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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.18] ■■■
[506] 般若経の船
🚣天竺追尋聖跡📖→と組みにしてもよさそうな譚も元ネタ引用だけで済ましていたので改めて取り上げよう。📖震旦般若経霊験
この譚の場合、前もって説明が必要である。

は7世紀前半に佛陀聖蹟参詣のため海路渡天竺を図った僧。途中で台風に遭遇し商船沈没。
乗船者は争ってボートに乗り移ったが、席を譲るという自己犠牲精神を発揮。西を向いて阿彌陀佛名號を称えた。同行弟子1名死亡と伝わる。
極楽浄土転生を願う僧である。
 "常發大誓,願生極樂。所作淨業,稱念佛名。"
だが、"遂願寫《般若經》,滿於萬卷,
 冀得遠詣西方,禮如來所行聖迹,以此勝福,迴向願生。
 遂詣闕上書,請於諸州教化抄寫《般若》。"
   [「大唐西域求法高僧傳」卷上并州常慜禪師]

収録譚では、常は単に「般若経」写経をお勧めするだけで登場するが、この背景あっての話と見た方がよかろう。

震旦では、海難を避ける上での「般若経」霊験についてはよく知られているし、それが"海の彼方"の浄土への往生観と自然に繋がるのだろうが、本朝の風土では必ずしもそれが通用しないことを指摘しているとも言えよう。
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#_5]震旦并州道俊写大般若経語
并州の僧 道俊は出家以来念仏三昧専修。
一生を賭け、極楽往生祈願。
同じ并州の僧 常も極楽往生の誓いを立てて修行。
ただ、その内容は極めて広範に及んでおり、
「大般若経」を万巻書写。
そんなこともあって、あるとき、
は道俊に
ひたすら「大般若経」書写すべき、とアドバイス。
ところが、道俊は念仏修行専念で、割く時間が無く
書写など無理と答えた。
しかし、それでも説得を続けた。
「般若経」が菩提到達の最短コースであるし、
極楽往生のためには不可欠だから、と。
しかし、道俊は姿勢を変えず、
書写せずとも、自分は疑いなく浄土転生できる、と言い張る。
その夜のこと、道俊は夢を見た。
 海岸に立っており、西方の遠くに海を隔てて岸辺が見えた。
 そこには、筆舌尽くし難き厳かで美しい宮殿があった。
 そして、手前の渚には一艘の船があり、
 6人の天童子がに棹差して乗っていた。
 道俊は船上の天童子達に西岸に渡して欲しいと頼んだ。
 ところが、
 汝は不信心者なので乗せられないとの対応。
 その理由を問うと、
  この船は「般若経」であり
  「般若経」無しでは、生死の海を渡ることはできない。
  極楽浄土に至ることができる訳もない。
  汝が、たとえ、この船に乗ることができたとしても、
  船はすぐに沈んでしまうことになる。
そこで夢から覚めたのである。
道俊は驚いてしまい、自分の姿勢を後悔。
持ち物すべてを捨て、「大般若経」書写奉り、心を込め供養。
その日のこと。
紫雲が西方から棚引いて来て、空からは音楽が流れ、
道俊は歓喜し、益々、供養に精を出した。


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