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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.11.27] ■■■
[150] 器物霊
器物の精霊を扱った話が収載されている。

モノの精霊ということで、明確なように思ってしまいがちだが、実は相当に曖昧な概念であり、時代に応じて自由自在に変化してきたと思われる。そこがいかにも日本的。
そんなところが、「酉陽雑俎」が提示するような、中華帝国に於ける器物霊との違いを生み出していそう。[→"器物霊"]

それに「今昔物語集」編纂者には余り興味がなかった可能性もあるし。

現代にも通用していそうなのは、モノを性根籠めて造るとその作者の魂が宿っているとの考え方。

もう一つは、長く使っていた人の心が宿るというもの。持主の愛着であったり、その思想性が付与されており、その精神が霊となるのであろう。セカンドハンド品にお清め儀式を行うことがあるのは、そんなところだろうし、持主から有り難く頂戴するとその方の霊が護ってくれるとの感覚があったりするようだ。

これとはかなり異質なのが、リユース推進の発想で、現代でも通用しそうな精霊感覚。モノそのものが擬人化されて、それが霊的存在になるというもの。古くは、付喪神とか九十九神と呼ばれ、長く扱き使われたモノを打ち捨てると、ヒトが怒って反逆するのと同じように、襲われたり祟られることになる。

「今昔物語集」の場合ははたして上記のどれにあたるのかは定かではない。
ただ、出現姿は、五位という最下層殿上人の装束着用。お笑い小人芸人的な印象もあるから、「昔は楽しかった。」とスキップしている器物霊と解釈すべきかも知れない。
陰陽師がの企画の可能性も捨てきれないが、どもあれ、すでに器物霊という概念が通用していたようだ。「百鬼夜行絵巻」は室町期の作品だが、その原案はこの時代から存在していたと見てよいかも。

内容はこんなところ。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#_6]東三条銅精成人形被掘出語

 東三条の式部卿の屋敷の庭の南には
 小高い山が造成されていた。
 そこを、背丈が3尺くらいで太った五位の人が
 時々歩いていたのを、
 皇子がご覧になられ、怪しまれていた。
 この五位がたびたび現れるので、
 止事無き陰陽師を召し
 どんな祟があるか尋ねた。
 陰陽師は
 「これは物の気であり、
  人に害を及ぼす者ではありませぬ。」と
 占いの結果を申し上げたが、「その霊はどこに居るのか?
  又、何の精霊なのか?」
 と問われたので
 「これは銅の器の精霊でございます。
  お屋敷の辰巳
(東南)の角の土の中に居ります。」
 と占った。
 陰陽師の申す通り、占いの当該場所を2〜3尺掘ってみたが
 求めるものは見当たらない。
 陰陽師は
 「さらに掘るべきです。
  ここから離れた所にはありませんから。」
 と占いで言うので、
 5〜6寸掘って行くと、
 5斗入りの銅製提が掘り出された。
 その後、五位が出歩くことはなくなった。
 大変に惜しいことをした。


中華帝国だったら、十分からかってからぶん殴って殺すとか、有無を言わさず即時抹殺しねないから、極めて穏やかな解決方法ではあるものの、"糸惜しき事"との感想が面白い。
何の害も与えず、せっかく愉しんで歩き回っていたのに、可哀想なことをしたという気分がアリアリ。

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