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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.23] ■■■
[23] 白檀観音菩薩
白檀は熱帯性樹木なので本朝では簡単に調達できなかった。仏像用には国産材が用いられるのが普通で(樹木精霊信仰もからむし。)白檀像は貴重。
法隆寺所蔵の白檀一木彫刻 頂戴の九面観音菩薩像立像[像高:約38cm]は719年に唐から請来されたと伝わる。(持物は水瓶と数珠のようだ。)素晴らしい像である。
   →(C)法隆寺大宝蔵院

小生は学生時分は白檀の扇子愛好者。(現況とは違い、高価でない製品もあり、冷房が今一歩の場所が少なくなかった。)従って、特別な材とは余り感じないが、本朝では白檀というだけで有り難い尊像とされる状況だったのだろう。
マ、そういうタイプの人間からするとえらく気になるのが「白檀観音」との表題。
特定の樹木を指すならわかるが、材木種一般名の尊像名には違和感を覚えるのだ。榧観音、榎観音、と記載して信仰上の意義を感じるとは思えないから。
大陸では入手はそう難しくなかった筈で、そのような名称はつかないだろう。俗称なら、もっぱら地名や施設名。・・・
⇒玄奘:「大唐西域記」巻第九 摩揭国 [下] 三十二
   孤山觀自在像》
⇒非濁:「三寶感應要略」下16
   《摩陀國孤山觀自在菩薩感應》
⇒「今昔物語集」【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動) [巻四#28]
   《天竺白檀観音現身語》

言うまでもないが、上記2書には白檀の記載は全く無い。
実はそれだけではない。「今昔物語集」では、地名を恣意的に削除している上に、山のなかの精舎イメージを嫌ったようで、一大伽藍としている。
それがために、元ネタは玄奘三蔵とする訳にもいかぬようで、その名前も出さない。
当該觀自在菩薩像は白檀である可能性は高いと思うが、そう記載していないのに、勝手に白檀としたので、仏像を同定できるようなママ翻訳ができなくなったのであろう。
(仏像の特徴記載部分も避けているのは、大伽藍だと大きな仏像であるということか。まさか、本邦に渡来している訳でもないだろうし。)
改竄していると言えなくもないが、このような姿勢だとすれば、引用元に忠実な翻訳を旨としていると考えるべきだろう。
どうなっているか逐一みておこう。・・・
   今昔、
迦布コ迦伽藍南二三里,至孤山
其山崇峻,樹林郁茂,名花清流,被崖縁壑。
上多
精舍靈廟,頗極剞之工。
正中精舍有觀自在菩薩像,

 摩陀國孤山正中精舍
 有觀自在菩薩像。

   仏、涅槃に入給て後、□□国に一の伽藍有り。
   其の名をば、
□□寺と云ふ。
   其の寺の最中なる堂に、白檀の観自在菩薩の像在ます。
量雖小,威神感肅,手執蓮華,頂戴佛像。
 量雖小。威神盛肅,手執蓮花。頂戴佛像。
   − (削除)
常有數人,
 常有數人。
   霊験殊勝にして、常に人詣づる事、数十人絶えず。
斷食要心,求見菩薩,七日、二七日、乃至一月,
其有感者,見觀自在菩薩
妙相莊嚴,威光赫奕,從像中出,慰諭其人。

 斷食要心,求見菩薩。七日二七日乃至一月。
 其有感者。見菩薩妙相莊嚴威光赫奕。
 從像中出慰喩其人。

   或は七日、或は二七日、穀を断ち、漿を断て、
   心に願ふ事を祈請するに、誠の心を至せば、
   観自在菩薩自ら、微妙の荘厳を具足し、
   光を放て、木像の中より出でて、其の人に見え給ふ。
   其の人を哀むで、願ふ所の事を満て給ふ。

昔南海僧伽羅國王清旦以鏡照面,不見其身,
乃睹贍部洲摩國多羅林中小山上有此菩薩像。
王深感慶,圖以營求。既至此山,寔唯肖似,因建精舍,興諸供養。

 昔南海僧伽羅國王清旦。以鏡照面。不見其身。
 乃覩摩訶陀國多羅林中孤山上。有此菩薩像。
 王深感慶。圖以營求。既至此山。寔唯背似。因建立精舍。興諸供養。

   − (削除)
自後諸王尚想遺風,遂於其側建立精舍靈廟,香花伎樂供養不絶。 (了)
 其後諸王供養不絶(已上)其供養人。
   此の如く現じ給ふ事、数度に成ぬれば、
   弥よ帰依し供養し奉る人、世に多し。

 恐諸來者尊儀。
 去像四面各七歩許。竪木拘欄。

   然れば、多の人、詣で合へるに、此の像に近付む事を恐れて、
   像の四面に各七歩許を去て、木の欄を立たり。

 人來禮拜。皆於拘欄外。
 不得近像。

   人来て、礼拝し奉る時は、其の欄の外にして礼し、
   像に近付く事無し。

 所奉香花亦遙散。
 其得花住菩薩手及掛臂者。
 以為吉祥。以為得願。

   亦、人、詣でて、花を取て欄の外にして散じ奉るに、
  若し菩薩の御手に及び臂に懸ぬれば、
   此れを吉事として、願ふ所満ぬと知る。

 玄奘法師。欲往求請。
   其の時に、一人の比丘有て、外国より法を学せむが為に来れり。
 乃買種種花。穿之為鬘。將到像所。至誠禮讚。
 訖而踞跪發三願。

   此の像の前に詣でて、願ふ所を祈請せむが為に、種々の花を買て、
   此れを貫て花鬘と為て、菩薩の像の御許に詣でて、
   誠を至して礼拝して、
   菩薩に向ひ奉て、跪て、三の願を発せり。

  一者於此學已。歸本國得平安無難者。
  願花住尊手。

   「一は、此の国にして法を学し畢て、本国に帰らむに、
    平安にして難無き事を得ば、
    願くは、此の花、菩薩の御手に留まれ。

  二者所修福惠。願生覩史多宮。事慈氏菩薩。若如意者。
  願花貫掛尊兩臂。

    二は、修する所の善根を以て、兜率天に生れて、
    慈氏菩薩を見奉らむと思ふ。
    若し、心の如くならば、願はくは、此の花、菩薩の二の臂に係れ。

  三者聖教稱衆生中有一分無佛性者。
  玄奘今自疑。不知有不。若有佛性。修行可成佛者。
  願花貫掛尊頸。

    三は、聖教の中、"衆生の中に、一分の仏性無き者有り"と云ふ。
    若し、我れに仏性有て、修行して、終に無上道を得べくば、
    願くは、此の花、菩薩の頸頂に係れ」

 語訖以花遙散。感得如言。既滿所求。
   と云畢て、
   花鬘を以て遥に散ずるに、悉く願ふ所の如くに係りぬ。

   既に、所願満ぬる事を知て、心に歓喜する事限無し。
 其傍見者言。未曾有。當來若成佛者。願憶今日因縁。先相度耳。
   其の時に、寺を守る人、其の傍に有て、
   此の事を見て、奇異の思ひを成し、比丘に語て云く、

    「聖人は必ず当来に成仏し給はむとす。
     願はくは、其の時に今日の結縁を忘れずして、
     先づ我れを度し給へ」と契て別ぬ。

   其の後、彼の見たる人の語り伝へたるとや。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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