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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.29] ■■■
[148] 天之御柱を廻る婚姻譚のとらえ方
抹消的な話から。
よく見かける見方だが、国生みの最初の男女交合シーンの記述が男尊女卑であると。

その一点を凝視するなら、現代の道徳観からすれば、そうとって間違いとは言えない。

しかし、そんな読み方をしていたら「古事記」が発するメッセージはなにもわかえあず仕舞いで終わろう。
古事記はどちらかといえば、女尊男卑思想で貫かれているとしか思えないからだ。この世の中、自分の頭で考えず、イデオローグ的に直截的に指摘することが嬉しい人だらけであることがよくわかる。クワバラクワバラ。

もちろん、そこに於ける女尊は、太安万侶の個人的姿勢という意味ではなく、太安万侶の判定では、倭の古代社会はそうだったというに過ぎない。

ついでに言えば、同様なことが仏教についても言える。
仏教伝来に触れていないから、反仏教で神道一途とすることが多いが、論理があるならまだしも、ほとんどスローガン的に当たり前とする。「古事記」とはそういう書であるとのイデオローグそのもの。序文に記載してある目的からすれば、33代天皇迄、仏教が直接的に皇統に影響を与えたことが無いと見なしたに過ぎないと解釈するのが自然であるにもかかわらず。
この見方であれば、有名な、崇佛 v.s. 廃佛の戦いとは、従来からの皇位継承に絡む権力闘争をそのような色で脚色したに過ぎないと看破したことになろう。

但し、「記紀」として読めば、「古事記」は冒頭から男尊女卑姿勢との見解は、全く持って当然の結論と言ってよいだろう。国定史書は中華帝国の統治方法に倣って作成した書であり、統治体制の盤石化が目的である以上、男尊女卑の徹底化を目指さない訳がないのだから。

さて、その男尊女卑の箇所だが、粗筋では、こんなところ。・・・

伊邪那岐命と伊邪那美命が「修理固成 是多陀用幣流之國」との命を受け、早速、天浮橋に立ち、賜わった天沼矛を用いて成嶋。そして出来上がった淤能碁呂嶋に天降。
そこには天之御柱が立っていて、女神は右周りで男神は左周りし、出会って婚姻しようということに。
そして、"行廻逢是天之御柱 而 爲御所[美斗:八尋殿]の目合ひ[麻具波比:]"。
しかし、生まれた第一子は水蛭子で、次ぎも淡嶋。
両方とも子とは見なせなかった。

この時の二人の掛け合いは女人先言だったので、不良雖然だったにもかかわらず、来[久]御所[美度](すぐにbed-in)したのが原因である、と。
そこで、今度は、男女人先言にして、国生みが成立することになる。

確かに、これを男尊女卑とみなす思想は中華帝国で古くから確立している。そこだけ見れば100%正解である。漢語調の文章でもあることだし。
このルールは移動生活民が主導的なステップの民の男系社会ではある意味当然であろう。その思想を「古事記」は取り入れていると読むことも可能である。そこらは、漢籍を読破した太安万侶など百も承知では。・・・
天尊地卑乾坤定矣・・・乾道成男坤道成女 [胡瑗[撰]:「周易口義」繋辭上]

末學者,古人有之,而非所以先也。
君先而臣從,父先而子從,兄先而弟從,長先而少從

男先而女從,夫先而婦從。

夫尊卑先後,天地之行也,故聖人取象焉。
 天尊,地卑,神明之位也;
 春夏先,秋冬后,四時之序也。
萬物化作,萌區有狀;盛衰之殺,變化之流也。
夫天地至神,而有尊卑先後之序,而況人道乎!
[「荘子」外篇 天道第十三]

しかし、「古事記」をそのように読んでは拙い。序文で日本が道教国であるといいながら、本文では全くその兆候が見られないという不可思議な書なのだから。天地が現れる陰陽の観念を序文で示しておきながら、本文ではそんなことは何処にも書いていないどころか、儒教や道教では理解不能な高天原まで登場してくるのだから。
(つまり、道教的に書いておりますヨと言っておきながら、肝心な箇所は本文では書かないという常識外れの書なのである。)

日本の独自性提起もあるが、儒教に基づく中華帝国の概念を全く無視していると言ってもよかろう。常識的には、このような姿勢で書くとしたら、アンチ儒教者以外の何者でもない。もちろん、官僚であるから、口が裂けてもそんなそぶりを見せることなど無いが。

