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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.20] ■■■
[附 19] 士農工商
階級観の話[→]をしたついでに、身分制度についても一言。

「酉陽雑俎」著者も「今昔物語集」編集者も、身分制度に一家言あるようには見えない。しかし、社会通念としての"貴賤"や、統治上不可欠なヒエラルキーと、生業との間で生ずる齟齬については、しっかりと観察している。
従って、読めば、自動的に身分制が持つ意味合いを考えさせられることになる。

と言うことで、その辺りの話として、象徴的な用語の「士農工商」を取り上げてみたい。

この語彙は、震旦由来ではあるものの、極めてご都合主義的に使われている概念臭い。
富国強兵政策目線で、それ以前の幕府の政治を評価するための用語と見るのが一番しっくりくるかも。
 1に、文官・軍官を鍛えること。
 2に、小作制度の高度化。
 3に、工業振興。
 4に、交易統制。

このような見方は、唐突に映って当然である。
しかし、この身分制はもともとおかしい。武家政権の根幹に位置付けようがないからだ。
しかも、儒教用語とも言いかねる。
震旦では、古くから「士商農工」や「農士工商」といった言い方があり、「士農工商」は管子による"民"の中核を示すだけの言葉と見られているからだ。

常識で考えれば、武家政治のイの一番にくるのが、生産を滞らせる、勝手気ままな兵役を無くすことに尽きる。
メルクマールは言うまでも無く刀狩り。それこそが安定した繁栄の土台であるのは言うまでもない。そのため、ここに強引に、武士と生産者を分離させる制度を敷いたのである。
つまり残りは付随的なもの。そのなかでは、旧来の仕組みの、貴族や祭祀・宗教等々の勢力を準官民的扱いで取り込むための工夫が重要な筈だが、ここに触れたくないこともあっての「士農工商」とも言えよう。
しかしながら、武家政治では、城下町の仕組みを高度化する必要があるから、町民という身分が設定されることになろう。

こんなことを考えさせることになるのが、「今昔物語集」の凄さ。

天竺・震旦・本朝を並べるので、身分制を形造る土壌について、想いを馳せらせることになるからだ。・・・

天竺における身分上の貴種とは、本来的には、祭司者の家系を指す"婆羅門"。人々から"供養"され生活する特別な地位。と言っても、その対象者は広範に渡るので、必ずしも特権を謳歌している訳ではなさそう。
一方、為政者たる王とは、軍事勢力の代表である。貴種といえばそう呼べそうな家もあろうが、ローカルな軍事支配者の一族以上ではなかろう。王は、祭祀者と関係を築くことで、地域の最高権力者として尊崇される立場に登ることができる仕組みなのだろう。
このどちらにも属さないが、王と祭祀者、両方と良好な関係を結んで交易に従事する富豪層が存在する。
この3者が上層ということになろう。
残りはその他。

この"その他"が不安定では統治どころではないから、上層同様に、職業別に分化した制度を持ち込んで、流動化を抑えるしかなかろう。とどのつまりは、融通がきかぬ閉鎖的で細分化された職業的身分制度に行きつくだけ。
職業間の人的交流が極端に抑制される社会だから発展性は望むべくも無いが、王権の争いさえなければ、社会は自動的に安定する。

一方、震旦は、天子ありきである。
それを支えるのが官で、完璧な官僚統治国家。土着の神々も、冥界も官僚制が敷かれるほど。この公と、それ以外で線引きされることになる。これが、宗族の上に乗っかっているだけのこと。天竺とは違って、単純である。
この仕組みだと、どのような地位を占めたことがある家かがランクを意味する。史書の類の記述とはそのためのものとも言える。従って、ランクを上げるために、熾烈な権謀術数が繰り広げられることになる。
それが不安定な統治に繋がるのは確かだが、処刑や左遷は、方向転換のためには不可欠な内部闘争でもある。震旦にとっては、発展と繁栄のためには不可欠と言ってよいだろう。
必要なら、総入れ替えもありである。革命万歳、造反有理は、中華帝国の国是である。天子はこれを抑えるために、ランクに腐心すると言っても過言ではなかろう。
例えば、一族から軍官を出せば、手柄をあげてもらわねばこまる。下手をすれば一族郎党すべてが抹殺されかねないからだ。逆なら、一気にランクが上がり、富貴も自動的についてくる仕掛け。それが、宗族信仰を支えているのである。

こうした状態であれば、"民"とは、徴兵・徴用・徴税の力量を勘案しながら"官"が差配する対象という以上でも以下でもない。どのように貢がせてどう管理すべきか、ご都合主義的に職業カテゴリーや身分制度が導入されるにすぎない。
奴婢にしても、金銭的に不自由になって自由人から転落する場合が多いが、利用価値があれば逆も可能。天竺と違って、そんなことはどうでもよいのである。
従って、官を利用した、金儲けと、徴から逃れる算段が横行することになるし、それを前提として官も動かざるを得ない。
このような風土であるから、天竺とは"供養"概念が全く違うことになる。震旦に於ける"与える"行為は、褒美か、約束された見返りあっての話。"利他"を掲げる仏教精神とは水と油というか、一部の知識層を除けば理解不能だろう。
祖先祭祀業を独占する儒教と違い、ともあれ僧に"供養"すべしと主張するだけの組織と映った瞬間に仏教の運命は決まったと見てよいだろう。冥界や天界の官僚システムに直結する道教の魅力が輝くことになるからだ。

さて、本朝だが、絶対的貴種は天皇家のみ。天命ということで突然天子を名乗ることはできないから、、臣が天皇の地位につくなどもっての他。しかも、宮廷のある都城は、軍備的にほとんど防御無きに等しい状態。天竺や震旦の状況からすればまさに奇跡。

「今昔物語集」では、震旦皇帝を天皇とわざわざ呼ぶことで、その辺りに気付いてもらおうとした可能性もあろう。

ともあれ、本朝には貴族ランクがあり、それは、天皇に指定された臣の家系ということになる。各地域土着の独立勢力は、この仕組みで、すべて臣として組み込まれることになる。科挙が無いから、臣のパワーバランスがとれるような統治にならざるを得ず、見かけの組織形態は震旦に倣ってはいるものの、身分の意味あいはかなり違っていると見てもよさそう。官と民というような一律的扱いが浸透しにくいのだから。
つまり、実効直接支配者の自由度が高い訳で、律令制度以前の大人と下戸(奴婢)という貴賤の線引きも一様でなくても驚きではない。本朝型の統治ではさして重要とは思えないからである。
「今昔物語集」の本朝譚が生き生きしているように感じるのは、その自由度を反映した結果と見る訳だ。

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