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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.19] ■■■
[138] 神世概念は儒学的歴史観とは水と油
「史記」に倣った、水戸光圀:「大日本史」は水戸藩の事業として250年ほど継続[1657〜1906年]し、明治時代に完成したとされる。漢文体であるものの、国史である「紀」のような編年体ではなく、以下の様な紀伝体。「古事記」上巻に当たる部分は志の一巻に過ぎず、1893年刊で極めて軽い扱い。
水戸藩としては、祭祀王としての天皇を描くことで、武家が日本国の王権を維持することの正統性を示す目的で制作したのだろうから当然の姿勢だと思う。
 本紀 巻__1〜_73(神武天皇〜後小松天皇)
 列伝 巻_74〜243…皇后・諸臣
 志_ 巻244〜266(
神祇)…神祇沿革,神社,社殿,神宮,斎服
 __ 巻267〜279(氏族)
 __ 巻280〜284(職官)
 __ 巻285〜317(国郡)
 __ 巻318〜333(食貨)
 __ 巻334〜349(礼楽)
 __ 巻350〜369(兵,刑法,陰陽,仏事)
 表_ 巻370〜397(臣連伴造,公卿,国郡司,蔵人検非違使,将軍僚属)

「大日本史」の特徴は、一般には尊王論(忠孝道徳)とされているが、皇統の出発点を国土創成にしている訳ではない。「神代」を本紀から外して別仕立てにしており、そこへの関心は薄い。もともと、水戸光圀代に成立したのは本紀と列伝のみで、神祇の部分は無かったのである。
その点を見ても、中華帝国の「史記」に見倣った、当時の儒学(朱子学)的歴史観で貫かれた書と言うべきだろう。

一方、「古事記」だが、神世7代との表記はあるものの、神代という概念で上巻を扱っている訳ではない。史書の1〜2巻が神代上/下とされているから、「古事記」上巻をそのように名付ることになっているに過ぎない。
一般常識からすれば、そう呼んだところで何の問題も無いが、太安万侶からすれば大いにご不満かも。

「紀」では、国之常立神が創始であり、「記」での起源に当たる別天神は記載されない。両者の考え方が全く異なるのは自明。さらに、「大日本史」の様な儒教的観念からすれば、天皇即位以前は歴史とは見なされない。まさに三者三様なのだ。
この点を曖昧にすべきではないと思う。

太安万侶の観念からすれば、神世は7代であって、高天原出自の伊邪那岐命・伊邪那美命が最後である。須佐之男命・天照大御は葦原中国出自なので神世には含まれないということになろう。
須佐之男命系譜の大国主命と、天照大御神系譜の天忍穂耳命〜日向3代は正真正銘の葦原中国の"世"でもあるからだ。・・・常識的に、葦原中国には人が居るが、高天原は神のみ。葦原中国の"世"とは人世である。

太安万侶は、天武天皇から編纂の命を受けた点にも注意を払う必要があろう。実質的に軍事独裁体制を敷いていたようで、道教で言うところの真人と称したし、神でもあった。儒教的には天子の扱いになろう。しかし、どのように偶像化されようが、想念上だけの存在という訳ではなく、実在したと考えるべきだろう。
そうなると、必然的に、周囲にいた、神ではない"人々"との関係が問われることになる。儒教なら単純明快で、天子と臣下等となるが、天皇の場合はそこらは曖昧。神であるが、特別な人ともとれる。そうなると、「古事記」上巻の神々とは観念上の神祇の説話と言うより、人の世の古代の説話と考えるのが自然であろう。

しかし、そう考えてよいのかはなんとも言い難し。
「古事記」には、"人"とはどういう存在かを語る話は青草譚のみで、"人"の出自については全く触れていないからだ。

ただ、そこらの解釈が、古今和歌集仮名序に書かれている。須佐之男命の時代は人世と見なせる、と読めるからだ。・・・
 人の世と成りて、須佐之男命よりぞ、丗文字余り一文字は詠みける。
聖書の創造神は言葉を発することでその存在が示されるが、「古事記」の初元神は自然に成る。宇宙創成に言葉は不要。神世の時代の最終段階で初めて男女間での詞の交換が行われるくらいなのだから。
この考え方からすれば、整った言葉として伝えることができるようになれば、それは人世の始まりと言うことになるのでは。

