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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.30] ■■■
[677] ユーラシア古代文明の残渣[5]前アーリア文化を想う
話の流れで、ここで、印度について、少し触れておきたい。
4大文明論では、印度と書くとインダス[Sindhu⇒Hindu]を指すことになってしまうが、その地域に侵略したとされるアーリア人がその後北インド地域で王国を樹立していったことを指している。ここではアハハ論なので、インダス=プレ印度文明ということで、前アーリア文化としている。イメージ的には、哲学や宇宙論創出前といったところ。

・・・それが、「古事記」とどうかかわるのかとなろうが、読んでいるうちにわかるかも。イヤー、馬鹿げているから、わからないだろうナ。

そこらについて語る前に、誤謬を未だに堅持している<4大文明論>の考え方を書いておこう。・・・
ほぼ同時期に、温暖地域にある大河の周囲で農耕が発達し、余剰生産物が生まれて人口が増大し、文字<象形 楔形 印章 甲骨>が発明され、ついには冶金(青銅)が始まったいう論理。結果的に、専門職業組織††が編成され、統治のヒエラルキーが実現することになる。常識的には、それに伴って、祭祀(神権)・軍事の体制も同時に整備され、衣類装身具類の工芸品化や、兵器の高度化が付随することになる。従って画期であると考える訳だ。

このうち、インダス[Sindhu⇒Hindu]文明は、遺跡の数が2000〜2500のレベルを越え、増え続ける一方の状況。それなら、全容が見えてもよさそうに思うが、発掘調査は一部で行われているだけだし、その情報もほとんど伝わってこないため、全く逆である。はたして、これら遺跡群に共通性ありと言えるのかさえ、はなはだ心もとないものがある。
[]インダス文字は未解読。例外的に粘土板も出土したらしいが、印章だらけであり、文章になっているとは思えず、記号の可能性もあろう。写真を見た素人の正直な印象からすれば所属邑が記載された携帯ID証だろう。
[††]出土する土器・石器は手が込んだ製作品であり技能レベルが高い職人が存在していたことになる。


計画的で整然とした大都市が出現しているから、王宮や神殿があってしかるべきとなるが、発見されていない。目立つ建造物はなんと大浴場。大規模遺跡なのに、そこには奴隷階層が存在していた痕跡が見つかっていない。さらに、遺跡群を眺めると、信仰が統一されていなかったことが一目瞭然。
これでは、実態を語りようがあるまい。

しかるに、広域†††に渡っており、帝国と呼びたくなるほど。(ラーキーガリー カーリーバンガン ハラッパ カンヴェリワーラー モヘンジョダロ ドーラ―ヴィーラ―)
[†††]南北ほぼ1600〜1800Kmで、沿海部は東西1000Km程度あるし、内陸部はさらに東に400〜500Kmはありそう。・・・日本列島を思わせる広さ。
なかでも、有名な出土品が、カーネリアン/紅玉髄(グジャラート州産出)・アゲート/瑪瑙のビーズ。交易品らしいが、高度な地域分業製造体制が敷かれており、採掘業⇒輸送業⇒加工業⇒頒布業と、超広域異言語間での仕組みが構築されていたのは間違いない。文献からメソポタミアが交易関係を構築していたことがわかっているし、オマーンで印章が出土しているから、海上交易圏もとてつもなく広い。しかも、マイクロビーズの場合だと、通し糸は出自不明の絹製であり、陸路での四川地区との交流を思わせるが、ここらはなんとも。

さらに、遺跡の数が増えるに従って、大河の恩恵なき丘陵地域の繁栄も見えてきた。一般に、インダス農業には灌漑施設が無いらしいから、山麓部扇状地で毎年多雨期に生じる流出土壌依存の冬作農業の大型邑が沢山あったことになろう。

さて、それで。

ここで、突然、脈絡なく、仮説を持ち出したい。

この地にはいくつかの国家があった。
しかし、同じ部族(民族)でも国は異なったり、複数民族(大規模職業人の併存)だったり。
国内でさえ言語は多様だったが、隣合う地区ではバイリンガル状態がかなり多かった。そのほかに、比較的共通に使われる国の言葉があったし、国家横断的な言葉も。

・・・要するに、インダスは言語も民族も多様性に富んだ地域だったと見る訳だ。
そう書くと、ついつい、フラグメントなバラバラ状態と思ってしまうが実は逆。国史が存在する場合、国家=民族=言語が当たり前で、これが崩れると潜在的に紛争勃発との見方が普通だが、理屈からすれば非国史国家もあっておかしくないのでは。(原始共産社会はあり得る訳がないが、専制でない体制もありえよう。経済的に豊かで自立でき、交易が柱の多宗教複数民族小国家の広域連合体はありえそうだから。円熟した文化を見せてくれたソグドのオアシス国家群はその様な社会を形成していた様に思われる。)
つまり、この三つ揃えにならない(国家≠民族≠言語)のに紛争発生せずの地、と言うこと。無文字社会では、当たり前に存在していたのでは、と思ったりするのだが。
・・・夢想に見えて、理解不能かナ。
そうなるのは、無文字社会は辺境という思い込みがあるので、交流薄き社会と断じてしまうから。多様な風習と訳のわからぬ言語の密集地帯が存在していていると考えると突然異なる風景が現れる。

小生は、「古事記」はその様な観念を呼び起こす書と見たので、こんなことを書いてみたくなったのである。その辺りについては別稿で。

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