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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.9] ■■■
[585]「古事記」聖典論には一理あり
「古事記」成立なくしては、現代日本語もなかったと思って間違いない。

日本国の識字率が高かった理由も、ひとえに「古事記」の表記の柔軟性にあると云ってもよいのではないか。

太安万侶がインターナショナルなものの見方ができていたが故に、❶天竺(梵語)、❷震旦(漢語)、❸本朝(倭語)という世界の三国観を確立していたということでもある。インテリの凄さと云わざるをえない。

極東の辺境島嶼地域で、文化の吹き溜まり現象だらけというのに、言語については、そのお蔭かハイブリッド化が行われたために完璧な独自性が発揮されてしまったのである。
ただ、非日本語圏の人々からすると、特異な様々な文字を駆使する不思議な人々の言語ということになろう。
そう感じさせたのは最近のニュースを眺めてのこと。

【漫画家 小林眞理子さんがタイのお洒落なカフェで見かけた卓上POPの話】
日の丸と「廾ロエ匚廾ム」に近そうに映る、縦書きの、見かけない文字列が書かれていたという。よくある嘘っぽい日本語の一種と見て、当初は、ホムナコサムかサロイコサム辺りだろうと踏んだようだが、それにしては可笑しいということで、考えていて、ついに解読。"MATCHA"(抹茶)という記載を見つけたことが切っ掛けで、独自アルファベット表記であることが判明。(news source:ねとらぼ)廾=M、ロ=A、エ=T、匚=C、廾=H、ム=Aということになるようだ。
この話から、「モレモ匚ナ」とか「ム乃匚ワカ」としか読みようが無い、ELECTROHARMONIX FONT[By Raymond Larabie]というゲーム用フォントを想い起させるとの意見もある。(source:blogfonts.com)

これでわかるが、五十音とは、音素表記をするという点では、確かにアルファベット的。しかし、その一方で、表音文字化の道を歩む漢語と違って、表意的漢字語彙を一貫して護持し続けており、訳のわからぬ言語と見なされておかしくない。ところが、その割には、入門程度なら、障壁は思っているよりずっと低いという、実にユニークな言語なのである。
しかも、どうも中華帝国や、宗教国家が行ってきた言語統一という荒波の結果生まれたものではなさそうなのだ。常識的にはありえそうにないが、もしそうだとすると、類稀なる方法での言語的統一ということになる。

ともあれ、言語表記については、世界の三国観が成り立っているのは間違いない。📖経典文字に抗してきた日本語
❶【音素文字】
   子音のみ「アブジャド」…文字自体が信仰の象徴
   子音と母音「アルファベット」…経典伝播用文字
   子音-母音付加記号「アブギダ」…文字は呪術的信仰の象徴
❷【表意文節文字】
   文字無変化(読みは王権により一義的だが自由)
❸【ハイブリッド(母音尾文字)

「古事記」はどう見ても倭的叙事詩の文字化だが、最古の書籍ということもあろうが、ハイブリッド表記を提起した書でもある。この結果、この精神を受け継ぎながら現代日本語に至ったということになろう。
その割には、王権・神権の双方からずっと忘れ去られた存在であり続けた。結局のところ、国粋主義の看板と化したようだが、内容そのものは漢文の国史と似ているから、そのコンテキストは明瞭ではない。
❶は神権の存在と切っても切れぬ関係があるし、❷は言語が統治権と密接なかかわりがある。(中華帝国にとっては国史作成こそが、王権の正統性そのもの。)❸の「古事記」は両者とは、随分と異なるのである。しかし、こうして並べるなら、ハイブリットたる「古事記」は神権と王権の聖典ということにならざるを得まい。江戸期の国学ブーム以前からすれば、そのような扱いがされたとはとうてい思えないものの。

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