→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.10] ■■■
[160] 温泉への流罪が有り得るのだろうか
「古事記」が本邦最古の書ということで、そこに記載されている唯一の"湯"こそ温泉の元祖ということになっているようだ。
  輕太子者流於伊余湯也

観光地は、由緒がウリだから、他でも、我田引水的な情報が飛び交っており、本当のところはどうなのかはよくわかないが、マ、所詮は物見遊山の類だから、気分良ければすべて良しの世界。従って、そんなこと、どうでもよいと頭では考えるもの、不思議と気になるもの。
もっとも、書でいけば有名な筈なのに、全国区的にはほとんど知られていない地もあるのが、面白いところ。
  湯は
  ななくりの湯
[=七栗/榊原温泉@伊勢 or 七苦離/別所@信州]
  ありまの湯
[有馬]
  たまつくりの湯
[玉造@出雲] [「枕草子」]

枕はここまでとし、早速、上記の軽皇子譚について。
再度取り上げようと考えたのは、記述に矢鱈に力が入っているから。まるで歌謡文芸作品を仕上げたかったよう。

内容は、同母兄妹相互姦の禁じられた悲恋物語だが、そもそも、流罪になったと言うに、その先が通常の地名ではなく"湯"。どういうことか、と尋ねたくなること必定。

それに共自死の最期ではなく、皇子は一人で自殺したとされているらしいし。・・・[「萬葉集」巻十三#3263]
  [左注]檢古事記曰 件歌者木梨之軽太子自死之時所作者也
 こもりくの 泊瀬の川の
 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち
 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け
 真玉なす我が思ふ妹も 鏡なす我が思ふ妹も
 ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ


ところが、温泉到着前の寄港地と思しき地が陵墓比定地とされている。
  東宮山古墳@伊予川之江(四国中央)妻鳥(+春宮神社)
さらに温泉の地にも伝承地。
  軽之神社比翼塚@伊予松山姫原

太安万侶の姿勢から見て、大筋は伝承を保っているのだろうが、明らかに"美しい"叙事詩に仕上げるべく伝承の取捨選択を工夫したと考えてよいのでは。

普通に考えれば、禁忌破りを罰したにもかかわらず、妹が兄を求めて流刑地へ直行との所業を朝廷が許す訳にはいくまい。あからさまに皇位継承争いの道具としての罪状と見なされること必定だからだ。従って、短期間でも伊余湯で再び一緒になったとの筋は考えにくかろう。
皇子は湯に到着したのだろうが、妹は伊予國に入ったばかりの妻鳥で止められ、そこで自殺を強要されたと考えるのが自然だ。そして、それを耳にした皇子は姫原@松山で自害というのが一番ありそうな流れでは。
ただ、様々な伝承が生まれていたから、悲恋の機微が伝わる歌謡になるように仕上げたということではあるまいか。

ともあれ、この話は、倭の文化にとって極めて重要と見なされているので、軽く読み流さない方がよさそう。
「萬葉集」収録歌の最古は[16]仁徳天皇 磐姫皇后歌[巻二#85〜89]と言われている。おそらく、これに次ぐ古さ2番が[19]允恭天皇代の軽皇子の歌となろう。(「萬葉集」冒頭の御製は[21]雄略天皇で、巻一の天皇代毎の御製紹介では次が[34]舒明天皇へと飛ぶ。)📖「萬葉集」冒頭歌選定は「古事記」の影響
恋歌こそが倭の伝統という姿勢がココでも発揮されているのである。

太安万侶はそのような倭の風土をはっきりと示したかったのだと思う。
そうなると、ココは単純に遠隔地の伊予に流刑ではなく、愛比賣の伊余湯で心の傷を治させたように映る記述こそ、読者の琴線に触れる上で最良と考えておかしくなかろう。

温泉は現代では"癒し"の世界だが、妹への恋しさがつのってくる場でもあったようだ。「古事記」成立後ではないかと思うが、太宰の帥 大伴旅人の歌がそんな気分を伝えていそう。
[「萬葉集」巻六#961]
帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作歌一首
  湯の原に 鳴く葦鶴は 我がごとく
   妹に恋ふれや 時わかず鳴く…筑紫野 二日市温泉


太安万侶は天武天皇代からの官僚であり、温泉の四方山話に触れていない筈もなかろう。・・・
<伊予松山道後湯/熟田津>
後岡本宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮]
  額田王歌 [「萬葉集」巻一#8]

  熟田津に 船乗りせむと 月待てば
   潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首 并 短歌[「萬葉集」巻三#322]
すめろきの 神の命の 敷きませる 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宣しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして 歌思ひ 辞思はしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸しところ
反歌[巻三#323]
  ももしきの 大宮人の 熟田津に
   船乗りしけむ 年の知らなく

[「伊豫國風土記(逸文)」温泉]
伊豫國風土記曰 湯郡 大穴持命 見悔恥 而 宿奈毗古那命 欲活而 大分速見湯
自下樋持度來 以宿奈毗古奈命 漬浴者 蹔間有活起 居然詠曰 眞蹔寢哉 踐健跡處 今在湯中石上也
凡湯之貴奇 不神世時耳於今世 染疹痾万生 為除病存身要薬也
天皇等 於湯幸行降座五度也・・・
 大帶日子天皇([12]景行天皇)+太后八坂入姫命
 帶中日子天皇([14]仲哀天皇)+太后息長帶姫命(神功皇后)
 上宮聖徳皇(聖徳太子)+侍侍:高麗惠總僧 葛城臣 等
   <湯岡側一碑>…道教的歌文
 岡本天皇([34]舒明天皇)+皇后([35/37]皇極/斉明天皇)
 後岡本天皇([37]斉明天皇)+皇子
   近江大津宮御宇天皇([38]天智天皇)
   淨淨御原宮御宇天皇([40]天武天皇)


温泉と言えば大穴持命 & 宿奈毗古那命の薬湯という伝承ということだろうか。本場出雲は確かに盛んだったようである。
[「出雲國風土記」大原郡海潮郷]
  東北須我小川之湯淵村川中温泉
  同川上毛間村川中温泉出

[「出雲國風土記」仁多郡]
  湯野小川 源出玉峰山西流 入斐伊河上
  通飯石郡堺 漆仁川邊 廾八里
  即川邊有藥湯
  浴之則身體穆平 再濯則 萬病消除
  男女老少晝夜不息 駱驛往來 無不得驗
  故俗人號云藥湯也

[「出雲國風土記」意宇郡忌部~戸]
  川邊出湯 出湯所在 兼海陸
  仍男女老少 或道路駱驛 或海中沚洲 日集成市 繽紛燕樂
  一濯則形容端正 再浴則萬病悉除 自古至今 無不得驗
  故俗人曰~湯也

「風土記」は温泉は必要報告事項だったのだろう。・・・
[「豊後國風土記」日田郡五馬山]
  ・・・今謂慍湯 是也
[「豊後國風土記」直入郡球覃]
  ・・・有二湯河流會神河
[「豊後國風土記」速見郡赤湯泉]
  ・・・曰赤湯泉…血の池地獄@別府野田
[「豊後國風土記」速見郡玖倍理湯井
  ・・・因曰慍湯井 俗語曰玖倍理湯井…鉄輪簡潔泉
[「豊後國風土記(逸文)」氷室]
  速見郡 四湯(玉灘 等峙 寶𧸐 大湯…別府/湯布院/等)
[「肥前國風土記」杵嶋郡]
  ・・・郡西有湯泉出之…武雄 柄崎温泉
[「肥前國風土記」藤津郡塩田川]
  ・・・東邊有湯泉 能愈人病…嬉野温泉
[「肥前國風土記」高來郡峯湯泉]
  ・・・流勢甚多熱異餘湯 但和冷水 乃得沐浴…雲仙温泉
[「攝津國風土記(逸文)」有馬温泉
  攝津國風土記曰 有馬郡 又有鹽之原山 此山近在 鹽湯

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME