→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.22] ■■■
[111] 神世七代は意味深長
忘却のかなただが、どういう訳か、和辻哲郎の主張の記憶が突然蘇って来た。斜め読みの習慣の切っ掛けをつくってくれた全集読みで出くわした小論だと思うが、筋はまるっきり忘れているものの、全く知らないカタカナ用語が使われていて往生したことを思い出してしまったのである。
「古事記」冒頭の記述から、日本精神を指摘した箇所だから、もしかすると「風土」の文章かもしれぬが。

当時「古事記」には全く関心がなかったが、実に面白かった。曖昧な記憶なので間違っていないとは言い切れないが、日本の神には主体性が無いし、信仰する側にも同じように無いというような論旨だったように思う。

日本の場合、神なのに、表だって登場しないし、誰かに指令することもなく、すぐに後に隠れてしまうというのである。これに対応するかの如く、信仰する側も、直接的にそのような神を尊崇している訳ではない。ダイレクトにお願いしたり、契約を交わすことは無い。
これこそが一大特徴で、神とヒトの交流は、必ず、依り代を通すことになる。

ふと、思った。

葦牙の如くとは、そこが依り代ということか。
言い方を変えれば、神は姿を現さず、実体的には"葦"という物実。
ソリャ、神は生まれるのではなく、成るという表現になるのは当然のこと。
男女の対偶神になって初めて、生まれると言えるのだから。
この論理に、難し気な宗教哲学や教理など不要だと思う。

そうか。
考えてみれば、「古事記」冒頭は、当然の構成なのだ。

序文では、ほとんど道教的と書いてあるが、読む方としては、古代倭国の信仰源流が中華帝国と同じ訳などあるまいと思って読む訳で、それを前提として編纂したと考えてよいだろう。
つまり、読者は、"オヤ、本文は、道教的とは言い難いではないか。"ということになる。そこで、どういうことか考えることになる。もともとの姿と、中華帝国模倣が混在しており、どうなっているのかは自分の頭で考えるしかなくなるのだ。
従って、考えようとしない人からすれば、この書は史書と違って滅茶苦茶な"作品"という感想しか浮かばないことになる。それはある意味正しい。
この企画、凄すぎ。📖古事記冒頭での日本的主張

う〜む。

そうなると、神世七代についは、特に、よく読めと言っているようなもの。

「聖数"八/や"ツに拘りがある国なのに、中華帝国の聖数たるラッキーセブンに従っているのは、どういうことだと思うかネ?」と提起しているようなものだからだ。📖古事記の聖数への拘り

答は自明。

1柱あるいは1代を削除しただけのこと。

「記紀」として読むべきでないと言いながら恐縮至極であるが、「日本書紀」を眺めると、それが確認できる仕掛け。
「日本書紀」は「古事記」の対偶神の1代、「古事記」は「日本書紀」の独神1柱を落としているからだ。
📖獨~隱身時代から対偶神時代へ

両者を合わせて考えれば、一致するということで、一件落着としたいところだが、それは有りえない。実は、自明ではないのである。

史書は、歴史は"神世七代"で幕を開ける。その最後が伊弉諾尊であることさえ描けば必要十分。これに対して、「古事記」が打ち出したいのはあくまでも獨~ 隱身の方。つまり、一致するなど金輪際有りえない。
つまり、「紀」の"神世七代"は伊弉諾尊登場の前奏曲だが、「記」の"神世七代"は一応このような道教型コンセプトを入れることになっています、というお知らせにすぎない。
換言すれば、「ここは、とりあえず7代に致しましたことをお断りしておきます。」という注意書きに過ぎない。

《「日本書紀」"神世七代"》
  <凡三神矣。乾道獨化,所以成此純男。>
 ➀國常立尊/國底立尊
   …"天地之中生一物,狀如葦牙,便化爲神,號國常立尊"
 ➁國狹槌尊/國狹立尊
 ➂豐國主尊
  /豐組野尊/豐香節野尊/浮經野豐買尊/豐國野尊/豐齧野尊/葉木國野尊/見野尊

  <対偶神>
 ➃埿土煑尊+沙土煑尊
 🈚
 ➄大戶之道尊+大苫邊尊
 ➅面足尊+惶根尊
 ➆伊弉諾尊+伊弉𠕋尊

《「古事記」"~世七代"》
  <獨~ 隱身のみ。>
 ➀國之常立~
   …「國」創生の霊的動きの「場」が恒常化。
 🈚
 ➁豐雲野~
   …「雲野」:野に豊かに生気が漲ってくる。
  <男女神による産み出す力が徐々に高まる。>
 ➂宇比地邇~ [妹]須比智邇~
   …「泥/砂泥(比地/須比智)」・・・7代目の原型
 ➃角杙~ [妹]活杙~
   …「杭(杙)」・・・原型の兆し
 ➄意富斗能地~ [妹]大斗乃辨~
   …「と(斗)」・・・性器
 ➅於母陀流~ [妹]阿夜訶志古泥~
   …「─」・・・揃ったことを称賛
 ➆伊邪那岐~ [妹]伊邪那美~
   …「誘(伊邪)」

