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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.9] ■■■
[9] 琵琶の名手 源博雅 [玄象]
「今昔物語集」には知的遊びが多そうだが、学者なら常識であっても、素人にはそこらの知識ゼロだったりしてよくわからないことが少なくない。
そんな話を。
 【本朝世俗部】巻二十四 本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#24]玄象琵琶為鬼被取語

村上天皇ご在位中[946-967年]の話。
玄象と言う名前の琵琶は内裏の火事でも難を逃れ国の宝だった。それが忽然と消えてしまう。天皇ご落胆。
ところが、管弦の道を極めた源博雅(醍醐天皇の第一皇子 兵部卿 克明親王の長男)が清涼殿でお勤めしていたある夜のこと、その調べを耳にして取り返すのである。
盗んだ犯人は鬼だったとされるが、登場した訳ではない。琵琶が、羅城門の階上から縄で降ろされて返却されただけのこと。博雅が何の傍証もなしに勝手に鬼と決めつけ、天皇がそれを追認で決着。

つまり、羅城門辺りはすでに鬼が住むほどに荒廃していたのである。大内裏も同じような環境だったのかも知れぬ。琵琶が盗まれてもおかしくない状況だったと思われる。
マ、常識的には、持ち出したのは源博雅自身であって、そろそろ返却するかとなって、一芝居打っただけ。
最高の演奏家としては、どうしても最高の楽器を弾いてみたくなるのは当たり前。それには、持ち出して、人目につかぬ場所でこっそり演奏する以外に手はない。それは、源博雅の琵琶の調べをこよなく愛していた天皇の計らいでもあり、阿吽の呼吸で琴紛失に相成ったに過ぎまい。
従って、鬼譚の類ではなく、芸能譚のカテゴリーに入っている訳だ。そのような分類名がある訳ではないが。

「酉陽雑俎」を読めばわかるが、鬼や怪物が登場するところは確かに奇書と呼べなくもないものの、芸術に関しても様々な話が多数収録されている点を忘れる訳にはいかない。しかしとりとめのない四方山話をしている訳ではないのは、目を通せばすぐにわかる。
「今昔物語」もそれと同じようなもの。上記の話は宗教とは全く関係がないことでわかる通り、この本は仏教説話集ではない。
言うまでもないが、芸術鑑賞を好み、それを批評するだけの能力の無い人は読者にはなりようがない。従って、民俗譚の書とは性格が全く異なる。同一の話が掲載されているからといって、同類と考えるべきではなかろう。これは面白い話だとなれば、余計な部分を切り捨てて収録しているだけの話。

さて、この"玄象"だが、知る人そ知る名称。
能「絃上/玄象」として取り上げられているからだ。
その粗筋はこんなところ・・・。
本邦で無比の名手 藤原師長が震旦に旅立とうとしており、須磨の浦で宿泊。そこの老夫婦は無類の琴の演奏家でもあり、師長、自分の自惚れに気付かされることになる。それは、実は、引き留めようとする村上天皇と梨壷女御の霊だったのである。
見所は村上天皇が舞う早舞。能だから、琵琶の実演奏は無いが。
解説によれば、藤原師長が実際に絃上の演奏を許されたのは2回のみ。その弟子の二条定輔は後鳥羽上皇に気に入られ3回だったとか。

どうしてそれほど重要だったかと言えば、琵琶の名器は剣璽と並ぶ皇位継承を象徴する累代御物とされていたから。(神器であるから神威もある。)
但し、正式な御物となったのは、一条天皇[980-1011年]の代かららしいが、玄象と言うからにはそんな絵柄の唐からの招来品なのだろう。
内裏から持ち出しなどすれば、おそらく死罪は免れまい。天皇命なければ、演奏どころか触れることもできなかったのだから。特別な目的なしに天皇が演奏することさえも有り得ないのだから。

「今昔物語集」は対になる話を並べる形式で収録するので、源博雅の琵琶話はもう一つある。そちらは琵琶法師で超有名な丸。そのうち、別途とりあげよう。
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