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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.3] ■■■
[61] 久米部歌謡こそ和歌原型
「今昔和歌集」にまともに触れていない門外漢が言うのもナンナンダであるが、"仮名序"を読むと、これは"やまとうた"の精神を引き継ぐものではなく、漢詩の精神を和風に変換したものではないかと思えてきた。

「万葉集」も「古事記」も、誰が見ても、漢文が抱えざるを得ない官僚的秩序から脱するために、苦労して漢字表記の"やまとうた"の世界を書籍化しているのは明らか。

「古今和歌集」は、仮名文字での三十一文字の詩集編纂書だから、"仮名序"の思想も同じだろうと見ていたが、どうもそうではなさそう。

「万葉集」は難解で手が出ないが、冒頭の雄略天皇御製はわかり易いし、重視した意義もなんとなく伝わって来る。その編纂方針は、皇統譜的に記載する「古事記」的である。ところが、"仮名序"は、漢詩脱却を目指すという点で同一路線に映るが、この方針とは一線を画していると言ってよかろう。
そういう点では、それこそテクニック中心に映る、後世の「新古今和歌集」の方が余程「古事記」感覚に近いように思ったりする程。と言っても、こちらは本歌取に凝っているからと言うに過ぎぬが。

誤解を恐れず言えば、「万葉集」#1歌は、他の天皇の御製かも知れぬが、誰もが雄略天皇としたいと思っているに違いないということでもある。卑近な言い方をすれば、これは作品としての、鑑賞『歌』ではなく、人気ナンバーワン歌謡として収載されたと見る訳である。
"仮名序"から判断すると、「古今集」とは個人個人の作品集。集まりで謡うための言葉を記録した書ではなく、作品としてお墨付きを与えたことを記録する公定文書。
その観点では、「万葉集」も「古事記」とは対極的な書なのだ。

「古事記」とは、書籍化せざるを得なくなったとはいえ、あくまでも基本は口誦伝承にある。情報ソースは書籍だろうが、基本は生きている言葉を集めたものとの姿勢を示している。
「万葉集」も同じで、雄略天皇御製にしてから、あくまでも"雑"扱い。当たり前だが、分類した残りの"その他"ではなく、場に合わせて歌われる生きた歌謡だからだ。

漢詩のように、専門官僚が指定する歌の型に当て嵌め、分類評価してもなんの意味も無いと言うことでもあろう。

・・・こう書けば、多少、真意をわかっていただけるかも。

「万葉集」も「古事記」も、"歌う"とは、作品を創るという概念ではない。必ずしもその場での創作である必要もなく、感興が極まって、頭に入っていた言葉が口から出てくるだけのこと。当然ながら、多くの場合はすでに存在している話が含まれている。まるっきり同じ場合もある。
だからこそ、その言葉をすでに知っている周囲の人々に感動を与えることになる。
太安万侶はそこを百も承知。同じ譚が、他書では、全く異なる天皇代の話になっていたりするのは、当たり前の話。

「古事記」には、その典型が収載されている。戦闘集団久米部の歌だ。

いずれも、粗削りの歌謡に映るが、それも当然。勝利の大宴会での寿ぎで歌っているのだから。そんな場で、頭を捻って、いかに雅にするか推敲でもなかろう。
皆、覚えているような句を、即興で歌うのである。知られているフレーズがあれば、皆で唱和し感動を共有することも可能だ。

これこそ、叙事詩の精神そのものと言えまいか。

さて、その久米部だが、上巻の天孫降臨で、随伴の一人として登場するのが天津久米命。久米直等之祖とされている。"天の石靫を背負い、頭椎の大刀を佩帯、天の波士[櫨]弓を持ち、天の真鹿児矢を挟み持ち、天の真鹿児矢を挟持"、とあり、完璧な軍事勢力である。

