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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.23] ■■■
[326][私説]親仏教だが心情的反仏教という矛盾
「古事記」では、仏教についてなにも触れていないが、それは神学的な書としたいが故ではないし、日本国の信仰ではないから国粋的な観点から排除した訳でもないと思う。

単に、仏教伝来と普及についての見解が、朝廷の主流派・反主流派のどちらとも相容れないものだっただけのこと。もちろん、国教化を進めようとしている仏教勢力が、朝廷の意向に反する話をする訳もなく、太安万侶は自分の立ち位置が、亜流かつ異端であることを、感じ取っており、一切触れないのがベストと判断したのだと思われる。

当代一の知識人として自負していればこそのこと。仏教はインターナショナルな世界構築には不可欠ということは十二分に認識していた筈。
従って、仏教国化に進む兆しが初めて生まれた33代女帝で「古事記」完とすれば、区切りが良いと感じてもいただろう。それ以前の朝廷は基本反仏教だったと言ってもよかろう。仏教国と言えるようになったのは、太安万侶逝去後の45代と考えるべきと思うからだが。(おかしなことだが、「今昔物語集」を読む過程で行き付いた結論でもある。)
[26]継体天皇…草堂@「扶桑略記」
[27〜28]安閑天皇 宣化天皇
[29]欽明天皇…仏像@「日本書紀」
[30〜32]敏達天皇 用明天皇 崇峻天皇
[33]推古天皇…詔 三論
[34〜35/37]舒明天皇 皇極天皇/斉明天皇
[36]孝徳天皇…道昭
[38〜39]天智天皇 弘文天皇
[40]天武天皇…法相 【編纂命】
[41〜43]持統天皇 文武天皇 元明天皇【献】
[44]元正天皇…善無畏 大日経 【太安万侶没】
[45]聖武天皇…華厳
[46/48]孝謙天皇/称徳天皇…鑑真 律
[47]淳仁天皇
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[51]平城天皇…灌頂(空海)
[52]嵯峨天皇…灌頂(空海)
[55]文徳天皇…灌頂(円仁)
(ちなみに、灌頂を受けた唐代皇帝は、玄宗、粛宗、代宗。すべて密教系の不空。)
換言すれば、太安万侶は仏教公伝は重要な節目と見ていないということで、国史や仏教勢力の考え方とは異なるのである。
ここらは、仏教の最初期の浸透は、女性(≒巫女)が担っていたことに気付いていないと、わからないかもしれないが。と言うか、これが感じ取れるかは、センスの問題でもある。
そこらをご理解いただくために、いくつか書いて来た訳だ。・・・つまるところ、王権は男系直系長子継承という儒教の鉄則が貫かれることになってはいるものの、倭には当てはまらないことを描くために、正統系譜を記載していることに感づくかどうか。皇子・皇女は分け隔てなく"王"とされており、わざわざ、性別を読み取ることができないようにしていたりするのだから。
大型前方後円墳の被葬者が女性であってもなんらおかしくない社会であることを、示唆している訳だ。中華帝国のルールに合わせないと、蛮族と見なされるが故の男系社会であることを示そうとの姿勢から来ているのだろうが、妻問い婚や近親婚が奨励されている上に、財産権という観点でも女系が続いていた社会なのだ。ここらを 無視することはできまい。

当然ながら、中華帝国の信仰をママ持ち込むのは不可能。根は反儒教だが、なんでもありの習合型の呪術中心の道教が倭にも存在するという主張しかできないのは当たり前。宗族(同一姓婚姻禁忌)という概念を導入できる訳がないのだから。
  ○天帝…太陽女神とは相容れない。
  ○土地神…概念が同じとは言い切れない。
  ○祖霊(宗族)+死霊(神明・鬼魂)…ここらの定義は許容できまい。血族でも排除されるのだから。
  ○釈奠/舎奠(先聖先師)…宗教の開祖は存在していない。

非公伝仏教はどう見ても、道教類似の呪術型であり、顕教・密教といった区別などなにもなかったと思われるが、公伝仏教は研ぎ澄まされた顕教として入って来た。鎮護仏教として、中華帝国型統治導入の核たるべく存在と顕示したことになる。当然ながら、孔子崇拝を除いた、上記の信仰を取り入れるべく動くことになる。仏教の本質とは無関係と言ってよいだろう。
太安万侶は、このような仏教の動きを、仏教の浸透として描く気にはならなかったということでは。「今昔物語集」が3仏聖を最初に記載している通りで、顕密という流れが生まれた訳ではなく、伝来当初から公伝仏教は"三分の一"に過ぎない存在なのである。
社会の実態は国史とは違うから、よくよく考えた方がよいゾ、が「古事記」の主張ということになろう。

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