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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.10] ■■■
[855]読み方[25]
「水鏡」の一瞥をお勧めしているのは、「古事記」に触れていると、それなりの気付きが得られるから。
その4つ目。・・・

「水鏡」では、木梨之輕太子と伊呂妹輕大郎女の許されざる恋路譚が収録されていない。仏教的観点で、どう扱うか興味深々だったので残念至極。
しかし、欠落自体にメッセージ性があり、太安万侶に一目置いていることがわかる。ここらは、注意が必要なので、老爺心ながら余計な一言:
前頁[23/24]の話になるが、雄略天皇の暴虐性は国史で詳細に描写されている。従って、わざわざ「水鏡」を持ち出す必要などなからうに、とは考えないで欲しい。(極めて重要な姿勢だが、いくら説明されても意味が分らない人の方が多かろう。これは知識の問題ではないから、致し方ない。)事績を組織的にできる限り集積して、比類なき大部状況にすることで(代替書登場を阻止できる。)、王朝正統性を世に誇れる内容に仕上げた書が史書。一方、「水鏡」の様な"個人"の思念に基づいて編纂されている書は、たとえ取り上げた事績の内容が同一に映っても、文脈上、似て非なる意味付けがなされていてもおかしくない。従って、反国史を標榜していないなら、国史との比較はできる限り避けた方がよい。
要するに、国史を参考にするメリットより、デメリットの方がとてつもなく多くなってしまいかねない、と言う事。
もっとも、非国史の書を端切れ加工し、その断片情報を、one of them的に扱って、国史の補完事項として注記するなら、それはそれ、国史の唯一無二性向上になる訳だから、その価値は十分過ぎるほどある。


さて、その「水鏡」だが、允恭天皇第二皇子である安康天皇は、≪甲午の年十月に御兄の東宮(允恭天皇第一皇子)を失ひ奉りて、十二月十四日に位には即きたまひしなり。≫とあり、皇嗣を殺害して即位したことになる。
近親婚禁忌問題で皇位継承ならず、流されて、共に自死という結末を迎えてしまう、太安万侶の力作たる歌物語の存在を感じさせる様な一言も無い、📖[私説]「軽物語」は極めて非大衆的
そこで、実は、成程感を覚えることになる。

よく読めば、≪百官天下人等背輕太子≫の直接原因は禁忌姦淫では無いということ。

木梨之輕太子は日繼の地位を固めていたが、天皇崩御で空位となった時点で、よりもよって禁忌破りを行ったから、背輕太子のムード一色になったということは間違いではない。しかし、実はそういうことではない。
皇子は、望んでいた禁忌姦通を実現できる喜びを、隠さず正直に歌に詠んで自ら公表するという"うつけ者"。それが分かってしまったということ。
朝廷組織を強固にしていくために頂点に立って活動すべき天皇が、そんな政事より、美しい同腹妹との愛が最重要と宣言したも同然だから、廃太子しかなかろうとなるのは極く自然。

百官から支持され即位したらしい、安康天皇とは、地位と女の獲得という欲望で生きる性情丸出しというのが「水鏡」の見立てか。


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