→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2024.5.15] ■■■
[889] 10
伊邪那岐命・伊邪那美命は、沼矛を指し下して、≪鹽 コヲロコヲロ-に 畫ナ-シ≫て、淤能碁呂嶋が成る。これが、国生みを始める聖婚の宮地創造の端緒。

古代から、普通にオノマトペを用いていたことがわかる一節といえよう。
  📖オノマトペは倭の体制故の産物 📖オノマトペ補足
ところが、この表現は、新しい時代でも用いられている。・・・

豐樂で粗相し、㉑天皇/大長谷若建命に殺される寸前になってしまった伊勢國之三重婇の機転を利かせた歌でも、≪美那許袁呂許袁呂爾水な コヲロコヲロ-に≫との表現が登場するからだ。

と言うより、天武天皇の時代で、コヲロコヲロは普通に用いるオノマトペ用語だった可能性が高かろう。

逆にいえば、正確には、この言葉はママ古代語かどうかは分からないということ。長い時間をかけて、時代時代の音韻変化を積み重ねた結果、天武天皇代の伝承口誦語のコヲロコヲロとして結実したと見なすのが一番自然だ。

⑯大雀命の歌でも、吾が国見れば 阿波島 "淤能碁呂志摩"と、この島名が引用されており、自ずから凝り固まった嶋という意味の地名として通用していたと見るのは妥当な感じがする。

事物を、文字ではなく、すべて発音だけの言葉で表現していたのだから、ほとんどの語彙は音声による"模倣"だったと云えないこともない。太安万侶が、敢えてこうした言葉に拘っているのは、古代語を彷彿させようとの想いからかも。(ギリシア学問での言語自然論的見方に当たる。)
もしそうだとすれば、萬物を表現するに当たって、その事物の本質、つまり、霊的存在を言葉にしたものが擬態語ということになる。
・・・「古事記」とは、そんなことを、つらつら、想い起させる書である。

倫理社会は100%生徒の発表授業だったが、小生はソクラテス担当。このため、たまたま、今でも多少覚えているに過ぎない。忘却のかなたのことで、間違っているかも知れぬが。


 (C) 2024 RandDManagement.com  →HOME