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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.2] ■■■
「古今著聞集」の序とあとがきを読んで

「古今著聞集」に収載されている鳥を見てきたが、この本についても書いておきたくなった。

著者の橘成季だが、官辞職後、閑暇になって("多暇景以降、閑度徂年")、編纂に集中したようだ。この姓は従四位上陸奥守橘則光(清少納言の夫)に連なる家であることを示す。自称、"散木士"@序で、官位では朝散大夫@あとがきだが、これは従五位下だそうな。(上層とは見られていない。)

目次の巻篇建てや、譚の並べ方も整然としたもの。目的意識のもとに全体構想を練り上げたことがアリアリ。
"序"は真名書きで、"あとがき"跋文は仮名書きだが、「古今和歌集」の体裁を踏襲したらしいが、当時のインテリとしては当たり前の姿勢では。
"註緝爲二十篇。編次二十卷、名曰古今著聞集。"が、
"部を分かち巻を定めて、三十篇二十巻とす。"篇の端々に、些かその事の起こりを述べて、次々にその物語を著せり。"と。

選択対象についても、自らの関心について、"序"と"あとがき"に明確に示している。詩歌、管弦、絵画。
但し、興味に沿っただけの取捨選択ではない。記録として残しておかねばという意識が高まってしまったと言うのである。
結果、
或は家々の記録を窺ひ、或は處々の勝絶を尋ね、しかのみならず、たまぼこのみちゆきずりの語らひ、あまさかるひなのてぶりのならひにつけて、ただに聞きつてに聞く事そもしるせれば・・・
とあいなる。つまり、すべて実録であって、創作ではないのである。

しかし、なんと言っても、"あとがき"が秀逸。完成の宴を夜を徹して挙行した様子が細かく記載されているからだ。まさに、プライベートのサロンの雰囲気。
 ○序〜第30篇読みあぐ。
 ○呂律曲の糸竹(琵琶・笋)聲合奏。
 ○詩を講ず。
  お題:"冬来文學家"
 ○和歌を講ず。
  お題:"朝残菊" "夕落葉" "寄鶴"
 ○朗詠。
  "嘉辰令月" "泰山不譲讓" "今生世俗"
  :
先ずは、尊崇する3先人の画影を飾って供物をささげたとあるのが一大特徴。
 ○白楽天
 ○人丸
 ○廉承武
イの一番に孔子像と血族祖先を持ってくる、天帝社会の風俗とは一線を画す訳である。
二番目は柿本人麻呂。
三番目は琵琶を愛する橘成季が師事する系統の祖。揚州州衙より派遣され、揚州開元寺で、遣唐使[838年]准判官藤原貞敏[807-867年]に琵琶を教示したと伝わる。…「酉陽雑俎」著者 段成式の上司 李徳裕[787-850年][→]が淮南節度使だった頃にあたる。揚州にもインターナショナルはインテリのコミュニティが出来上がっていたと見てよいだろう。

このように書くと、誤解を生むかも知れぬ。好色、博奕、偸盗、闘諍、興言利口といった篇もあるからだ。当然ながら、破戒僧の行為や下ネタも。巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)でさえ、こんな話が収載されているのだから。
 「或男 朱雀大路にして女狐の化したる美女に遇ひて契る事」#681
 「伊勢国別保の裏人 人魚を獲て前刑部少輔忠盛に献上の事」#712
 「或僧の妻 嫉妬して蛇と化し夫の件物に喰付く事」#720

「古今著聞集序」
夫著聞集者、宇縣亞相巧語之遺類[「宇治大納言物語」]、江家都督C談[「江談抄」]之餘波也。余稟芳橘之種胤、顧材之樗質、而琵琶者賢師之所傳也。儻辨六律六呂之調。圖畫者愚性之所レ好也。自養一日一時之心。於戯春鶯之囀花下、秋雁之叫月前、暗感二幽曲之易和。風流之随地勢、品物之叶天爲、悉憶彩筆之可寫。茲或伴伶客、潜樂治世之雅音、或誂畫工、略呈振古之勝。盖居多暇景以降、閑度徂年之故、據勘此兩端、捜索其庶事。註緝爲二十篇。編次二十卷、名曰古今著聞集。頗雖爲狂簡、聊又兼實録。不敢窺漢家經史之中、有世風人俗之製矣。只今知日域古今之際、有街談巷説之諺焉。猶愧淺見寡聞之疎越。偏招博識宏達之盧胡。努不出蝸廬。謬比鴻寶。于時建長六年[1254年]應鐘中旬。散木士橘南袁。課小童、猥叙大較而已。
[参照:近衛本…レ点有@京都大学電子図書館: https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k05/image/01/k05s0002.html]

(出典:ママ引用ではなく勝手に改訂していますのでご注意の程)「古今著聞集」日本古典文学大系 84 [永積安明 島田勇雄 校注] 岩波書店 1966年
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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