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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.3] ■■■
[908] 29
和文記述の歴史物語「水鏡」をとりあげたが、特に目立つのはところどころの段の最後に仏教イベント1行記載がある点。仏教観点と言えるが、インターナショナルな時代観を提供するための記述と考えた方がよさそう。全編を貫く思想は、仏教的というよりは、反尚古思想/反儒教の様な印象。
そこらが、「古事記」を引き継いでいると、見なした理由でもある。

ここらは、少々説明が必要かも知れない。

儒教は宗族第一主義の永久不変の経典宗教であるが、その裏にある基本姿勢は、古代の文物・制度を模範とすべしというもの。従って、道徳的規範に基づいた合理性ある決断に見えても、それは現代の様な個人の理性から来る論理ではなく、古代神学的に判断しているに過ぎない。(但し、こうした古代尊崇感覚は儒教だけでなく、中華帝国の思想に広くみられる。言うまでも無く、これは言い方を変えれば反科学そのもの。このため、科学を標榜したい政治勢力はほぼ自動的に批孔的立場を標榜することになる。しかし、それは表面的なもので、天子独裁-官僚統治という仕組みを信奉する以上、同根の思想でしかない。)

太安万侶と稗田阿礼の仕事は徹底しており、天武天皇が儒教教書を用いた中央集権型国家樹立の道をひた走っていることを十分理解していたことは、下巻編纂の状況を見れば明らか。
儒教の本質は周公神学であり、だからこその尚古思想であることも見抜いていた可能性が高い。大物主~祭祀譚と≪聖帝≫記述の項を比較するとそれがよくわかる。・・・
㊥ ❿御眞木入日子印惠命
   ㊁意富多多泥古命
  伇病えやみ さは (に)お-き
  人民おほむたから__ことごとくな-り_
   ㊄初國之御眞木天皇
  ここに 天下あめのしたおほき_たひら-ぎ_人民あをひとくさと-みさか-ゆ
㊦⑯大雀命⓸登高山見四方之國
  くに皆 あまねく貧窮まづ-し

≪聖帝≫観念は儒教の尚古思想ママである点は実はどうでもよい。御眞木入日子印惠命が祭祀を命じて、国家的一大災忌を乗り越えたと言う、天皇の役割の違いも実はたいした問題ではない。
重要なのは、原因同定の方。
大物主~の祟りであれば、それを最高祭祀者たる天皇が、鎮める方策を神言から得たとの話はよくわかる。ところが、政治的決断で賦役免除を行ったということで≪聖帝≫とされるが、どの様な災忌で大困窮が発生したのかについては一切触れていない。例えば、天帝の怒りで低温旱魃を被ったという様な記述が欠けている。これでは、単に、大土木工事だらけで疲弊し過ぎと取る人が出てもおかしくなかろう。


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