そんな調子で「古事記」を素直に読めば、そこにはなんら難しいことは書かれていない。例えば、こう見ることもできよう。・・・
原始の海("無")
❶初元(造化独神)
❷高天原時代(別天神)⇔知覚不能な世界(隠神)
❸神世(地形成神)
 ❹国生み・神生み時代(男女神)
   …高天原+葦原中国+黄泉国+海原
 ❺貴神時代@高天原(天照大御神・須佐之男命)
  <人世@八洲国>
  ❻出雲神々 +観念上の異界(根国+常世国)
  ❼天孫降臨
  ❽日向神々 +海外国(海神宮)
   ❾天皇代
ここには、どのような概念が創られて来たのか、太安万侶流の解釈が見事に描かれていると言えなくもない。

❶先ず、世界が存在するとはどういうことかが出発点。倭人は天帝や宇宙創造神ありきのイデオロギーとは無縁だったと解釈していることがわかる。人格神信仰はもともとは持っていなかったのであろう。神が存在するとの観念は、宇宙の存在認識とイコールなので、神に人格が生まれようがなかったということか。とは言え、神に人格を与えねばならない時代になれば、新たな意味付けがなされる訳だが。後世に登場する同名の神は、そのようにして誕生したと見ることができよう。
❷高天原という観念こそが、倭人としての紐帯であると見抜いたのは流石。神々の住む世界はどのような信仰にも存在するが、それぞれの風土に規定されたものになる。帝国を規定する宗教であれば、人が到達しえない高みに、人を支配する神が集まっている地となるものだが、高天原にはそのような性情はほとんどない。旅感覚で訪問できそうな地だからだ。
ただ、そこは躍動する神々の生命力発現の場とされており、生命力を欠けば自ら消え去ることになるが、そのうち復活することになると考えられていたようだ。
儒教的な最高神に一元化されたヒエラルキーありきの神の世界とは相容れない信仰だったことがわかる。
❸このことは、もともとの倭の天地概念にはヒエラルキー的な貴卑や上下地概念が無かったことを意味しよう。躍動する魂の想像世界が天であり、足を着けた現実生活の場が地ということのようだ。天は常識的には観念の産物だが、倭では、魂の方が実在ということになる。その魂に実体が生まれる、観念上の場が地ということになる。実体が人で、魂が神とのコンセプトと言えなくもない。
❹天の男女神による御子つくりが、国土創成ということになる。国家としての初元神が定義されたことになる。その神の特徴は、海人的挙動と、矛をレガリアとしている点と言えよう。ただ武力的威光を示す王器というよりは、漁具のように映る。
国家観が誕生したと言っても、天神から地神が生まれるだけのことだが、実生活での細分化されたシーン毎に神が存在していたようで、ヒエラルキーが無いから、無数と見てもよいのだろう。
ここにおいて、高天原の再定義がなされ、人格神化が始まったのだろう。天神の世界の高天原と、実生活上の神々が住む葦原中国の2元世界の観念が確立されたことになる。
このことは、黄泉国や海原とは、葦原中国の神々の想いのなかに存在するだけの異界と見ることもできよう。高天原の神々が隠れ神となることができるのと同じように。
❺黄泉国をイデーの世界と考えれば、その先に新たな宗教観が生まれるのは必然でもあろう。3貴神の登場はそのような位置付けと見るのが自然だ。この時、同時に、海人の信仰神も出現しており、神々の世界にヒエラルキーが持ち込まれたことがわかる。高天原に、葦原中国出自の神が統治者として上ることになり、天帝コンセプトが持ち込まれたことになろう。
❻中華帝国型の天帝-天子の観念が始まると思いきや、倭はそれを受け入れた訳ではなかったことが縷々記されるのが「古事記」の一大特徴である。神話を抹消した中華帝国の統治スタイルとは対極的で、叙事詩を謳うことが倭での生命力賛歌とも呼ぶべき寿ぎであり、それを信仰の核とする路線が確立されたと言ってもよさそうだ。政治的婚姻関係が重要になったものの、男女関係を宗族維持のための物理的方策と見なす儒教とは精神的に相容れなかったのは間違いなさそう。
そのようなイメージを抱いてしまうのは、葬制が信仰基盤を形作っているように見えるからでもあろう。武力統治ありきではなく、呪術的信仰の核となる祭祀王が倭国の核で、中央集権型には程遠い国家構造だと思われるからだ。
それを一気に変えたのが、天照大御神信仰ということになろう。王権と神権を意識するようになったということだろう。紆余曲折あって、天皇という概念が生み出されるに至った、ということになろう。

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