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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.6] ■■■
[37] 完璧な明尊護衛
明尊[971-1063年]は山門派・寺門派の対立の時代の園城寺(三井寺)系天台の高僧。小野道風の孫である。
29代天台座主を3日間だけ勤めたことで知られる。28代になるところだったが、山門派の激しい抵抗に直面、関白藤原頼通に直訴したため反撥が強まり、円仁派の教円が座主となったのである。

「今昔物語集」でこのような生々しい話がができる訳もないが、夜、明尊が寺と往復した話が収載されている。
仏教説話なら、僧侶の霊験談ということになるが、それとは180度逆。完璧な護衛をしてもらって高僧ビックリの図なのだ。
そんなこともあり、編纂者の考え方がこの辺りから見えてくる。そういう意味で巻二十三の意義を考える上では鍵を握る譚だろう。
  【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚)
  [巻二十三#14]左衛門尉平致経明尊僧正語

三井寺夜間往復の明尊を護衛したのは、平致経[n.a.-1011年]で、大箭ノ左衛門尉と称された武士。もちろん藤原頼通の命。
もともとは、道長四天王の一人である。金龍山浅草寺を再建したことでも知られる。
要するに、兵である。
どのような動きをするのかは、別な巻の記述でだいたいわかる。・・・
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#24]祇薗成比叡山末寺語
祇園は山階寺の末寺。別当の良算は権力と富をもって羽振りがよい。
紅葉の季節、御修法に来た天台座主慈恵僧正と本末で対立。
別当は
 平致頼を傭兵とし郎党を集めさせる。
一方、座主は
 "極めたる武芸第一の僧"睿荷と、
 致頼の弟の入禅と云ふ僧兵を祇園に繰り出させる。
それを見て、郎党達は後ろの山に逃亡。・・・

傭兵はいくらでも集められるが、僧兵も強者そのもの。天台の威信をかけて、有無を言わさずに祇園支配に踏み切った訳である。背景には、宗派対立がある訳だが。

と言う事は、明尊護衛など、どうということもない任務。にもかかわらず、ことさら語られるのは、武士の力を明尊が理解できていなかったからに他ならない。
それを際立たせるための話と考えてよいだろう。

平致頼の出で立ちは、藁沓に袴、単衣。まるっきり貴族。
当然、明尊、大いに心配する。
ところが出立すると、何処ともなく、2名の兵が出現し馬を。
更に進むと、暗闇から何の指示もなしに交代要員2名がでてくる。
静かなままで、これがずっと繰り返されたのである。
鬼神が現れる如くに次々と警護の者がヌッと出てくるので高僧はビックリし、藤原頼通にその素晴らしさを褒める。しかし、関白にとっては、武士にそのような組織力があるのはとうにご存知であり、知らぬのは僧。

さてこの巻二十三 本朝(強力譚)だが。構造はこうなっている。
  [巻二十三#_1〜12] (欠文)
  [巻二十三#13〜16] 《侍/貴族》
  [巻二十三#17〜20] 《僧系》
  [巻二十三#21〜25] 《相撲人》
  [巻二十三#26__] 《競馬騎手》


侍としているが、ここでは軍事勢力としての武士集団を描こうとしている訳ではなくあくまでも個人の豪胆さ。
兵としては、巻二十五 本朝 付世俗(合戦・武勇譚)で描くことになる。武士に関する話であっても、この2つをどうしても峻別したかったのだろう。
武士は、確かに"強力"ではあるが、秩序に従い、命令で忠実に動く一員であるべしと考えていることもわかる。理想論だが、その観点では、武士は力士となんら変わることはない。従って、政治的に都合の悪い話もわんさか出て来ることになり、欠文化せざるを得なくなったのだろう。

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