記載されているが、その、最深が、止めの色となる。色褪せを一番防げるというのがウリであり、実用性一本槍。
 【7】留紺[とめこん]_

このように眺めてみると、上記7段階とは、単なる結果でしかなく、色の濃さで名付けられた名称ではないということになろう。
そこには、淡く、移りがちな「色」という概念が失せ、好みな「色彩」と、科学的な濃淡概念に替わっていった歴史が見え隠れする。

青色系統の色には、相当な思い入れがあるということでもあろう。このため、実用の色でありながら、豪華絢爛の色ともなるという、実に不思議な扱いとなるのである。手がかかる縫い締め防染主体の麻製帷子「辻ヶ花」は後者の典型。
庶民から高貴な層までが愛した色だったということ。

(参照)
色名一覧 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7
色の名前とweb色見本 http://irononamae.web.fc2.com/colorlist/index.html

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