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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.14] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[4]
−鵜を尊ぶ風習が残るのは倭だけ−

上巻には鳥がバラバラと登場してくるが、それぞれ、それなりの意味を持った記載のようだ。
と言っても、個々には、それほど重要とは思えないが、全体を通して眺めると、その扱いの変遷が見てとれるようになっている。

 ●天鳥船神●
イザナギ命とイザナミ命が生んだのは鳥之石楠船神でまたの名は天鳥船。
その後、葦原中国との国譲り交渉に際して、天鳥船神が建御雷神の副使として派遣される。
 故爾に天迦久神を使はして、
 天尾羽張神(十拳剣)に問はしし時に、
 答へ白しけらく、
 「恐し。仕へ奉らむ。
  然れども此の道には、僕が子、建御雷神を遣はすべし。」
 とまをして、乃ち貢進りき。
 爾に天鳥船神を建御雷神に副へて遣はしたまひき。

鳥と石(岩)信仰には、天に死者の霊魂が召される的なイメージが被る。しかし、海人系の場合、死者の霊魂の行先は海の遠いかなたという自然信仰があるから、運ぶのは船ということになろう。鳥には、高く昇るだけでなく、漂うタイプや、渡り鳥など多様であるから、両者は習合し易かったといえるのかも。

 ●天照大神-天の石屋戸-長鳴鳥●
天照大神が天の石屋に籠り天地ことごとく闇になった。
八百万神は、知恵者に謀を凝らさせた。
先ず最初に行ったのは、闇夜に長く鳴く長鳴鳥を集めてきていっせいに鳴かせること。
鶏の鳴声は時を知る手だてである訳だが、ここでは太陽を呼び出す神聖的な鳴き声として扱われていると見てよかろう。

 ●八千矛神-沼河比売-浦渚の鳥●
八千矛神(大国主)は高志(越)国の沼河比売[@翡翠産出の糸魚川]を妻にすべく行幸。
ところが明け方まで家に入れてもらえず、詠んだ歌。・・・
  :
 嬢子の 寝すや板戸を 押そぶらい 我が立たせれば
  :
 青山に (ぬえ)は鳴きぬ (青き山では虎鶫が鳴いたし)
 さ野つ鳥 (きぎし)は響(とよ)(野原では雉が叫ぶ)
 庭つ鳥 (かけ)は鳴く (庭に放った鶏も朝の雄たけび)
 うれたくも 鳴くなる鳥(実に恨めしくも、鳴く鳥達よ。)
 この鳥も 打ち止めこせね (こんな鳥どもを打ちのめし、鳴くのを止めさせよう。)
 いしたふや 海人馳使 (水を渡る海人の伝誦遣いとしては)
 事の 語り言も こをば (事の次第を語ると、こんな風になるそ。)

鳥の鳴き声に、神々しさを感じている訳ではなさそう。早々と脱鳥信仰姿勢を打ち出しているとも言えそう。
これに対する返歌。
 八千矛の 神の命 (八千矛とおっしゃる尊い神の命よ)
 萎え草の 女にしあれば (私は風に萎えてしまう草のような乙女です。)
 我が心 浦渚の鳥(私の心は浦の渚に棲む鳥そのものです。)
 今こそは 我鳥にあらめ (今は、この家の鳥ではございますが、)
 後は 汝鳥にあらむを (この先、あなた様の鳥になるのですよ。)
 命は 死なせたまひそ (命はこんなことで死んではなりませぬ。)
 いしたふや 海人馳使 (水を渡る海人の伝誦遣いとしては)
 事の 語りごとも こをば (事の次第を語ると、こんな風になるでしょう。)
そして翌夜に結ばれるのである。
ここで表現されている鳥は、聖なる存在ではなく、お仕えする者といったところ。

