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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.13] ■■■
[858]読み方[28]
「水鏡」の一瞥をお勧めしているのは、「古事記」に触れていると、それなりの気付きが得られるから。
その7つ目。・・・

「古事記」は品太王五孫 ㉖袁本杼命と記載。これでは皇統譜の態をなしていない。
ところが、「水鏡」は、明瞭に【第廿八代】繼體天皇の系譜を示している。
應神天皇第八の御子隼總別皇子と申しき。
  その御子を大迹王と申しき。
    その御子を私斐王と申しき。
     又その御子に彦主人の王と申しし王の子にて、
             この帝はおはしまししなり。
「古事記」は伊波禮玉穗宮のみだが、宮名記載を避ける姿勢が濃厚な「水鏡」は珍しく段末に≪この御時、都遷り三度ありき。≫と。
大和の伊波禮の地に迎えられたのだろうが、何時クーデターが勃発してもおかしくない状況だろうから、御陵が造られた攝津國二島藍野辺りと、出自につながる淡海勢力の地に都を移さねばならない事情があったのだろう。
📖「上宮記」系譜を無視する理由

「古事記」の系譜では、婚姻関係に、三尾、出雲、尾張、息長との名称が表れており、非中央勢力を後背にしていそうな雰囲気だし。
系譜を示すこともできない自称皇族を即位させる訳もなく、その伝承系譜がその後ろ完全消失というのも考えにくい。しかも、正統的な神統譜・皇統譜を作成する目的の書で、天皇の系譜を省略するなどおよそあり得まい。
このことは、「水鏡」あるいは「上宮記」の記載内容に間違いがあることが判明したと考えることはできるかも。遠い昔のことを、今更変更することもできないというだけの話。・・・そうなると、何を間違えたのかということになろうが、この想定は極めて難しい。
どうでもよい、いい加減な与太話ならできないことはないが。


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