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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.4] ■■■
[219] 出雲路の鯰汁寺
京都の北にあった出雲寺とは、平安遷都以前から出雲臣の地である出雲路の氏寺。

里が2つあったようで、上、下の2寺あったが、何れも早くに廃寺に。

上は現在の上御霊神社の境内に当たる場所にあったと推定されており、下は、下御霊神社の修法堂となったと言われている。
尚、寺町通の光明山出雲寺は1353年良阿創建で直接的な関連はなさそうだが、神仏分離令に基づき、1872年に上御霊神社の上出雲寺遺仏の出雲路観音が安置されたと伝わる。

「上津出雲寺」は廃寺化して当然といった調子の譚が収載されている。
札付きの妻帯住僧に貶められ続けてて来た寺ということのようだ。
  【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報)
  [巻二十#34]出雲寺別当浄覚父成鯰肉得現報忽死語
○「上津出雲寺」建立されて長い年月経っており、
 修理する人もなくお堂も倒壊寸前。
○伝教大師が震旦に渡っていた時、
 達磨宗をうち立てるためのお寺ということで、
 この地は殊に勝れて微妙と評価されて候補になったものの
 住僧がご濫行ということで見送られた。
 止事無き場所にもかかわらず。
○別当は浄覚と言い、先代の息子。
 代々、妻帯者で、息子が後を継いてきたのである。
○ある時、死んだ父の別当が突如として浄覚の夢に現れた。
 老境で、杖をついており、頼みがあると言う。・・・
   仏物誤用の罪で、2〜3尺の鯰に転生させられ、
   今、寺の屋根瓦の下の雨水の溜まりに棲んでいる、と。
   狭く、暗い場所なので、苦しく寂しい生活だ。、
   ところが、明後日の昼遅く、大風が吹いてお堂は倒壊する。
   そうなると、我は、地面に墜ちて庭を這い歩くことになり、
   童部に打に打ち殺されてしまう。
   そこでだ、
   桂河に持って行って放してくれたまえ。
   そうすれば、広々した水で楽しく生きていける。
 そう告げられたところで目が覚めた。
 その後、妻に語ったのだが、
  「どういうことよ。」との反応。
○当日、昼過ぎになると、にわかに雲ってきて、風が強くなった。
 木々が折れ、家が壊れていき
 人々は風対策の補強をしたものの
 大風の力にはどうにもならない。
 言われた頃になると
 寺は吹き倒され、柱は折れ、棟は崩れ落ち、倒れてしまった。
 裏板中の長年溜まっていた雨水も出てしまったが
 そこにいた多くの魚が庭に落ちてしまった。
 辺りの人々は、桶を持って来て掻き入れて大騒ぎ。
 そのなかに、夢の通り、3尺ほどの鯰がおり這い出てきた。
 ところが、
 浄覚は食い物に貪欲で、邪見深き僧だったので、
 夢の話なと思いもせず、
 大きく旨そうに肥えている姿を見て、
 長い金杖を鯰の頭に突き立て、
 息子の太郎を呼んで「コレ、取れ!」と言う。
 大きい魚なので、顋を草刈鎌で掻き切り、葛蔓を通し運んだ。
 他の魚も含めて、家の桶に入れ、女共に渡したのである。
 すると、妻は、この鯰を見て、
 「これは夢に出て来た魚なのにどうして殺したの?」
 と言うので
 「童に殺されても同じこと。
  あえて、、我が取り、
  他人を交えず 子供達に美味しく食べてもらうのだから
  亡き別当も嬉しいと思っておろう。」
 と言い
 "ツブ"と切り、鍋で煮て、じっくり食べたのである。
 「驚くほどだ。どういうことなのだろうか。
  この鯰は、他の鯰と較べることもなき、甘い味ではないか。
  これは、亡き別当の肉であるから、素晴らしいのだぞ。
  汁も啜れよ。」
 とも妻に言う
 ところが、
 賞味しているうちに、
 大きな骨がが喉に刺さってしまい、
 "エツエツ"と吐くことになってしまったが、
 骨は出てこないで、そのまま死んでしまった。
 妻はそれから、心底、鯰を遠ざけるようになった。


たいした手間でもないから、鯰を放流してあげればよさそうなものに、と誰でもが思う話である。
しかし、美味しそうだから、屁理屈をつけて食べてしまうのである。
つまり、「今昔物語集」編纂者は、調子を合わせ、仏教に帰依していると言い張って来た人達のお寺と見なしたのであろう。

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