 ●八千矛神-大后嫉妬で倭国へ-沖つ鳥●
 出雲から装束(よそひ)し立たす時。
 ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を ま具ぶさに
 取り装ひ 沖つ鳥
 胸見る時 羽敲ぎも こも適はず 辺つ波
 磯に脱き棄て
 (そにどり)の 青き御衣を ま具ぶさに
 取り装ひ 沖つ鳥
 胸見る時 羽敲ぎも こも適はず 辺つ波
 磯に脱き棄て
 山県に 蒔きし茜(あたね)搗き
 染木が汁に 染衣を ま具ぶさに
 取り装ひ 沖つ鳥
 胸見る時 羽敲ぎも 此し宜し
 愛子やの 妹の命 群鳥
 我が群れ往なば 引け鳥
 我が引け往なば 泣かじとは
 汝は言ふとも 山処の 一本薄
 項傾し 汝が泣かさまく
 朝雨の 霧に立たむぞ
 若草の 嬬の命
 事の 語りごとも こをば

 ●天若日子-雉名鳴女●
思金神の提言で、復命しない天若日子の真意を糺すために雉名鳴女を送る。桂の木に止まって鳴くのである。
天照大御神の復命せよとの言葉を伝えた訳だが、そうとはわからず、雉を射殺してしまう。
その矢は天に届き、高木神が言挙げし投げ返すと天若日子の胸を貫いてしまう。
天若日子の父 天津国玉神は葬儀のために下界に降り、喪屋を建て殯を挙行。
 河鴈(かはかり)を岐佐理持(きさりもち)
 (さぎ)を持掃者(ははきもち)
 翠鳥(そに)を御食人(みけびと)
 (すずめ)を碓女(うすめ)
 (きじ)を哭女(なきめ)
鳥も、官僚制度的に職掌と位が決められるようになっていくのだろうが、その端緒として記載されている訳ではなさそうである。葬儀の各担当者が鳥の扮装をすることで、死者の霊が昇っていくことを助ける意味があるのだろう。
おそらく、葬儀では、皆が、それぞれ鳥のような動きをするのだと思う。

 ●事代主の承諾-鳥●
国譲り要求に直面した大国主命は美保ヶ崎で漁をしている我が子 事代主が答えると。そこでは、"鳥遊取魚"をしていたのである。

 ●大国主神お隠れ-鵜●
天つ神に葦原中国を譲るに際しての条件が受け入れられ、祭祀に入る。港を司る神が御饌を供するのだが、突然にして、鵜に変身し祭器を作ることになる。
 :
 このように申して直ぐにお隠れになりました 如此之白而乃隱也
 その故に 言った通りに 故隨白而
 出雲國のタギシの小濱に 於出雲國之多藝志之小濱
 天の御舍を造って 造天之御舍而
 水戸神の孫 櫛八玉神を膳夫に爲して 水戸神之孫櫛八玉神爲膳夫
 天の御饗を獻する時に 獻天御饗之時
 祷き祝詞を白した 祷白而
 櫛八玉神をに化し 櫛八玉神化鵜
 海底に入って底のハニ(赤土)を咋い出して 入海底 咋出底之波迩
 天の八十の毘良迦(器)を作り 作天八十毘良迦而
 海布の柄を鎌って燧臼を作り 鎌海布之柄作燧臼
 海蓴の柄を以って燧杵を作り 臺以海蓴之柄作燧杵而
 火を鑚出して云った 鑚出火云
 :

 ●豊玉毘売命-鵜の羽●
海神 綿津見之神の娘 豊玉毘売命が出産のために山幸彦 火遠理命の国に。海辺の波打ち際に、鵜の羽を葦に見立てた産屋を造成。産まれた御子は、
 葺草葺不合命

 ●日子穂穂手見命-鴨著く島●
海神の宮殿は鴨著く島ということか。
  沖つ鳥 著く島に
  我が率寝し 妹は忘れじ
  世の尽に
 とうたひたまひき。
 故、日子穂穂手見命は、高千穂の宮に伍佰捌拾歳坐しき。

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