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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.9] ■■■
[132] 算術
漢数字表記では筆算ができないので算木/籌を用いる布算が行われていたようで、零、負、逆数の概念を駆使した方法論も含め、早くから算術は発達していたようだ。方程式も解ける高度なものだった可能性もある。
ただ、算木は、易占での、筮竹操作結果の爻を表示する記号としても使われたので、算術は演算論理学ではなく、呪術のカテゴリーと見た方がよさそう。

"一応"、算術にも触れておく必要があるか、といった風情のお話が収録されている。本朝では重視されていないという点を伝えるために収録したのではないか。
  【本朝仏法部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#22]俊平入道弟習算術語
 丹後の前司、高階俊平朝臣は、
 後に法師となり丹後入道と称していた人だが
 無官職の弟がいた。
 その弟だが、
 太宰帥 閑院
(藤原)実成[975-1045年]のお供で鎮西に下っていた時、
 渡来唐人で学才に優れた者がいたので、
 算を習いたいと申し込んだ。
 試験があり、素質がありそうとの評価をもらった。
 日本は算道軽視の国なので、
 渡宋すると約束するなら、教えてくれるという。
 そこで、宋で重用される見込みがあるなら、
 一緒に渡宋致しますと返事したので
 本気で教えてもらえることに。
 そのためえらく上達。
 次の段階として、
 病気を治癒する術や
 狙った輩を殺す術等があり、
 これらを教えてもらうには渡宋の誓言が不可欠と言われ、
 行く気はなかったが
 術は習得したかったので、受けることにした。
 ただ、殺人術だけは船中で教えるということで
 それ以外は熱心に教えてもらうことができた。
 ところが、
 安楽寺訴訟で太宰帥が解任され上京の命。
 
(実成の郎等 源致親が安楽寺の雑物を盗んだ。)
 供として付き従うことになった。
 唐人は 約束もあるから、引き留めにかかったが、
 長年のご主人の大事ですからということで
 言いくるめて上京してしまった。
 その後、
 渡宋予定もあるから早く戻るようにとの
 催促が来たが、
 老いた両親の問題を持ち出し
 戻らずに時間が過ぎて行った。
 唐人は騙されたことを知り
 呪いをかけて帰宋してしまった。
 そのため、俊平の弟はボケてしまったのである。
 結局、俊平入道の所や山寺等で
 法師の生活に入ることになった。
 そんなことで、入道の君と呼ばれていた。
 ある庚申待ちの夜、
 若い女房達が集まっている片隅に
 入道の君が座っていたことがあった。
 夜も更け、眠くなってきたので、
 入道の君は面白い物語をするよう頼まれた。
 口下手で物語は無理ですが、
 笑わせることならできますと返事。
 言い出した若い女房は、
 猿楽なら物語より面白いでしょうと嘲笑。
 そういうことでなく、単に笑うだけと、言うと、
 それならすぐに始めて、と。
 そこで算木を取り出した。
 これを見て、若い女房は、
 さあ皆さん一緒に大笑いしましょうと声をかけ、
 入道の君を徹底的に馬鹿にする。
 入道の君、気にせず準備を進め、
 笑い転げてお苦しみにならなければよろしいですが、
 と声をかける。
 若い女房は、
 算木を捧げる手つきがいかにも間抜けで
 面白いですワ、とあくまでも馬鹿にし続ける。
 すると、術が効いて
 全員が笑い始めたのである。
 止めたくても、止まらないのだ。
 入道の君に拝んで止めてもらったものの
 皆、横たわって病人のようになってしまった。
 算木には恐ろしい力があるのだ。


呆けて間抜けな人間で、兄の保護のお蔭でかろうじて僧形で生活しているだけの男と見なされていたが、そこまで馬鹿にするなら、威力をみせてやろうと、力を振り絞っての唯一の抵抗。
それでどうにかなる訳ではないのだが。

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