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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.4] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[55]
−隠語"夜鷹狩"の広がり−

"夜鷹"という名称は現代中国でも通用するが、日本からの輸入語彙であろう。
ずっと、"蚊母鳥/吐蚊鳥"@劉恂:「嶺表録異」巻中, 李肇「唐國史補」巻下="鷆"を使っていたようだが、どちらも不適切ということで。
「爾雅」:鷏,
  郭璞[注]:蚊母,似烏而大,黄白雜文,鳴如鴿聲。今江東呼為蚊母。俗説此鳥常吐蚊因以名云

理由のほどはわからぬが、ほとんど関心を集めなかった鳥とみえる。

ヘンテコな名前なのは、この鳥が飛んでいる昆虫を喰うのを、逆に吐いているとみなしたから。口に合わぬ虫を喰った場合はすぐに吐き出す挙動をするかも知れぬが、誤認である可能性が高かろう。
そうだとすると、「酉陽雑俎」の【吐綬鳥】[→]も夜鷹かもしれない。(蚊母鳥とする本もあるようだ。)
夜行性の鳥であり、大陸ではかなり暗くなってから活動していたのかも。昼間は、林の中で樹木の横木的な枝に止まって直立して寝ている。日本で鷹と名付けたのは、この止まる姿とほとんど歩けない状況を知っていたからだろう。
虫獲り活動は目撃できるがこれはなかなかできぬこと。擬態的色彩なので滅多なことでは発見できないからだ。巣も作らないし、大陸では観察者が少なかったのだろうか。

日本では"夜鷹"という名称はほとんどの人が知っているほどポピュラーだというのに。

もっとも、日本人がこの鳥について知っている訳ではなく、街娼の江戸期の呼称として使うだけにすぎぬが。ただ、この用語は江戸のみで通用したようで、もともとお盛んだった京や浪速では全く使われていない。そんなこともあるのか、その由来ははっきりしていないようだ。
思うに、今日は"夜鷹狩"があるゾというリークが隠語で行われたのだろう。

そうだとすれば、かなりのインテリが創出した用語だ。

幼少から白河院に仕えた藤原為忠[n.a.-1136年]が1135年に8名で開催した「木工権頭為忠朝臣家百首」の歌から来ているらしいから。縁戚の俊成(顕広)等や、友人の源仲政・頼政父子が参加している。
戀十五首 寄鷹戀
夜鷹棲む 林の端に住む鳥の 溶けても得ねぬ 戀もする哉 加賀守顕広
[塙保己一[編] 「群書類従」和歌部第十一輯巻百七十四"木工権頭為忠朝臣家百首"]
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