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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.14] ■■■
[194]ゾロアスター教との紐帯
ここで寄り道して、ゾロアスター教を取り上げてみたい。
無関係に見えるが、そうとも言い難い点が見えてきたし、比較することで倭の状況を見る目が冴えてくるような気もするので。

ゾロアスター教に親しみが湧いたのは、「ボヘミアン・ラプソディ」を見てから。
2回目が、観客が画面と同期して合唱で盛り上がるという、珍しい鑑賞スタイルだったので、その強い印象が残っているせいでもある。
ともあれ、フレディ・マーキュリーの葬儀は、一切を引き継いだ長き友人と愛するパートナーにより、遺言通り、家族と共にゾロアスター教で執り行われ、本名で葬られたと伝えられている。

この宗教だが、ペルシア居住のアーリア系部族の信仰をザラスシュトラ/ゾロアスター/ツァラトゥストラが教義化したとされ、世界最古と見られているが、それ以外の情報はどこまで信用できるか全くわからない。
と言うのは、経典(「アヴェスター」)の完本が見つかっていない上、他教徒からの入信を一切認めていないため、教宣活動を外部から伺うことは不可能だからだ。しかも、弾圧を避けるためか祭祀一切非公開。信者の存在自体が不透明である以上、ほとんどは外部から眺めた推定に基づく解説なのはあきらかだからだ。

にもかかわらず、教団の存在が全世界で知られている理由は、人口稠密なムンバイで、パールシー(イラン⇒インド移住者)が鳥葬に拘って来たからだろう。このことは、他地域移住者の存在や、表面上改宗の隠れ信者の存在を示唆すると言ってもよさそうだ。

拝火教/祆教と呼ばれることもあって、神殿の聖火を拝むイメージが強く、善 v.s.生と悪 v.s.死、光 v.s.闇、という二元論的観念の信仰と見られているが、創世の観念がわからないとどういうことかわかりにくい。
特に、安直に火神を主神とみなすと、火の概念が違う可能性があるから誤解しやすいのでは。
神社と同じで、偶像は一切なく、穢れなき場所で神への拝礼を行なう必要があり、最高の清浄こそが火焔(Atar/Azar)であり、火霊を最高神としていると見るべきではなかろう。外から神社での拝礼を眺めて、拝杜教とみなすようなもの。依り代が木だからといって、かならずしも木霊を拝んでいる訳ではないのだから。

現代の儀式でも、清浄な場を実現するために最大限に気をつかう。少なくとも、祭祀舎は、水(Aban/Apas)で清めた体に、新しい真白の肌着に白衣-帽子-マスクを着用することが求められる。
日本の現在の神社の祭礼に於ける浄-不浄の感覚とほとんど違いが無いと言ってよいだろう。違うのは聖火の観念が無いだけ。

この由来を常識的に考えると、両者ともに、水と火の二項対比思考が存在していそう、となろう。・・・
  v.s. 
  v.s. 
湧水 v.s.噴火
  v.s. 
  v.s. 
透明 v.s.光明
流動 v.s.躍動
誕生 v.s.消滅
洗浄 v.s.焼却
少し飛躍するが、さらに進めれば、こうとも言えるのでは。
大海 v.s.大空(太陽)

両者ともに、島嶼と内陸高原という地勢は違うものの、水と火を特別視する姿勢はほとんど変わらず、その抽象化概念も同じだった可能性があろう。
しかし、ここから信仰に一歩踏み込むと違いは歴然とする。

「古事記」からすれば、何が宇宙の始原かと問われれば、大海と答えざるを得まい。火神のために、神生みが頓挫させられ、女神は火傷で地上世界から消滅する。この過程で生まれるのが雷の神々である。さらに、女神の遺骸に関与してしまった男神は穢れたので、洗浄することに。すると、そこから貴神が誕生するのである。
この場合、火が清浄とは無縁としている訳ではない。産小屋に火を付けて出産し、正統性を示すことができるのであるから、清廉かつ正義という観念が火に被さっているのは明らかだからだ。
火は死をもたらす危険な存在といったところか。

倭の大海に対する、ゾロアスター教信仰に於ける原初とは何かであるが、大海であって、水ではないことでもわかるが、火ではなく光明である。
アーリア系宗教に特有なのは、宇宙的出発は"光ありき"との観念ではないか。大海のような具象とは違い、極めて抽象的なのが特徴と言えよう。
始原は光明となれば、大空でば太陽が該当することになろうし、中空でば雷、地上なら囲炉裏や竈、あるいは焚火の"火"だ。さらに、地下も定義するなら、地の底から吹き上げるは火山の溶岩ということになろう。
実に思弁的であり、コンプレヘンシブな定義がなされており、教祖が存在し、厖大な経典が編纂されていて然と言えよう。

こうした対比は言語上でも見ることができる。・・・
本朝の原始はあくまでも"あま"である。もともとの概念は《海》であるが、そこから拡張されて、すべてを包含するようになっている。
  [あま][あま][あま]

一方、ゾロアスター教では、それに対応するのが火焔(ペルシア語:Alaw, Alav, Alev)と言うこともできよう。
  アータル/Atar(Azar)=聖なる炎
そうなると、いささか信じ難いところだが、全く別な語族にまで、火焔信仰の広がりが見てとれるとも。確かに、焚火は猛獣避けと体温保持で不可欠な地域は少なくなく、火焔信仰自体が存在していたのは間違いない訳ではあるが。・・・
【モンゴル】アルシ・テングリ/Arshi Tengri
   …仏教の火天(Arshiはサンスクリットらしい。)@18世紀

【チュルク】アラズ/Alaz
   …[土着民神話]トーチを持つ老人

【アイヌ】アペフチ/Abefuchi
   …アペオイ[囲炉裏]に住む老婆


そうかもしれませんが、そうでもないかもしれません、というとことか。語族が同一ならどうなっているのかでもわかれば、多少は考えもまとまるが、そのような労力を割く暇人はいないと見える。
だが、古言語を考えると、信仰は間違いなく相互浸透していたと言ってよいだろう。📖興福寺阿修羅像
---インド・アーリヤ系古代語---
【ヌーリスターン諸語】@アフガニスタンとパキスタン一部
【古ペルシア語】@イラン
  <西>中期ペルシア語 パルティア語
  <東>ホータン語 コーラスム/ホラズム語 バクトリア語 スキト語 ソグド語
【古ベーダ語】@西北インド[話語]
  <インド側>新ベーダ語(古サンスクリット語t/梵語…古ウパニシャッド
  <ペルシア側>アベスター語…阿修羅

ここらの地域には土着部族圏が残っており、伝承や遺物を掘り起こせば色々とわかった筈だが、もう無理である。光輝くものに帰依する信仰はこの辺りが発祥と思われるのに残念なことだ。
太安万侶も流石にその辺りのことは知らなかったと思うが、光輝く神が渡来したと忘れずに記載しており、"光明"の意義について、なにか思うところがあったようだ。

要するに、この"光明"信仰を、ザラスシュトラが教義化し、火焔崇拝を祭祀の核とした訳だが、その結果、様々な教義が生まれてしまい、どのような構造の信仰かさっぱりわからなくなってしまった。
そこらは仏教分派の発生と同じだが、職域フラグメント化したインド社会と違って、部族フラグメント化している社会の上に、尊敬を集めている、教義専門職である"部族間仲介神職層"がのっっかている構造なので、教義は理屈だらけになりがち。ゴチャゴチャの部族信仰を仕分けしているようなものなので、根底の思想は見えにくい。折伏し改宗を迫る宗教ではなく、部族を囲い込むタイプなので、神にヒエラルキーがある訳ではなく、力量や役割の違いがあるだけと考えた方がよいだろう。ただ、思弁的であるから、見た目と違って、しっかりとした構造がある筈。信仰者でないと読み取れないだろうが。

とりあえず、以下のように整理してみた。(この社会の聖数は7である。)・・・
《最高神》アフラ・マズダー/Ahura Mazdā…天空光明神
《7善神不滅の聖性アムシャ・スプンタ/Aməša Spənta
     +[崇められるに値する者達]ヤザタ/Yazata
       [アフラ・マズダーの息子 勇敢で善き戦士]アータル/Atar…聖なる炎
  ⚔《7悪神》+[悪魔]ダエーワ(輝者)/daēva
<造物(創造):人>聖霊スプンタ・マンユ/Spənta Mainyu…人類の祖を生んだ。
  ⚔アンラ・マンユ/Angra Mainyu
<火>最善天則アシャ・ワヒシュタ/Aša Vahišta
  ⚔ドゥルジ/Druj
<水>完全ハウルワタート/Haurvatāt
  ⚔タルウィ/Taurvi
<天空>善統治フシャスラ・ワルヤ/Χšaθra Vairya
  ⚔サウルウァ/Saurva
<大地>神聖敬虔・献身スプンタ・アールマティ/Spənta Ārmaiti
  ⚔タローマティ/Tarōmaiti
<植物>完全(不滅)アムルタート/Amərətāt
  ⚔ザリチュZairic
<(善的)動物>善思考ウォフ・マナ/Vohu Manah
  ⚔アカ・マナフ/Aka Manah

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