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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.1] ■■■
[181] 中華帝国型山信仰の影響
倭の山信仰の初元は、海神信仰を敷衍したものと見た。 📖錯綜する山信仰の世界
と言っても、信仰の実態はゴチャゴチャである。
「古事記」の構成からすると、海人感覚が基底な筈、ということでしかないのが実情。

そうなるのは、海人系統とは全く異なる、中華帝国の儒教的な山信仰が被さっているから。国家存立にも係わるから、こうした重層化は致し方なかろう。

もちろん、世の中的には、この2つが山信仰の柱という訳ではない。それに、中華帝国の文化自体、ほとんどの緒元は域外だったりする。この帝国は、端から皇帝独裁-官僚統治の仕組みであり、天子を喜ばすような珍しい情報には目ざといのが特徴。王朝転換のリスクさえ感じなければ、すぐに導入し、良と判断できれば模倣に注力し、最終的には帝国"独自"文化にしてしまう体質だからだ。統制による社会安定を図る仕組みなので、創造性発揮はご法度に近いからで、域外導入はその枠組み。権力を行使し、社会を一枚岩的にしてしまうので、他の社会と違う文化を創出している印象を与えるにすぎまい。小生は、漢字もおそらくソグド由来と睨んでいる。

天帝信仰でさえ、輸入概念と見た方がよかろう。・・・
《モンゴル高原》
地勢的にどうしても山概念が欠落する。乾燥地帯だから遊牧生活が基調で、気候不順になれば争奪以外に生きる術はないので、その本質は普段は緩い絆でしかない民兵部族ということになろう。
紐帯となるのは、乾燥地帯ではしばしば発生する雨雲雷信仰からくる、テングリ(天上)信仰。
中華帝国官僚は、一挙に大軍勢を形成できる力の源泉を天帝信仰と見た筈。後述するが、これを山信仰に結び付けたのだろう。

ただ、乾燥地帯でも、絶対的な山信仰が存在することはある。・・・
《シナイ半島(聖書の地)
一面荒地(沙漠地帯)のなかの孤立シンボルがシナイ山信仰。
岩盤が露出する地域であり、例外的に真水入手可能地帯。希ではあるものの大豪雨があり、そうなると大災害必至。川の概念が全く異なる地域と言ってよいだろう。
  岩盤域(小川)⇔沙漠域(枯川)

自然の脅威はただならうぬものがあり、倭の感覚からすれば、恵みを与える神ではない。だからこそ部族の絶対神であり、いかに被害を受けようと、それがさらなる強い信仰を形作る。
しかし、部族神であり、帝国を造り上げることは難しかろう。

なんといっても、影響力を感じさせるのは天竺であろう。・・・
《インド亜大陸北側(インダス、ガンジス、プラマプトラ流域)
すでに取り上げたように、源流地高山のヒマラヤ信仰が存在している。
社会が、<聖>⇔<俗>観念を土台とした、フラグメント階層で構成されていることで疑似的安定を実現しているので、その見方がすべてに通用することになる。
倭にもこの観念は色濃い感じがする。
  山岳(農耕不適-人疎/生物棲息感希薄)⇔邑地(農耕適-人密/生活臭濃厚)
  寒帯高地(病人僅少)⇔熱帯低地(疾病蔓延)
  大河上流(清水)⇔下流(濁水)

そこで、
《中華帝国》だが、山信仰が確立したのは前漢期と思われる。・・・
五岳[泰山、衡山、嵩山、華山、恒山]を確定し、天帝信仰の祭祀場化[封禅]を推進したからである。これは、どう見ても、創世怪物混沌的な各地の地場山々(「山海経」は5,370峯を収録。)信仰を五行によってヒエラルキー化し、皇帝の下に集約したもの。以後、儒教・道教・仏教の3勢力が国教化を目指しこの山での拠点化を図ることになる。

太安万侶がこれを知らぬ訳もなく、おそらく、「山海経」も読んだろう。妖怪魑魅魍魎と言うか、キメラ的怪物だらけの奇書として紹介されるが、山脈系統での地域区分に基づいて、地勢・棲息動植物・鉱物もカバーした有力産品・神々が記載されており、中華帝国中央高級官僚の全国統治用アンチョコでもあろう。
    📖"酉陽雑俎的に山海経18巻を読む"

この書では、海は山の周囲を四方から囲むだけ。海の神々等も記載されてはいるものの、いかにも大陸国家らしき地誌と言えよう。

しかしながら、帝国観からすると、陸だけで留まる訳にはいかず、海をも支配領域の対象にしておく必要があり、両者合わせての"食国"として位置付けられることになろう。ここらの考え方は、南島の海人にはなさそうだ。
帝国化するということは、支配下の国々からの貢物を、天子が食す儀式が重視される訳で、その一大イベントにより領土が確定することになる。その権威を高めるため、儀式は盛大になっていき、歌舞音曲も加わったりして大宴会となる。「酉陽雑俎」にはそこらの外交話が収録されており、実態がよくわかる。と言うか、現代迄続いている習慣であるが。・・・
山海の珍味という言葉も、その辺りの感覚に依拠した、山珍海錯の和語化したものと考えるべきだろう。
  漢家宮殿含雲煙・・・山珍海錯棄藩籬,烹犢炰羔如折葵。・・・ [韋應物:「長安道」]

このような天帝信仰に直結する山が、倭に古くから存在していたのかと言うと、なんとも言い難しだ。
海人信仰から始まったとすれば、海神の発展形としてのペア型山神が多そうだからだ。

そのように映るのは、いかにも食国概念導入を行ったように思える話が収載されているからでもある。・・・
 此之御世(品陀和気命/[15]応神天皇代)
 定賜 海部 山部 山守部 伊勢部 也

海部・山部は、朝廷直轄の職業部[品]。特段の説明が無いが、各地(大和、河内、摂津、遠江、近江、上野、越前、出雲、播磨、豊後、等)の自営的勢力と中央直轄部からなる組織であろう。生業者組織として各地のテリトリーを確定・管理し、そこでの産物を貢納する勤めということになる。しかし、特に海部であれば、その本質は、親衛的民兵としての軍事部隊であることは自明。おそらく、阿曇連が掌握していたのだろう。

山守部は山部との違いが不透明だが、親衛的役割は限定的で、地場に寝付く、私民的な組織なのだろう。
一方、伊勢部だが、一般には職掌不詳とされているようだ。地名になっているが、本来的には磯部と考えれば、どうということはない。直接軍事に係わることは不向きな、鮑漁のような潜水海女的な職を指すのではあるまいか。当然ながら、神饌奉納ということになり、その中心たる伊勢の名称が当てられていると見た。

どうあれ、山人は海人と一対になっており、山信仰も海信仰と一対との観念があってしかるべきだろう。

中華帝国の山信仰はこれとは親和性が無い。しかし、両者をママ同居させるところが、倭の風土ということでは。

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