上記を見れば、「古事記」の🈚に、「日本書紀」の➁國狹槌尊を入れたくなるが、それに該当する神は、神生みで登場するのである。そこには下記に示すように1グループ8柱の神々が並んでおり、1柱だけ外してここに入れ込んだとはとうてい思えない。📖"神生み"構成の解釈は丁寧に

史書の大きな役割である、メッセージ性を考えると、このような神生みの箇所は必要だが冗長過ぎる。簡略に済ませたい筈で、太安万侶の考え方とは合わないのであろう。天・国対偶8柱がもともと存在していたと思わせるに十分な記述の仕方になっている。
神世は7代との通念が出来上がってはいるが、それは中華帝国にママ倣っているだけのことと書いているようなもの。
 〇之常立~ 【別天神5柱最後】
  〇之常立~【神世7代初代】
   🈚
   豐雲野~【神世7代次代(獨~ 隱身神の最後)】
    〇神世7代対偶神】
【山野生活文化系】…大山津見~・野椎~二~因山野持別而生~ 【神生み】
 ➀之狹土~[訓土云豆知下效此]
  ➁之狹土~ 駒形神社@水沢
 ➂之狹霧~
  ➃之狹霧~
 ➄之闇戸~
  ➅之闇戸~
 ➆大戸惑子~[訓惑云麻刀比下效此]
  ➇大戸惑女~

それに、史書の方針からすると、天ッ神と国ッ神の峻別という点で、この対偶神の存在は心地よいものではなかろう。あくまでも、国土形成は國常立尊からであって、それに異存あるような人はいないと見ている訳だから、余計な情報は削るにしくはなしだ。
なかでも、対偶神として天常立神が登場されたのでは、一貫性が崩れた印象を与えかねないから一番こまる。
しかし、「古事記」はそのような配慮からは無縁でまとめる方針だから、"天・国"の常立~を記載することになる。誰が見ても、それは対偶神だが表だって反史書の旗を掲げる訳にはいくまい。そうなると、高天原創世別天神5柱の最後と、神世七代筆頭ということで峻別する以外に手はなかろう。
そんな経緯の編纂とすれば、上記の一覧からすれば、本来的にはここの部分は"天・国"8対偶神だったのかも。
「古事記」は原理的にどうしても史書とは対立的にならざるを得ないのである。

太安万侶の獨~ 隱身指定はとんでもなくクド過ぎる。このことは、獨~ 隱身が"成る"タイプの原初の創世神グループであり、"生む"タイプの男女的対偶神が次の時代のグループという構造であることを伝えたかったことを意味しよう。
冒頭で書いたが、和辻哲郎は早くからそれに気付いていたことになる。

倭の創世神は創造主ではない。諸々の神々が存在する場("原")があるだけで、人格神どころか存在している様を見ることさえできない神々ということになる。神の存在は、葦牙の如き情景から読み取る以外にない。従って、その実体は常に依り代/物実とならざるを得ない。
絶対的に君臨する人格神とは完璧に無縁。

大陸の観念は、天地という宇宙を差配するのは、あくまでも唯一絶対的な人格神の天帝。高天原は存在し得ない。(天地は100%の漢語語彙。訓読みすればアメとツチとするしかない。アマのツチではない。)
中華帝国と倭国の神に対する観念は全く異なるにもかかわらず、道教的な聖数7を力まかせに導入してしまったことになろう。齟齬が発生して当然で、おさまりがつかなくなってしまったようにも思える。そう考えると、史書は流石によくできている。乾道獨化と言い切り、天⇒地⇒純男神(国土神3柱)⇒対偶の神々という流れが明瞭に描かれていて、価値観がよくわかる。

逆に言えば、8⇒7は単なる数字の問題ではないので、太安万侶は相当に苦労して編纂していることになろう。
八の重要な点は、羅列であって、順番はあるがそれは順位ではないという点だが、ここらを伝えるのは骨。七とは、神の世界に官僚的ヒエラルキーを持ち込んだということでもあるからだ。大神は複数だし、大神が絶対的地位に居る訳でもないことを示す話を入れ込むことで、なんとなくその辺りがわかるようにしたのが「古事記」。当たり前だが、表だってそんなことを言える訳がない。

ところで、神生みでは8柱の神グループ。当然のこととして、大国主神も➇番目と思うが、どう勘定するのかはよくわからない。八の出雲譚で始まるが、須佐之男命から数えて7番目としたいようにも見えないではない。📖宇都志國玉~の宮
〇伊邪那岐命
└┬//─△伊邪那美命
〇須佐之男命
└┬△櫛名田比賣
┼┼八嶋士奴美神
┼┼└┬△木花知流比売
┼┼┼布波能母遅久奴須奴神
┼┼┼└┬△日河比売
┼┼┼┼深淵之水夜礼花神
┼┼┼┼└┬△天之都度閉知泥神
┼┼┼┼┼淤美豆奴神
┼┼┼┼┼└┬△布帝耳~
┼┼┼┼┼┼天之冬衣神
┼┼┼┼┼┼└┬△刺国若比売
┼┼┼┼┼┼┼〇大国主神

以上、数字の幼稚なお遊びに過ぎぬが、「古事記」の本質に迫ろうというなら、ココは避けて通れないのである。太安万侶が、本気で、神世7代という観念が倭の超古代伝承と考えていたかを考える必要があるからだ。
 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME