→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.30] ■■■
[附 20] 経典宗教の違い
人によって感じ方は違うから、なんとも言い難いところだが、「今昔物語集」を眺めていると、天竺、震旦、本朝の宗教的風土の違いが大いに気になってくる。

現代のこの辺りの地の宗教区分では、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・仏教となるが、この見方は目を曇らせるもとではないか、と思い始めた。

問題は2つ。
第一に、儒教を宗教と認定していない点。
第二に、仏教を1つにまとめている点。
この後者について語ろう。

キリスト教とイスラム教を分けるなら、仏教は4つに分ける必要があろう。
 西蔵、震旦、本朝、南伝である。
これは、キリスト教をカソリックとプロテスタントを分けるレベルとは違い、古層における分裂だからだ。

誤解を恐れず、古層の信仰形態でグループに分ければ、3種類あり、本朝は独特である。
 🈑キリスト教・儒教・西蔵仏教・(震旦仏教)
 🈤イスラム教・ヒンドゥー教・南伝仏教
 🈕本朝仏教

🈑とは、純粋な経典宗教である。従って、渡来経典なら、自国語翻訳版が公認テキストとなる。その解釈は、時代の要求で変わるが、本文に手が入ることはない。例えば、西蔵仏教の場合、原書の逐語訳であり、原本は大切に保管される。震旦版は最初期が意訳だったことを引きずっているので、経典は安定しないし、原本を処分し基本テキストにさせようとの意向があったようで、この分類からはみ出している。経典宗教文化に染まっている国では受け入れがたい方向に進んでしまったと言えそう。

🈤とは、口誦宗教である。コーランや阿含といった経典は本質的には口誦のアンチョコ。ヒンドゥー教は経典が無いのではなく、物語が語られるということ。語り部は当然ながら、尊崇される宗教家である。経典編集とか、改定補足は無意味。本来は口伝だから異伝もある。コーランだと、そこらは厳密対処がなされていそう。南伝仏教だと、初期にまとめられた肉声集とみなされる経典以外は、見向きもされまい。

天竺仏教経典がサンスクリット語なのは、この地域の口誦宗教伝統に従っただけ。サンスクリットとは、口伝ベーダ経典の記録専用言語だったからだ。しかし、第一回結集の草稿メモは会話語だから、原始仏教経典はパーリ語等からの翻訳書ということになろう。ちなみに、日本語の"aiueo/kstn…"表現はサンスクリット用法である。

🈕 そうなると訳のわからぬのが本朝である。
と言うか、融通無碍をモットーとする、雑炊的味わいを大事にする文化ということか。
和歌のような、短文口誦による情緒共有を好む社会では、🈑も🈤もしっくりこないのかも。

 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME