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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.26] ■■■
[149] 殿上頓死処置
殿上頓死はよく知られた話らしい。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#29]蔵人式部丞貞高於殿上俄死語

御簾内に天皇御臨席のもと、右大臣が設定した宴に殿上人がズラリと集まる壮大な儀式での頓死発生など、えらく稀有な例だから、必ず引かれる事件なのである。

頓死者は藤原南家の系譜に連なっており、宴を差配していた右大臣は北家である。
【南家】
○武智麻呂─巨勢麻呂─貞嗣[759-824年]─高仁─保蔭─道明─尹忠[906-989年]─貞廉─実光─貞孝/貞高
【北家】[→藤原氏列伝]
○房前



○忠平[880-949年]
├┐
│○師輔[909-960年]─兼家─道長─頼通
○実頼[900年-970年]
├┬┬┐
┼┼○斉敏[928-973年]
┼┼├┬┬┐
┼┼┼┼┼実資[957-1046年]

すでに、摂政関白は藤原氏から選ばれる状況になっており、権力闘争は藤原氏内部に移っていた。そのなかで【南家】は目立たぬ存在になっており、【北家】内での熾烈な勢力争いに耳目が集まっていると見てよさそう。そのなかで、実資は皆から好まれていたようだ。

他書からすると、頓死発生は981年である。
 円融天皇[959-991年]代のこと。
 内裏焼失で御所は後院に。
 ある日の夕刻、
 殿上人・蔵人が大勢集まって大きな食卓で食事をしていた。
 式部丞蔵人 藤原貞高も着席していたが
 卓にうつぶせになって、大盤に顔を当て
 喉をくっくっと鳴らしており、
 実に見苦しい格好をしていた。
 小野宮右大臣 藤原実資[養父が祖父の実頼]が
 従者の主殿司を呼び
 「部丞の居振舞いは心得ぬもの。
  近くに寄って見てみよ。」と命じた。
 主殿司が近寄り様子を探ると
 「もうお亡くなりになっております。
  どんでもないご様子。
  なんと言うことでしょう!」と。
 これを聞いて、
 食卓に着いていたありとあらゆる殿上人・蔵人は
 立ち上がって、
 それぞれが向いている方に走りだしてしまった。
 頭中将は
 「さりとて、このままにしておくことはできぬ。
  奏司の下部を召し、搬出させよ。」と仰せに。
 そこで、
 「どの陣から搬出すればよろしいでしょうか?」と申仕上げると
 頭中将は
 「東の陣から出すべし。」とお答えになったので
 蔵人所の衆・滝口・出納・御蔵女官・主殿司・下部共に至るまで、
 東の陣から運び出されるのを見ようと競って集まってきた。
 すると、頭中将は
 突然、違ったことを言い、
 「西の陣より搬出せよ。」と。
 そこで、殿上の畳にのせて
 西の陣から運び出されたのである。
 見物しようとしていた者は若干だったが、
 その様子を見ることはできなかった。
 陣の外に搬出された遺体は、
 迎えに来ていた、父親の三位が運び去った。
 「賢くも、人に目につかぬよう、ことを処理した。」人々は言っていた。
 これは頭中将の哀びの心からの対応で、
 東と言っておいて、西に変更して、見せないようにしたということ。
 その後、10日ほど経ち、
 頭中将の夢に、かの式部丞蔵人が登場し、内々に会った。
 寄って来たが、際限なく泣きながら色々と言う。
 それを聞けば、
 「死に恥を隠して頂いたこと、
  来世になっても忘れ難きことででございます。
  仕えている人々が集まってきており、
  西から出して頂けなかったら
  沢山の人にじろじろ見られてしまい
  それこそ死に恥の極致でございました。」と
  泣く泣く、手を摺り合わせて喜んでいた、
 そんな夢だった。


マネジメント能力が卓越していることを示す話になっているが、死を穢れとして避ける筈なのに見物人が集まってくるというのが面白い。いくら昇位してもやっと殿上人という層以下の人々からすれば、雲上人の死は別な世界の出来事で、バラバラ殺人現場を見に行くのと同じ気分かも知れない。

顔に布を被せればよさそうに思うが、そうもいかないようである。

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