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■■■ 「古事記」解釈 [2022.9.19] ■■■
[626]「古事記序文講義」(5:中華帝国的祭祀)
「皇道の本源」イデオローグの説をバラバラと眺めて来たが、
  📖1:感想+序原文
  📖2:叙事詩か否か
  📖3:本質論は正調漢文で
  📖4:皇后 or 帝王
中華帝国正調漢文でしか、<古事記の本質>を確認するしかないという事実を直視する必要があろう。
換言すれば、「國家統治上の口誦的傳承」をどの様に組織したのか考える必要があるということになる。そこらについて。・・・

自然な解釈としては、天武天皇自らが旗を振ったということになろう。
序文からすると、太安万侶がそれを司ったようにも見えるが、「國家統治上」の観点とは言いかねる話を積極的に収録しているとしか思えないから、おそらく冷静に詔に対応しただけと思われる。
と云うことで、皇室が係わる祭祀の「口誦傳承」=叙事詩をできるだけママ収録するように努めたのだろうが、その一方で<天武天皇の編纂方針>に完璧に応えた記載になっているのは間違いなかろう。

そう考えて、あらためて、「古事記」を読み直すと成程感が沸々とわき上がってくる。
要するに、<天武天皇の編纂方針>とは、中華帝国に倣って日本国の統治基盤を整備するにあたって、根拠となる「口誦傳承」を再編成することに尽きる。そこまでしなければならないとの時代認識があったことになる。
(社会的には、熱狂的中華帝国模倣が進んでいたことになろうが、文明開化時期を考えれば驚くような話ではない。それは、開国阻止を掲げる攘夷派が西洋文化模倣推進者と化した点から見て、実態としてはクーデターでしかないが、社会的な大変動を引き起こすことになった。中華帝国にしても、日本国に敗れ、全面的な日本文化模倣を始めることで、清王朝打倒を実現し、新たな独裁体制を実現した訳で。ほとんどの政治・経済・思想用語は日本語だろう。儒教国なので、その辺りの歴史はすべて消し去られているだろうが。)
もちろん、そこまでするのは、中華帝国の本質もよくわかっていたからにほかなるまい。その統治基盤とは、古代から現代迄、儒教ベースの2本柱からなっている。1本目は天子の軍隊の力を圧倒的なものにすること。もう一本は天子が祭祀を差配する仕組みを樹立すること。
「古事記」とは、後者の根幹となるべき書ということになろう。

そうなると、中華帝国の統治に係る重要な祭祀とは何かということになるが、王朝毎に微妙に定義が変わるし、皇帝お気に入りのお抱え官僚の意向で異なる行儀が取り入れられたりするので、辞書引きでは本質が見えなくなりかねず、素人には分かり難い分野である。しかし、それなりに想定できないこともなさそうので、考えてみることにした。・・・

とりあえず、「禮記」ということになるが、4祭祀名(禘・郊・宗・祖)が記載されている。[巻二十三 祭法]
それは春夏秋冬の祭祀とされているが、<禘嘗>が核だったようだ。[巻二十五 祭統]
  凡祭有四時:
  春祭曰礿 夏祭曰禘 秋祭曰嘗 冬祭曰烝
  礿禘陽義也 嘗烝陰義也
  禘者陽之盛也 嘗者陰之盛也
  故曰:「莫重於<禘嘗>」
    古者:於禘也 發爵賜服 順陽義也
      於嘗也 出田邑 發秋政 順陰義也
    故《記》曰:「嘗之日 發公室 示賞也」
      草艾則墨 未發秋政 則民弗敢草也

 それぞれの意味も記述されている。[巻三十一 中庸]
  郊社之禮 所以事上帝也
  宗廟之禮 所以祀乎其先也
  明乎郊社之禮 <禘嘗之義> 治國其如示諸掌乎

さらに、明堂が常設大廟として加わる。[巻十四 明堂]ママ
  夏礿 秋嘗 冬烝 春社 秋省而遂大蠟 天子之祭也
    大廟 天子明堂


これだけではさっぱり見えてこないし、事典の記載も1王朝の例なのでバラバラで埒があかぬが、眺めた印象からすると、こういうことではなかろうか。・・・
<禘>…天子のみの祭祀@野外の圓丘(最高~ 臭天上帝)-冬至
<郊>…
   南郊天壇-(天より受命/皇天)@冬至(&正月)
   北郊地壇-(地祇/后土)方丘@夏至
<宗>…太廟(皇帝祖)@東
<祖>…明堂(五帝=最高神泰一を補佐する天神)
その他の壇:
  社稷(土地・農) 日・月 ~農(医) 太歳(暦) 先蚕
その他の廟:
  太清宮(聖廟) 文(孔子) 武(関羽)

これでは、倭に当て嵌めるのは無理筋。日神や稷(穀)神は天子が奉じる対象のランクではないからだし、最高~という概念が欠落しており、超氏族・超歴史の宇宙絶対~信仰が存在していないからである。
しかし、天皇親祭の祭祀は不可欠である。

