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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.6] ■■■
[68] 平安期の寺
南都の寺は、土着の神にかなりてこずったようだが[→]、平安期の寺はその逆である。
日本仏教の新しい流れを造った、最澄と空海はいずれも神のご加護と布教活動の支持を頂戴できたのである。
そして、多くの寺は、地主神が積極的に寺を誘致しているのである。
これが、「今昔物語集」編纂者の眼から見た日本仏教史であり、南都仏教からの脱極に於ける重要な一面ということになろう。

平安期の寺シリーズの寺は以下の通り。
【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史) 創建縁起譚
  [25]…高野山 (弘法大師)
  [26]…比叡山 (伝教大師)
  [27]…楞厳院@横川 (慈覚大師)
  [28]…三井寺 (智証大師)
  [29]…志賀寺 (天智天皇)
  [30]…笠置寺 (天智天皇御子)
  [31]…長谷寺 (徳道上人)
  [32]…清水寺 (田村将軍)
  [33]広隆寺 (欠文) (秦川勝)
  [34]法輪寺 (欠文) (□□□)
  [35]…鞍馬寺 (藤原伊勢人)
  [36]…信貴寺 (修行僧明練)
  [37]龍門寺 (欠文) (□□□)
  [38]…龍蓋寺 (義淵僧正)

ここでも神が登場する譚を眺めていこう。

弘法大師空海の場合、明神が直々にお出ましになり、高野山の地を案内し、その地を寄贈する。
《高野山》弘法大師始建高野山語
 弘法大師は大和国宇智に至り猟人に出合う。
 そして、
  「我れ、唐にして三鈷を擲て、
    "禅定の霊穴に落よ"と誓ひき。
   今、其の所を求め行く也。」と。
 それに対して猟人は、
  「我れは是南山の犬飼也。
   我れ其の所を知れり。
   速に教奉るべし。」と。
 :
 紀伊堺、大河の辺に宿泊。
 そこで、さらに、山人に出合う。
 大師が問うと、
  「此より南に平原の沢有り。是其の所也。」と。
 :
 山人、大師に相具して行く間、密に語て云く、
  「我れ、此の山の王也。
   速に此の領地を奉るべし。」と。
 :
 山中に入り、打立てられた三鈷発見。
 そこで、
  「此の山人は誰人ぞ?」と問うと、
 返答は、
  「丹生の明神となむ申す。
   今の天野の宮是也。
   犬飼をば、高野の明神となむ申す。」
○丹生明神とは、丹生都比売神社のご祭神。水銀産出に係わる。子が高野大神とされる。

最澄の場合、神が、渡航を護ってくれ、布教祈願もかなえてくれる。
《比叡山》伝教大師始建比叡山語
この譚の、最後に、唐突な文章が登場する。
 彼の宇佐の給へりし小袖の脇の綻びたるに、
  薬師仏の御削り鱗付て、
  于今根本の御経蔵に有り。
どういうことかと言えば、別な譚の続き。・・・
[巻十一#10] 伝教大師亙唐伝天台宗帰来語
 伝教大師は渡唐を前にして、
  先ずは宇佐の宮に詣で、
   旅の平安を祈願。
 お蔭で唐で天台法文を習ひ、伝へることができた。
 唐からの帰朝に際しでも
  先ずは宇佐の宮に詣で、
  御前に礼拝恭敬し、
  法花経を講じる。
 その上で、請願を行う。
  比叡山を建立し 多くの僧徒を居住させ
  唯一無二の一乗宗を立て
   有情非情皆成仏の旨を悟らしめ
  薬師仏を造奉し、
   一切衆生の病を愈しめむと思ふ
  この願は、大菩薩の御護に依て遂ぐべき。
 :
そのようなことで、比叡山は出来上がった訳である。
そして、
 春日の社に詣て、神の御前にして法花経を講ずることに。
○最澄のこの時期の記録
・802年入唐求法還学生に。
・803年宇佐の宮参詣。
 勧めにより、豊前香春社(渡来の新羅神)で法華八講の法会
・804年出航
・804年帰国
・812年住吉大社参詣。
・814年瀬戸海経由で筑紫上陸。
 -竈門神社(寺)
 -香春社宇佐の宮
○宇佐の宮の御祭神応神天皇のご神霊が571年にご示顕。725年社殿造立。733年、ご神託で比売大神をお祀り。(さらに、823年に応神天皇の御母、神功皇后をお祀り。)
○春日の社の由来は、平城京の時代に、鹿島から武甕槌命を御蓋山浮雲峰にお迎えしたことから。768年には、称徳天皇勅命で左大臣藤原永手が社殿造営。香取から経津主命、枚岡から天児屋根命・比売神をも迎えて合祀。


