→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.14] ■■■
🪞[848a]参考「水鏡」[序]訳
物忌み年、正月過ぎて二月の初午の日、龍蓋寺(明日香 岡寺)に参詣。
やがてそこより、初瀬(長谷寺)に、黄昏時に参り着きました。
高齢にて、大層疲れを覚え、師の許で、しばらく休息。
ついつい微睡んでしまいました。
初夜(20:00)の鐘の音に驚かされまして、菩薩の御前に参って終夜祈願。
辺りはすっかり静まり返り、34〜35歳に見える修行者が
お経を大変に有難がって読んでおりました、
側に居ましたので、
「何と申すお方で、何処から参られましたか?
 読経して頂きましたので、お尋ねするのですが。」
と言いますと、
この修行者が言うには、
「何処と定めた場所はございません。
 少し物心付きましてから後、この十年余というもの、
 世の有様を見れば、平穏な心で過ごせる訳もなく、
 人真似で、もしかすれば来世は助かるのではと、
 この様に迷い歩いているだけでございます。」
と言いました。
「誠に、素晴らしい思いでございますね。
 誰もが、ことわりを考えて、来世を願うのでございますが、
 踏み切れず、まことに愚かなこと。
 この尼が、今もって、世に居られるのも不思議ではございますが、
 今日明日とも知れず、今年で七十三を数えることになりました。
 (大厄の)33を過ぎるのも難しいと、人相師などが申しましたので、
 岡寺は厄を転じる(ご利益あり)と聞いて、詣で始めまして、
 物忌みの年毎に、二月の初午の日に御参詣して参りました。
 まさに、その霊験で、今まで世に永らえて来ることができました。
 今年は慎しむべき年でございますから、参詣する身にとりましては、
 おかしなことですが、今になって、命は惜しくないと思うように。
 長年の参詣もあることなので、そのまま、この御寺にも参詣しようと、
 思い立って参ったのでございます。
 この御寺では、
 ただひたすら、来世に助けて頂ける善知識(立派な僧)に会わせて下さいと、
 申しておりました。
 この様に、潔く、来世を願うお人に会うことができましたのは、
 しかるべきご利益でございましょう。
 厭世のお人と云っても、
 自ら話しかける人もないのでは、頼りなきご気分になるでしょう。
 この尼も、ひたすらに、(貴僧を)我が子と思うことにいたしましょう。
 又、必ず善知識(立派な僧)とお成りになるように。」
と言うと、
修行者は、
「大変に嬉しいこと。
 今日から、その様にお頼みすることにいたしましょう。」
と言うことで、
又、経を読んで、いよいよ完了する頃、
「後夜も過ぎまして、わたくしも修行者も眠くなりましたから、
 修行をしてきた物語をして下さい。
 そうすれば、目も覚めましょうし。
 大峰葛城などでは、尊き事も、また恐しい事ことにも逢うということですから、
 何事かありましたでしょう。」
と問うと、
「数年の間には、さしたる事はございませんでしたが、
 一昨年の秋、葛城で不思議な事に逢いました。
 いつもより心が澄み渡り、しみじみと感じて、誦経しておりますと、
 谷の方より人の気配。
 参詣人がおいでになり、恐ろし気な何者かと思いながらも、誦経を続けていました。
 それは、九月上旬十日頃の事でした。
 月の入り方になる頃、かすかにその姿を見ましたが、翁の姿をしておりました。
 みすぼらしく痩せこけており、まるで神のようで、
 藤の皮を編んで衣にし、竹の杖を突きながらやって来たのです。
 ようやくにして、側に座って言うには、
 ≪お経が大変に尊いので、詣で来た。≫と言う。
 うす気味悪く感じましたが、鬼魅の姿ではございませんので、
 仙人と云う者では、と思いながら、誦経していましたが、
 (法華経)八巻の終わりでしたので、
 又、再び、一部を誦経し、聞かせると、
 この仙人は喜んで、
 ≪修行する人は多く居るが、まことに仏道に心している様に見え、尊いことに思える。
  どの様な事があって、ご起心なされたのか。≫
 と、問われたので、先に申した様に申したのですが、
 仙人はこれを聞いて、
 ≪大変に立派な事。
  大方の者は、今の世をはかなみてしまい、
  昔はこんなことなど無かったと浅知恵で考えてしまう。
  世の三界(生⇔死の往来)を、すべからく、厭世すべきものだと考えるべきでない。
  眼前の世の有様も、この時代に従って、ともあれ、そうなっているに過ぎない。
  昔を褒め、今を謗るべきでは無い。
  神代から、この葛城・吉野山などを住処として来て、
  時々は姿を隠して、
  都の有様も、諸国に至るまで、見聞きして過ごして来たのだから、(そう言える。)
  つまらぬ事ではあるものの、
  誦経頂いた喜びの余り、
  ただただ目の前の事ばかり謗る心境に至り、
  昔はこの様なことは無かったと申すのでは。
  一筋の見方に心が囚われている方に聞かせることができたら、
  一分の執心さえも失って、仏道に進む者となるだろうに。
  神世より見て来たことを、順繰りに、話してあげよう。≫
 と申したのです。

 ≪(それは)大変に嬉しいこと。
  生年二十ほど迄は、男の真似をして、世に立ちて交わっておろました。
  しかし、たいして、昔の事を考えることはありませんでしたから。
  ただただ、遊び戯れておりまして、
  夜を明かし、日を暮らしてばかりで過ごしていました。
  近頃の事などを、人が語り伝え申すを聞くに、
  この世の中はどうしてこんなになっているのかと、
  事ある毎に、悲哀感を覚え、仏道に入ったのです。
