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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.9] ■■■
[40] 道場法師子孫の女
巻二十三"強力譚"の《僧系》[#17〜20]をとりあげよう。この巻のこの箇所に限らないが、譚末の一行要旨やご教訓はそれほど気にして読む必要は無い。
話の形式上の体裁を整えるために必要だから書いているだけで、それが冗談のこともあれば、世間の馬鹿げた見方ということで記載してある可能性もあり、編纂者の考えが書いてあるとは言えないからだ。
それでも、なんとはなしに、意見らしきトーンの時もあるが、そう読むのは危険だ。中華帝国とは違うとはいえ、下手に書けば余計な詮索をされかねないから、差し障りなきような取り上げ方をしていと思われるから。
つまり、譚を引用した真意は、読者が勝手に推測せヨ、ということ。

さて当該箇所だが、道場法師の名前が登場してくる。
意味深。

その法師だが、(「日本国現報善悪霊異記」第3話)元興寺(飛鳥寺)の説話の主人公とされている。・・・
敏達天皇代、農作業中落ちてきた雷の命を助けた農夫は子を授かる。強力で、10歳になり上洛し王族との力競べで勝利。その後、元興寺の童子に。鐘楼堂の人食い鬼(がごぜ)を退治。童子は優婆塞となり、諸王の水独占を打ち破り、人々を助けたので元興寺の強力僧となったのである。

これだけだと、フ〜ン、で終わるが、道場法師に注目した人がいるのである。
文章博士の都良香[834-879年]で「道場法師伝」を著述している。名声を博していたそうだが貧しかったという。立派な体格で"強力"なのだ。("姿態軽掲、甚有膂力"@「日本三代実録」)
小生は、これを"霊力⇒物理的怪力"とと見る。このような伝記をわざわざ書いたのは、おそらく雷信仰者だったから。

これを踏まえて、「今昔物語集」を読むとよかろう。

  【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚)
  [巻二十三#17]尾張国女伏美濃狐語
聖武天皇代。
美濃 小川の市に、美濃狐という名の強力女が居た。
 狐を妻にした人の四代目。
 その強力で、市を往来する商人達を酷い目に合わせ、
 持物強奪が生業だった。
一方、尾張 愛智片輪郷に、元興寺の道場法師の子孫の女が居た。
 美濃狐の非道を聞いて、試そうと小川の市へ。
美濃狐は殴りかかってきたが、
 道場法師の子孫の女は腕を掴んで、
 熊葛の鞭で打ちのめした。
 強力合戦勝負あり。
それ以降美濃狐は市に姿を見せす、強奪もなくなった。


  [巻二十三#18]尾張国女取返細畳語
聖武天皇代。
元興寺の道場法師の子孫の女、
 夫は尾張の中島郡の大領 玖久利。
 裁縫上手で、麻の細畳を夫に着せた。
 ところが、夫は、国司にその細畳を奪われてしまう。
 しかし、妻が向かい、国司に強力を発揮して取り返す。
 夫の父母は仕返しを危惧し、離婚されることに。
実家に帰った女は川で洗濯をしていた。
 通りすがりの舟主が嘲笑し、極めて悪質。。
 そこで、商人の船を陸に引き留め懲らしめる。


  [巻二十三#19]比叡山実因僧都強力語
比叡山西塔[具足房]の実因僧都[945−1000年]俗称小松僧都は
顕教・密教の両道の僧だが、それより"強力"で知られていたようだ。
(1)
昼寝中、弟子達がその力を試すことにしたのである。
胡桃8個を足指に挟んでみたのである。
もちろん、狸寝入りで様子を窺がっており、
起きる姿勢で、すべての殻を割ってしまった。
(2)
宮中での御修法の帰りが夜更けになった。
お付きが見えず、独りで衛門府侍詰所の脇から出た。
明るい晩だったが、
 男がでてきて背負ってお連れしますと言い出す。
 おぶさると、大宮大路二条まで走り、ここでお降りと。
僧都、壇所まで行くつもり、と。
 男は、命が惜しいなら着物を寄こせ、と言い落とそうと。
 寒いからそうはいなぬ、と言い、脚力で蟹鋏をかける。
 男は耐えられず、その後、指示に従わざるを得なかった。
 僧都は、夜中の間、京を駆け巡らせ、
  月見と歌詠みで堪能し、明け方壇所に着いた。
ちなみに、男に衣類は与えたようである。


  [巻二十三#20]広沢寛朝僧正強力語
広沢(池畔に創建した遍照寺)に居住し、
仁和寺
[886年創建, 翌年宇多天皇により伽藍完成]の別当[967年就任]だった頃の、
 寛朝僧正
[916-998年:宇多天皇の孫]の話。
寺は壊れた所の修理工事中。
日が暮れ、大工が帰った後
 日課としている、造作点検を独りで見回り。
すでに暗くなり顔は見えないが、
 突然、抜刀を黒装束烏帽子姿の男が出現。
 何者と問うと、御衣頂戴と言い、跳びかからんばかり。
 いと易きと語り、後ろに回り尻を蹴り上げると、男消滅。
「怪し」
 房の僧が、火を灯し刀を提げ70〜80人出て来て調べると、
 麻柱の中に落ち挟まった男を見つけ、引き上げる。


仁和寺の法師話だから冗談話が入っていそうな気もするが、そうではないように注意深く記述している。と言っても、知の欠片も感じさせない話を引いてきたのだから、本質的には同じことかも。

寛朝僧正は重要人物であり、他の話にも登場する。
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#16]安倍晴明随忠行習道語
天文博士 安倍晴明が陰陽師 賀茂忠行のもとで修行していた頃のこと。
 師が車中で寝入っている時、鬼が向かってきた。
 お伴の晴明が起こしたので、呪術で払うことができた。
 このことで、師は陰陽道をすべて伝授することに。
忠行の死後、独立。家は、土御門北、西洞院東。
ある時、播磨の老僧が陰陽の法を習いにやって来た。
 力験しの訪問と見て、
 識神らしき供の童二人を呪文で消してしまい、
 後日、御教えすると伝えた。
 老僧、見抜かれたことを知り弟子入り。
そんな晴明が寛朝僧正のもとに参上したことがある。
 お側の公達や僧が、識神で人を殺す術への関心を示した。
 庭の蛙を殺して見せて欲しいというので、
  草の葉を摘み取り呪文を唱え蛙に投げつけた。
  死んでしまったので、皆、色を失う。



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