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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.11] ■■■
[195] 狩猟狂
現代でも、狩猟狂と呼ばれる人が一定数存在する。

動物を殺すなという、恣意的で曖昧なスローガンの運動が盛んなので、見えてこないが。

日本が仏教国となり、名目上では殺生禁断は広がったが、ベジタリアン化はできなかったのが実情。

しかし、流石に、滅茶苦茶に殺生に勤しむ人は異端である。

そんな人の行状が描かれた譚がある。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#27]主殿頭源章家語

仏教的には、狩猟は"造罪"行為だから、そのようなコメントも入るものの、当人はそんなことは露ほども気にしていない。
そして、何と言っても見ておくべきは、仏罰が下る話が欠けている点。

そして、狩猟狂は、物の怪の仕業で発生した訳ではないし、気が狂っているのでもないのだ。

どう見ても、ヒトはもともとは肉食。殺生せずにいられない狩猟狂とは、そんな、ヒトの原像を垣間見せてくれているのかも、と感じて狩猟狂譚を収載したくなったのと違うか。
死者への哀悼にすべての時間を費やしていたら、とても生き残れなかった時代があったということでもある。そもそも、僧が生きていける社会とは十分な余裕があることを意味しており、そんなことがとても無理だった時代もあった筈なのだから。

そう考えたなら、ヒトとは、所詮、殺生しなければ絶滅必至の動物群に属しており、その智慧が格段に優れていたから生き残っていると言えなくもない。
従って、お話は、これでもかといった殺生事例を並べただけになる。・・・

○源章家は主殿寮の頭(長官)
   《主殿寮職掌》
  【乗物】行幸用輿・輦・蓋管理+供奉
  【殿舎・調度】帷帳設営、湯殿供奉、殿庭掃除
  【灯火】燭/火・燎管理+薪炭の調達

 武家ではないが、その性状は極めて勇猛。
 昼夜朝暮、殺傷を仕事と考えるようなお方。
 常人には、人のする事とは思えなかった。
 
○肥後守として赴任中のこと。
 非常に可愛がっていた男児がいた。重篤な病に罹ってしまい
 嘆き、手を尽くしていたが、
 その最中に小鷹狩に出かけたのである。
 郎等・眷属は、世間一般的に非情な行為と見なしていた。
 その子は、ついに亡くなってしまった。
 母親は、死んだようになってしまい、
 児の遺体の側を離れず
 泣き沈み臥せてしまった。
 女房・侍達も、長年に渡り見馴れていた児だったので、
 素直だったことを思い出し忍び難く、涙々。
 一方、章家は
 児が死んだのを見ていながら、
 その日を遺体と過ごさず、
 狩に出かけて行った。
 それを見ていた者達は、
 どうしようもないお方のする事と思った。

○これを見た智慧ある清浄を旨とする僧は、
 章家を責めたものの、良い方に行くようにと、
 「これは、尋常なことではなく、ただならぬこと。
  物が取り憑いたのだろう。」
 と言うのだが、
 当人は、
 およそ、何事についても、慈悲心など無く、
 「ただただ、生きている者は殺すのだ。」と思い込んでおり、
 哀れみの情など欠片もないのだった。

○正月18日のこと。
 観音菩薩の御霊験あらたかな寺に参詣。
 その道中、
 野焼きの跡に少し焼け残った草を見つけた。
 「この草叢の中に、必ず兎がいる筈だ。」
 人を遣って追わせると、6羽の子兎走り
 出てきた。
 すかさず下衆達が捕獲。
 「それ見たことか。ここには兎がいるのだ。」
 と言って草に火を放とうとしたから、
 お供の郎党達は
 「年の初めの18日に御詣でておりますのに、
  それはよろしくありません。
  せめて、寺から帰還の折に。」
 と言い、止めたが、
 聞き入れず
 馬から下り、自らその草叢に火を放った。
 しかし、兎はたいしておらず、
 先の子兎の親と思しき兎が1羽走り出ただけ。
 その兎は打ち殺し、
 子兎の方は
 「侍の子供に取らせて飼わせよう。」と、
 1羽づつ持って行くことに。

○と言うことで、参詣から舘に帰還。
 侍が板敷に上がる場所に、平らで大きな踏み石を据えた。
 章家はその石の上に立ち、
 「手に入れた子兎はどうした?」
 と問うので、
 取った者達は、小舎人童等に抱かせて持って来た。
 「ここで、しばらく這わせてみようと思う。」
 と言って、それらの子兎を取り上げた。
 6羽を一度に抱き抱え、その姿はまるで母親が幼子をあやすようで
 「我が子、我が子。」
 と言う。
 郎党達は
 「ただのお遊び。」
 と見て、庭で居並び見ていると、
 「年始の走り物だ。
  この生を食べぬのはいまいましい事。」
 と言って、
 その6羽を一度に石に叩きつけてしまった。
 主人の鹿・鳥殺生を面白いと思って
 何時もは、囃していた郎党達も
 流石にこの日のこの行状を見ては
 余りの哀惜さに耐え切れず
 一度に立ち上がり逃げ去ってしまった。
 章家は、その日のうちに、
 子兎の肉を焼いたりして食べ尽くしたのである。

○肥後飽田の狩地は、
 今は微妙な雰囲気だが、
 もともとは、倒木は高く、大小の石だらけの地。
 このため、馬を走らせにくく、
 10頭の鹿が見つかっても6〜7頭は必ず逃がしてしまう状況。
 そこで、章家は、3,000人を動員し、石を皆拾わせ、
 窪地はその石と土で埋めつくし、
 平にさせたので、
 馬が走っても、躓くことがに無いようにした。
 その上で、
 人を沢山集め、山々からこの狩場に
 鹿を追い込んだ。
 今度は、10頭中1頭たりとも逃れることができなかった。
 章家は大いに喜び、数知れぬほど鹿を獲った。
 その鹿の皮は、国の者達に処理して献上するように命じて預け、
 肉の方だけは国府に運ばせ、
 館の南面の、木々も無く、遥かに見渡せる広い庭に、
 隙間なく並べて置かせたが、
 それでも置くことができない肉が出て
 さらに、東西の庭にも置いたのである。
 こうして、昼夜朝暮、休む日無しに殺生を続けた。

○家の者によれば、
 章家は、
 「飽田の石拾の罪をどうしたものか?」
 と嘆きながら息を時期取った。


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