  従って、人と同じ様に、おしなべて、世を謗る罪も犯していることでしょう。
  どうか、お話下さい。承りたいと存じます。≫
 と言うと、
 ≪そうなると、この世の有様だけではなく、仏教経典にも疎いのだろう。
  詳細を申そう。
  話してやろう。
  生死は車輪の如くで、始まっては終わり、終わっては始まりと、
  何時始まり、何時終わりという事ではない。
  -----
  先ずは、【劫】の有様を申しておこう。
  そうすれば、世の成り行きも同じ有様であると知ることができる。
  人の命は八万歳だが、百年毎に、一年の命を縮め縮めて、
  十歳になるまでを一小劫と申す。
  そして、十歳より、百年毎に一年の命を添えると、八万歳になる。
  (こちらも、)一小劫と呼ぶ。
  この二つの小劫を合わせ、一中劫と申す。
  --
  さて、世の始まる時を【成劫】と申すが、この中劫と申すものを二十繰り返したもの。
  その初めの一劫の始めには、まったくもって世の中などなく、
  空の如きもので、山河などが出来て、こうして世間が出来上がる。
  今、十九劫には、極光浄天より、一人の天人が生まれて大梵王(創造主)となる。
  その後、だんだんと、下位の者が生まれ、
  次に人が生まれ、餓鬼・畜生が生で来て、最後に、地獄が出来る。
  こうして、成劫二十劫が究極を迎える。
  ここに、世間も有情も成立することになるので、成劫と申す。
  --
  次に【住劫】と申して、又、二十の中劫のほどを過ごすことに。
  但し。初めの一劫は、人の命は、次第に劣減するばかりで、増えることはない。
  ということで、住劫の初めの人の命は八万歳ではなく、無量歳。
  そこから十歳までになる。
  そうなると、その間は、一中劫。
  第二の劫より十九の劫までは、先に申した様に、
  八万歳より十歳になり、十歳より八万歳になる。
  劫毎にこの様になる。
  そして、第二十の劫は、十歳より八万歳まで、増える一方で、減ることはない。
  これも、過ぎて行く間は一中劫。
  天より地獄まで、成劫で出来たものが揃って、有情も在る状況に。
  ということで、住劫と申す。
  --
  次に【壊劫】と申して、この間も二十中劫。
  初めの十九劫は、地獄を始めとして、有情は皆失せる。
  この"失せる"と申すのは、何処へと失せることではない。
  しかるべく、天上へと生まれることになる。
  但し、地獄の業が尚尽きぬ衆生の場合は、異なる三千界の地獄へと
  しばらく移ることに。
  こうして、第二十度目の劫に、火が出現し、下には風輪の風が吹き、
  遥か上の梵天まで、山川も何もかもが、焼け失せてしまう。
  この様に、破れてしまうので、壊劫と申す。
  --
  次に【空劫】と申し、又、二十中劫。
  世の中に何もなくて、大空の様に過ぎて行く。
  空しいので、空劫と申す。
  --
  この【成住壊空の四劫】を経るに、八十中劫を過ごすとされている。
  これを一の大劫と申す。
  この様にして、終わってはまた始まり、終わってはまた始まりと、
  何時を限りというものはない。
  かくの如きで、水火風災など起こるもの。長くなったのでこれ以上申さぬが。
  この【住劫】と申す時に、仏は世に出現された。
  その間に、人命が伸びていたなら、楽しみ奢れた心しか無いから、
  教えが広まることはないので、仏が出現されることはなかっただろう。
  命が短くなり、物の悲哀をも知ってしまえば、
  教えに従うだろうから、仏は出さ現れたのである。
  この住劫においては、初めの八度の劫には、仏は出現されなかった。
  第九の減劫に七仏が出現された。
  釈迦が出現されたのは、人の命が百歳の時。
  第九の減劫もほとんど末になっての出現。
  第十の減劫の初めに、弥勒が出現された。
  第十五の減劫に、九百九十四仏が出現れすることになる。
  かくの如きで、世に従い、人の命も果報も定まっている。
  -----
  世の中全般としてはそういうもの。
  この日本国にとっても、又、遥か昔は、事は定まっておらず、
  従って、この頃の事に似た事もあった。
  仏法伝来、因果律を知るようになって、ようやく国は静まりかえったのだが、
  名残りでもあり、世紀末になると、仏法も滅んでしまうから、
  世の有様が悪くなるのは理の定めである。
  従って、良い悪いと定める意味はない。
  しかれども、ことさらに、世がなくなるなどと欺いて、思ったりしてはならぬ。
  --
  万寿の頃(平安中期)に、世継と申す物知りの翁がいたが(@「大鏡」)
  [55]文徳天皇より後のことを、明らかにして、申しただけ。
  それ以前は、遠い昔の伝聞ということで、話しをしなかった。
  世の中をすべて知らずは、片趣だから、今の世を謗る心地になるだろうが、罪にあたる。
  眼前の事を昔とは違うとは、世を知らぬ人の申すこと。
  かの嘉祥三年(850)より前のことを、順繰りに申そう。
  先ず、神世七代。
  その後、伊勢太神宮の御世より、顱草葺不合尊までが五代。
  合わせて十二代の事は、言葉に表して申すのも畏れ多い。
  (従って、)神武天皇から申し上げることにする。
  その帝が、即位された辛酉の年から
  嘉祥三年庚午の年まで、千五百二十二年になるだろう。
  その間に、天皇は五十四代。
  (と言うことで、)先ずは神武天皇より。≫
 と言って、話を続けたのです。



 (C) 2024 RandDManagement.com  →HOME