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■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.14] ■■■
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「古事記」は、「源氏物語」の様な文芸書としては扱えないので、果たして、世界に誇れる手の書と言えるかはなんとも言い難しのところがある。
成立が712年であり、日本では確かに最古ではあるものの、世界的に見ればとても古代書と呼べるレベルではないからだ。

しかしながら、同時代性という観点で眺めると、桁違いにユニークな書であることは間違いない。712年に入手可能性がありそうないずれの書とも全く似ていないからだ。

それは、漢字表記であっても、中味は口誦倭文であって、漢文ではないという表現上の違いから生じたものとは思えないし、~統譜・皇統譜を記載した書という特殊性に由来しているとも言い難い。

どう考えても、全体構造での類似書は全く存在していないから、参考にした書は無いと見てよいのでは。
・・・こんなことが可能だとすれば、太安万侶の閃きがただならぬものだったと云えそう。

凡人はおろか、能才では逆に、なかなか真意が見えてこないことになろう。
それを踏まえて、自分なりの全体構造観形成を目指すと、実に面白い書である。

と云うのは、専門家の眼から眺めても、おそらく、興味深々の書に映るだろうと思うから。しかし、全体構造観形成を目指している訳ではないから、自ずからじっくり検討したくなる箇所が違ってくる筈。
大雑把に云えば、こうなろうか。・・・
  民俗的視点では
    上巻の雑多・奇異さは特筆モノ。
  民族歴史的視点では
    中巻の征服譚には心を奪われるに違いない。
  文芸的視点では
    下巻満載の歌物語には惹かれて当然。

巻の違いが、こうした異質の感興を呼び起こしているのだが、編纂者は個人であるから、巻毎に全く別な方針で制作されているとは考えにくい。それに、それぞれの巻にしても、その内実を見れば、必ずしも上記の魅力を引き出す様に書かれてはいない箇所が設定されているし。

つまり、編纂者は、この様な一面的な見方で読んで欲しくないと云っているようなもの。
倭の口誦叙事を味わいたいのなら、先ずは、読者なりの全体構造観を確立して欲しいということだろう。

換言すれば、ここに、太安万侶の達観あり。
倭の口誦叙事を<復元>していると云えば、その通りではあるものの、それは詞の綾。
そんなことが可能な訳もなく、8世紀初頭現在の、長い年月、人々に潤色され尽くした伝承譚を再構成しているに過ぎないので、ご注意あれと。

そのガイダンスに従って読めば、「古事記」の素晴らしさが見えてくる筈。(但し、「わあ〜、凄い。」「スッゴク、面白いー。」的感受性から脱したいとのパトスが必要。)


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