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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.24] ■■■
[327]535年3月13日崩御後の記憶
"廣國押建金日王/[27]安閑天皇@勾之金箸宮は御子が無く、乙卯年(535年)3月13日崩御され、河内之古市高屋村の御陵に埋葬された。"・・・これだけの記述しかないが、この年には世界的によく知られたクラカタウ@インドネシア スンダ海峡の大噴火が発生したとされる。
この結果、全球的規模での気象異変が発生したとの推測が遍く知られている。[David Keys:「Catastrophe: An Investigation into the Origins of the Modern World」]

とは言え、あくまでも仮説であり、どこまで信用できるかは、なんとも言い難し。これが引き金となって社会体制も大変動をきたしたというストーリーになっており、時宜を踏まえて企画された、ジャーナリスティックな読み物と考えてよさそう。社会不安が高まると新興宗教の勃興と権力集中が始まるとのドグマで貫かれた書と言うことになろう。

著者の見立てによれば、この頃、朝鮮半島では最悪の大被害を被っており、日本も大きな影響を受けたので、それが仏教伝来に繋がったことになる。

マ、ありえないことでもなさそうである。
天変地異が発生したりすれば、大陸北方では能力喪失したシャーマンのミスが原因とされがちだし、中華帝国では今上天子が天帝の怒りをかったと解釈され王朝転換は必至になりかねまい。倭国も似た状況に陥ったとすれば、即位したての28代は、朝廷内の騒然とした雰囲気のなかで力を失っていったかも。

しかしながら、「古事記」では、弟 小廣國押楯命/[28]宣化天皇@檜坰之廬入野宮が皇位継承したに過ぎず、ことも無し。
(David Keys流だと、安閑⇒宣化は、安穏とした世情から緊急事態宣言発令的[厳寒+飢餓]な変化発生となる。)
華北や朝鮮半島はもともとの寒冷化傾向にさらなる追い打ちとなって悲惨な状況を呈したようだが、暖流に囲われた日本列島での影響は相対的には小さかったのだろう。備蓄穀物争奪は発生しただろうが。

それよりは、飢餓に見舞われた半島から、桁違いの数の高等難民が押し寄せて来たことの方が、社会に対するインパクトが大きかったのではなかろうか。
ただ、それは人的流入が急加速したに過ぎまい。
中華帝国から半島に半ば亡命的に皇統難民が入り込み、さらに半島から日本列島へというだけのこと。その力を使ってと統治の質を上げていったことは、ずっと前の天皇段で記載されている訳で。

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