そこで、律令国家に不可欠な最重要祭祀として設定されたのが<大嘗祭>と考えると、すべてが氷解する。大嘗祭は秘儀であるから、まともな伝承記録があろう筈もないし、その由来がわかる筈もなかろうが、以下のように考えることができそうだ。

○天皇即位公式行事である。
 他の式典との差異が極めて顕著。
  長期間に渡って組織的に準備の上での挙行。
  祭祀の場は特別に設定。
  式典行儀を緻密に規定。
 律令国家最重要祭祀に位置付けられている。
   従って、天武天皇代が初回と見て間違いない。
   (天皇称号使用開始式典)
○大嘗とは、新嘗祭を踏襲した用語と見られている。
 天皇が、神に捧げられた新穀を共食する式次第。
   (新嘗祭のような地場観は排除されている。
     ・・・天皇直属の官田の収穫穀では無い。)
 穀類は稲と粟。
 供犠(獣鳥魚介)は禁忌。

・・・中華帝国の<禘嘗>に当たる日本国の祭祀として、<大嘗>を設定したと考えるべきだろう。

こうして眺めてみると、太安万侶が天武天皇の神学を「古事記」本文に反映させていることがわかってくる。
最高~と規定されている神ではないが、中華帝国の最高神である 泰一/太一/臭天上帝(=天皇大帝)に対応するのが高天原の天御中主神。役割を示唆する話は皆無であり、名前から見ていかにも形而上の存在とみなすしかないが、それは倭の感覚にそぐわない。
そうなると、天を支える御柱と見なすのが一番しっくりくる。柱であるから、降臨を実現する神でもある訳で。
中華帝国と違って倭の天皇は、天の受命ありきではなく、皇統譜からくる継承権が即位の根拠である。従って、おそらく即位儀式は、先代の御霊を受け継ぐ祭祀ではないかと思うが、これでは律令国家の根幹である天皇の権威を確認うる儀式というよりは、崩御メモリアルに近くなってしまう。
しかし、天命という観念を接ぎ木する訳にはいかないから、神の「習合」という概念を取り入れたように見える。
高天原を統治している、天孫を支えた高木神、あるいは祖である天照大御神が、天御中主神を介して大嘗祭の場に降臨し、天皇と習合することで即位が完結するのではあるまいか。これなら、中華帝国の<禘>と類似な祭祀になるからだ。

【考え方】
儒教は祭祀の峻別について細かく規定せざるをえない宗教。しかし、宗族社会の安定第一主義なので世俗的には合理主義を貫くことになり、典儀は王朝というか天子の意向に沿っていかようにも。権威が高まると思えば、廃止統合や煩雑化もまったく厭わない。伝承を重視している訳ではなく、見かけ、祭祀の伝統が持続していればなんら問題は無い。それに合致する理屈を創出すれば、宗族社会はさらに強化されると考えるからだ。ここらは、合理主義が苦手な倭の体質とは180度違うので気を付けた方がよい。
上記の4祭祀にしても、コンセプトはゴチャゴチャにならざるを得ず、勝手に整理した方がその考え方が見えて来ることになる。・・・
最高~はあくまでも天の唯一の神。ところが、5帝を祖として敬う勢力もおり、帝国化するにはここにヒエラルキーを持ち込むしかない。つまり、どの宗族にとっても祖ではない最高神を持ち込む必要がある。そして、5帝を含め、一括して天神とし、これ以外の神は、下位の天神か地場に根付く地祇というカテゴリーで扱われることになる。このうち、帝国統治機能に関係すると考える神の場合は、その重要性に応じて天神内の官僚的地位が与えられることになる。それ以外は地祇ということに。
最高国家祭祀は、言うまでもなく、最高~からの受命での皇帝即位儀式。当然ながら、帝国内のすべての神々が受命を祝福する必要があり、祭祀では天子の答礼が行なわれることになる。
その後は、機能神と地祇は一般祭祀の対象となるが、天子の統括の下で、帝国経営上の結節点たるべき時期に行われることになる。神権掌握のためにすべての儀典が整備されることになり、ここから除外される神の存在は否定されることになるが、一般的には取り込みを旨としている筈だ。
一方、宗族祭祀は各宗族がとりおこなうべきものだが、皇帝の宗族は特別であり、即位儀式と無縁という訳にはいかないので、取り込み方はいかようにも。ご都合主義的に行われることになろう。
と云うのは、皇帝にしても、祖の規定も厄介な問題となりかねない。王朝開基王しかあり得ないなら考える必要がないが、現実に敬われている、遠い昔のトーテムに近い祖先や、有史のお家を繁栄させた祖も存在するので、そう簡単に決めることができる訳ではない。分岐一族の宗祖の位置付けもあるし。結局のところ、当該王朝編纂の国史上の位置付けで身分が確定することになる。これは皇族に限らない。

「古事記」は天皇命でここらの問題に取り組んだことになろう。


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