横川の慈覚大師円仁になると、渡来神のが守護した上に、本朝の多くの神々が如来堂安置の大師写経の法華経を守護するのである。尚、首楞厳院とは横川中堂のこと。
《楞厳院》慈覚大師始建楞厳院語
 唐に赤山と申す神在ましけり。
  「大師を守らむ」と誓て、
  大師に共なひて、此の朝に来れり。
 然るに、此の山に留て、
  于今楞厳院の中堂の傍に在ます。
  「山の仏法を守らむ」と誓を発て、
  永く此の山に留る。
 :
 大師、此の山に大なる椙有り。
  其の木の空に住して、
  如法に精進して、
  法華経を書給ふ。
  既に書畢て後、堂を起て此の経を安置し給ふ。
  如法経是に始る。
 其の時に、
 此の朝の諸の止事無き神
  皆誓を発て、
   「番を結て此の経を守り奉らむ」と誓へり。
○赤山明神は中国山東の山神 泰山府君らしい。修学院 赤山禅院に祀られている。

智証大師円珍は、三尾明神が守護。
《三井寺》智証大師初門徒立三井寺語
 唐車に乗たる止事無き人出来れり。
 大師を見て、
  喜て告て云く、
   「我れは此の寺の仏法を守らむと誓へる身也。
    而るに、今、聖人に此の寺を伝へ得て、
    仏法を弘め給ふべければ、
    今よりは深く大師を頼む」と契て返ぬ。
  此の人、誰とも知らず。
 然れば、共に有る□□大師、
   「是は誰人の御するぞ」と問ふに、
   「是は三尾の明神の御す也」と答ふ。
  然ればこそ、只人には非ずと見つる人也。
○三尾明神は長等山地主神。琴緒谷に社殿が建立されたが、後、上三尾社(三井寺 南院の鎮守社)が造営された。(北院の鎮守社は新羅社。)

巨石信仰の地にも寺が創建された。
《笠置寺》天智天皇御子始笠置寺語
天智天皇御子崖で進退窮まる。
 皇子、歎て云く、
  「若し此の所に座せば、
   山神等、
   我が命を助け給へ。
   然らば、
    此の巌の喬に弥勒の像を刻み奉らむ。」
  と願を発す。
○笠置山(289m)は木津川の南岸にあり、山中至るところに花崗岩の巨岩が露出している。磐座の地を弥勒磨崖仏(笠置寺本尊)の地に塗り替えた訳である。

長谷寺本堂に安置されている十一面観音像を招請していたのは地主神である。
《長谷寺》 徳道上人始建長谷寺語
  ・・・我れ、此の木を以て、
  十一面観音の像を造奉らむ」
 と、徳道上人は思ったのだが、
  力無して、輙く造奉らむに堪えず。
しかし、元正天皇や房前の大臣のお蔭で道ができ、高さ二丈六尺の十一面観音の像ができる。
その間のこと。
 徳道、夢の中に在まして、
 北の峰を指て、
  「彼の所の土の下に、大なる巌有り。
   早く掘り顕はして、此の観音の像を立奉れ。」
 と見て、夢覚ぬ。
○地主神を祀る三社権現/滝蔵三社(石蔵権現+滝蔵権現+新宮権現)は733年の聖武天皇勅令で徳道上人が創建。もちろん、夢を見た場所である。

夢に出現した地主神が場所を指示して建立されたのが鞍馬寺。
《鞍馬寺》藤原伊勢人始建鞍馬寺語
東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人は私寺建立の請願を立てた。すると、鞍馬寺を建立の夢告。・・・
 王城より北に深き山有り。
 其の体を見に、二の山指出て、中より谷の水流出たり。
 絵に書ける蓬莱山に似たり。山の麓に副て河流れたり。
 此の所に、年老たる翁出来て、
  伊勢人に告て云く、
  「汝ぢ、此の所を知れりや否や」と。
  伊勢人、知らざる由を答ふ。
 翁の云く、
  「汝ぢ、吉く聞け。
   此の所は霊験掲焉ならむ事、
    他の山に勝れたり。
   我れは此の山の鎮守として、
    貴布禰の明神と云ふ。
   此にして多の年を積れり。
    北の方に峰有り。絹笠山と云ふ。
    前に岨き岡有り。松尾山と云ふ。
    西に河有り。賀茂川と云ふ。」
 此の如く教て去ぬと見て、夢覚めぬ。
○貴布禰明神は水神。貴船神社の御祭神は高神。である。名称的には、闇神が土着だと思われるが、別途祀られているのではないか。葦原瑞穂国時代の神と思われる。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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