中巻で引き続き、戦いの場面に登場してくるので、どのように歌うか見ておこう。

●兄宇迦斯の弟が、兄が仕掛けをしていると教えたので、久米直等之祖大久米命らが兄を召し罵詈。武器で脅され、自ら作った罠で自ら命を落とすことに。そして、その死体は切り刻まれる。凄惨そのものだが、あっけらかん。その勝利の宴で歌が続く。・・・
爾卽控出斬散 故 其地謂"宇陀之血原"也然而
其弟宇迦斯之獻大饗者悉賜其御軍 此時
曰:

 宇陀の高城に 鷸羂張る
 吾が待つや 鷸は障らず
 いすくはし 鯨障る
 先妻が 肴乞はさば 立ち柧棱の実の無けくを こきし聶ゑね
 後妻が肴乞はさば 柃実の多けくを こきだ聶ゑね
 "疊々" しや越や 此は威のごふぞ
 "疊々" しや越や 此は嘲咲らば。

シリアスさは欠片も無い。冗談半分のお笑い歌である。宇陀の高城以外でも通用しそうだし、バリエーションはいくらでも即興で作れそうな歌だ。末尾など、歌謡の掛け声以外の何物でもなく、文章化して鑑賞するようなものではなかろう。
おそらく、この忘れがたい事績には、この歌こそが似つかわしいのである。

●"討ちてしやまむ"のフレーズで知られる歌である。
忍坂大室では、尾の生えた土雲勢力の八十猛に遭遇し、饗宴接待役を引き受けさせ、宴席で歌を合図に一気に惨殺することに。故明將打其土雲之曰:

 忍坂の大室屋に
  人多に 来入りをり
  人多に 入り居りとも
 みつみつし 久米の子等が
  頭椎い 石椎い持ち
  討ちてし止まむ
 みつみつし 久米の子等が
  頭椎い 石椎い持ち
  今討たば宜し

如此歌 而 拔刀 一時打殺也
然後 將擊登美毘古之時
曰:

 みつみつし 久米の子等が
 粟生には 臭韮一本 苑が本
  そ根芽繋ぎて
  撃ちてて止まむ

曰:

 みつみつし 久米の子等が
 垣下に植ゑし椒 口疼く
  我は忘れじ
  撃ちてし止まむ

曰:

 神風の伊勢の海のおひしに
 い這ひ廻る細螺の
  撃ちてし止まむ
  撃ちてし止まむ

又 擊兄師木弟師木之時 御軍暫疲 爾
曰:

 盾並めて 伊那佐の山の木の間ゆも
 い行き守らひ 戦へば
 吾はや飢ぬ
 嶋つ鳥 鵜飼が伴
 今助けに来ね

楽勝どころか、辛勝なのは当たり前。もともとベースを欠く侵略部隊でしかないのだから。ロジスティックもままならぬ訳で、土着部族に支援を仰ぎ、日々戦いという状況。しかもそれは、南九州から忍坂の大室屋までずっと続いて来たのである。
ついにここまで来てしまったとの感極まりであろう。
その気分を高めるのが、"みつみつし"という意味不明の枕言葉であるのは間違いない。
三十一文字の部分だけ、皆で唱和してもおかしくないのでは。

●オマケもある。戦い終わっての、平時の婚姻。
これがあるから、軍事部隊の歌謡がさらに引き立つことになる。叙事詩の構成とはそういうものだろう。
於是七媛女遊行於高佐士野【佐士二字以音】伊須氣余理比賣在其中
爾 大久米命 見其伊須氣余理比賣 而 以
白於天皇曰:

 大和の高佐士野を 七行く乙女ども
 誰をし枕かむ

爾 伊須氣余理比賣者 立其媛女等之前
乃 天皇見其媛女等 而
御心知伊須氣余理比賣立於最前 以
答:

 且も いや前立てる
 姉をし枕かむ

爾 大久米命 以天皇之命詔其伊須氣余理比賣之時
見其大久米命黥利目 而 思奇
曰:

 胡鷰子 鶺鴒 千鳥 ま鵐
 何故黥ける利目

爾 大久米命答
曰:

 乙女に 直に逢はむと
 吾が黥ける利目
故 其孃子 白之仕奉也

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