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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.11] ■■■
[856]読み方[26]
「水鏡」の一瞥をお勧めしているのは、「古事記」に触れていると、それなりの気付きが得られるから。
その5つ目。・・・

なんといっても、≪仁≫の政治譚での、歌の有無の違いが大きい。

言うまでもないが、儒教概念の倭歌が存在していた筈がなかろう。
「古事記」㊦⑯大雀命⓸登高山見四方之國
 於是 天皇 登高山 見四方之國
 詔之
 「於國中 烟不發 國皆貧窮
   故 自今至三年 悉 除人民之課伇」
    :
  後見國中 於國滿烟
   故 爲人民富今科課伇
      是以百姓之榮 不苦伇使
   故 稱其御世 謂"聖帝世" 也

儒教が基盤の中華帝国では、民が食べられなくなると、革命直結。だからといって、天子に、民の生活向上とか全般的経済に関心がある訳ではない。
宗族第一主義の社会であるから、中央政権に反旗を翻すチャンスを狙う軍事勢力だらけであり、それをいかに抑えむか、その力を利用して、どの様に帝国覇権域拡大に繋げるかが、第一義的な課題。それによって、宮廷が繁栄を謳歌できれば万々歳というに過ぎない。

つまり、あくまでも、天子による、専制独裁体制確立の視点からの政治であり、経済的繁栄や民の生活向上を目指している訳ではない。
人民のための政治推進との考え方は、白楽天が典型だと思うが、仏教徒官僚の漢詩の世界と、古代帝王 堯の説話でしか通用していないと考えた方がよかろう。
(現代の常識では、何故に民の竈が底をついたかをはっきりさせることが出発点。大雀命はその辺りの政治感覚が優れていたのは間違いない。作池堀江といった大土木工事を推進したことも特筆もの。)

「水鏡」【第十七代】仁コ天皇
さて、七年と申しし四月に、
又、樓にのぼりて御覽ぜしに、
  民の住処賑ひて御覽ぜられければ、
   帝、詠ませ給ひし。
  高き屋に 登りて見れば 煙立つ
     民のかまどは 賑ひにけり

      [=「新古今和歌集」巻七賀歌巻頭#707 仁徳天皇御製]
       ・・・作者不詳歌誤伝[@刺使]
情緒を重んじるなら漢字としては≪烟≫とすべきだろう。実質的には、民の竈から立ち昇る≪煙≫だから、どうでもよいと言うなかれ。ついでながら、考古学的には竈が普及していなかった時代の話。「水鏡」編纂者がそれを知らない筈はない。
"聖帝世"とされているとの記載もしていない。その代わり、絶賛の言葉を段末に加えている。「水鏡」成立時点で、人々の尊崇対象となっていることがわかる記載といえよう。
 ≪この帝、
  御容 世にすぐれて、
  御心ばへめでたくおはしましき。≫


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