そのように考えれば、中華帝国の男尊女卑を踏襲しているように見えるが、それは、儒教に諾々と従う道教を揶揄しているも同然と考えた方がよいだろう。

・・・ここらは、人から指摘を受けて気付くようなものではないし、言われて同意することも滅多に無いだろう。「記紀」読みに何の問題も感じていない以上。

ここで必要なのは、インターナショナルな目線。

それがあれば、この記述で男尊女卑と感じるなどまずありえない。ただ、インテリ系だと、イヤ〜、昔くから男尊女卑の社会でしたナ〜と言うのが普通だが。

別に海外情報が必要と主張している訳ではない。

女系社会だったように見え、太陽神でもある祖神が女神であり、魏志倭人伝でも倭で君臨するのは女性であるというのに、「古事記」が倭の古代思想として。男尊女卑を高々と掲げるとしたら、とんでもない書だということになろう。

それに、歌垣を知っていれば、「古事記」の上記の部分には驚くような話は一つも無い。極めて素直な伝承だろう。(儒教が一場嫌う、男女間の自由精神満開で他人にも見える形での恋愛が歌垣であり、それをコミュニティの重要祭祀にしていること自体、中華帝国の皇帝独裁-官僚統治の仕組みとは相容れない。)
この儀式は倭では極めて重要だったからこそ、「古事記」にもそれとなく類似の話が出てくるのである。儀式である以上、そこには厳格な行儀作法がある。その第一が、男人先歌での掛け合い開始。男は勝たねばならないから、"歌力"を磨かねば事実上の男性失格。結構厳しい掟なのだ。ところが、勝敗が決着し、互いに意気投合したのだから、そこで大団円とはならない。地域によっては、飾り物の周囲を男女が追いかけっこになる。男性が女性を捕まえる風習が加わったているのだ。ともあれ、女性はすぐにはОKしたりせず、拒否して逃げるのがルール。
儒教社会の場合、男系継承を万全とするため、女子を外部から取り込むことを宗族内で合意形成した上で、粛々と婚姻を進めることになるのだから、その違いは余りに大きい。
この歌垣だが、風土記にも記載されており、倭では確立された風習と見てよさそうだが、文化人類学の研究からその広がりが見えるようになっており、汎東アジア的な様相を呈していたと想定するようになって来つつあるようだ。
スンダ域から、西太平洋島嶼・大陸沿岸までが同一文化圏との見方が生まれているということ。もともとの地から中華帝国に追われ、遥か山奥の雲貴高原に逃亡した少数民族がその伝統を部分的に保っていたので、その実態が見えるようになったのである。

この歌垣だが、部族によっては柱を回って踊る行儀が伴っていることがある。いかにもそれは天之御柱の名残的ではないか。

そして、そうした中心柱を回る兄妹譚は、スンダ域での部族発祥民話として収集されていることは、比較神話論の世界ではよく知られたこと。さらに、その派生話やそれがベースにありそうな祭祀がこの一帯に散見されているのである。・・・要するに、中核となるモチーフは、男が追い付ければ結婚できるが、逃げ足早く離されて捕まえることができそうになくなり、突如逆回りして合体の運びになる、というもの。
お祭りで詠まれていた愉しい歌謡だったらしい。言うまでもないが、ほとんどが消滅しており、トレースできる状態にはないが。

この場合、注意が必要。左回り右周りは、ステップの民にも存在していて、極星を軸として星座が回ることから星神信仰でなんらかの形で登場してくる。太安万侶はそれを意識して漢文調にして書いているとも言えよう。
そのように読んでもらって結構ということ。しかし、これは、南での古い時代から伝わる追いかけっこ話そのもの。
その場合、北とは違って信仰は星神ではなくヒト神になる。それが、兄妹と思われる女媧と伏羲である。蛇体の男女神が絡み合う姿になる。中華帝国では、神話は消されたがこの部分だけは残されている。

ちなみに、スンダ域の兄妹婚姻譚によるヒト誕生の特徴としては、第一子はヒトではない。物理的には胎盤を意味するとされているが、トーテム動物とされるのが普通。ヒトと見なされるのは第三子であり。このルールに揺らぎは見られないと言われているようだ。
これは女系社会の島嶼部族社会の鉄則で、女系では長子は追放されて、他部族の入り婿か海原で消えて行く。女王補佐は末子なのである。

天孫は南方の海人の血を受け継いでいるのだから、国の創成譚が、北方ステップ出自の儒教型の恋愛抑圧思想に根ざす男尊女卑の影響を受ける訳がなかろう。

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