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■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.9] ■■■
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はたして、倭国に、聖書の民や儒教国の様な、国家観や民族的自覚があったのかは、「古事記」を読む限りはさっぱり見えてこない。程度問題であって、まさか欠落していることはなかろう、としがちだが、そう言える根拠は薄弱。

と云っても、新羅進攻に踏み切ったのだから、国家を意識していない筈はない。それに、儒教ももたらされたのだから、その宗族第一主義と天子独裁・革命当然視の彼我の違いに驚かされ、国家の存在を意識せざるを得ないとは思われるが。
ただ、そんな違いがあろうがなかろうが、ここらは無視を決め込むというのが基本姿勢と言えそう。

日本史を学ぶと、神仏習合の社会が長かったとのイメージが出来上がるが、この姿勢を知ると、主体的に統合させようとの結果ではなく、分離したままで、表面上一緒にしただけの可能性が高い。つまり、便宜優先で、雑炊化させただけ。

現代の仏教自体も根幹から変化を遂げている状況がそれを物語るとも言えそう。・・・
あくまでも在家ありきの宗教になったため、戒律と出家という宗教の核を取り除いてしまったし、≪修行第一に徹し、決して葬儀に係るな。それは世俗にまかせよ。≫との釈尊の遺言も無視することに。
但し、100%そうなったかと云えば、そうではない。多元的で非同質な教理が併存しているところが特徴だろう。表面的にはすべてが仏教ではあるものの。
ここらが、日本的と言えそう。

「古事記」は、そうしたの倭国の体質を間接的に明らかにしている。

「古事記」成立後に、「神道」というカテゴリーが仏教対応でできたものの、どう見ても同質な塊であるとは思えない。それはある意味当然。倭国樹立の最初から、政治的に支配すれども、それぞれの信仰はママ継続させて、多様性を容認する姿勢が顕著なのだから。
この根本精神が揺らがないとしたら、仏教が土着の民俗的信仰を駆逐できる訳がなかろう。渡来宗教ができることといえば、民俗的風習として仏教祭祀に取り込む位のもの。要するに、インターナショナル国家としての体裁と云う点を重視せざるを得ない為政者の、圧倒的支持を得て、仏教国化したものの、もともとの多元的信仰姿勢はなにも変わらなかったことになろう。

と云っても、仏教普及の影響は小さなものではなかった。
それが「古事記」からよくわかる。
もともと、地霊の類は、恐ろしい力があり、しばしば、人々に途方もない祟りを与えて来た訳だが、仏~はそれを鎮めることに成功したからだ。社会に安心感をもたらしたのは間違いなさそう。

こんなことをついつい考えてしまうのは、仏教に関しては一切触れないという太安万侶の方針がはなはだ奇異に映るから。


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