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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.17] ■■■
[861]読み方[31]
「水鏡」の一瞥をお勧めしているのは、「古事記」に触れていると、それなりの気付きが得られるから。
その10番目。・・・

「水鏡」は、宮地名に全く関心を払っていない。

天皇は一代毎に新たな宮を造営するのが慣習となっているようで、それは倭国独特のもの。
「古事記」は"○○命坐△△□□宮治天下"が常套句となっている位で、天皇名を宮名で代替することも多かったから、極めて重要な記述と考えてよさそう。それに、その宮専属の舎人集団が編成される以上、宮地名不詳のママにする訳にもいくまい。
もともと、倭の社会からすれば、新宮で即位して当たり前のことで、謎の慣習というべきものではなかろう。・・・
  📖「古事記」が語る歴代遷宮の意味
  📖宮地名への拘り

「扶桑略記」も~功皇后から推古天皇まで、武烈天皇だけは例外のようだが、記載されているのだが、「水鏡」は、原則的に、初代からほとんどの天皇の宮地名を収載していない。以下の例外はあるものの、文脈上記載は必要でもなさそうなので、方針はよくわからない。
履中天皇段:皇子、この事をしらずして宮に火をつけて燒きてき。これは津の國の難波の宮なり。
反正天皇段:位に即き給ひて、次の年十月に都、河內國柴垣の宮に遷りにき。
安閑天皇段:御位に即き給ひて明くる年正月に、都、大和の高市郡に遷りにき。



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