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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.9] ■■■
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国史を参照しながら、別書の一つとして読むか、国史の補完資料として活用するのが、「古事記」読みの基本とされていそう。歴史書と見なす以上、それしかない。
従って、"国史を同時に読むな!"という本サイトの姿勢は完璧な異端である。しかし、例外的に、国史の一部に目を通しておくのも悪くない箇所があるので、その話。

それは<天照大御神>関連の箇所。何故かはお察しがつくと思うが、国史を併読すれば、無理矢理解釈を作り出すためにえらく頭を使うことになるからだ。と言っても、併読する以上、それが習い性になっている筈だから、気にならないだろうが。

普通に「古事記」を読めば、天忍穗耳命から~倭伊波禮毘古命へ、さらに豐御食炊屋比賣命まで、多少の乱れは示唆されてはいるものの、一気通貫の皇統譜になっている以上、<天照大御神>が始祖となろう。
さらに、"天照"名称と、対偶誕生神が≪月讀神≫である以上、天岩戸事績の様子から見て、太陽神と見なされて当然だと思う。
加えて、弟の須佐之男命との関係やその対応の振舞いから見て、いかにも姉であり、男神とはしがたい。

儒教の中華帝国型統治を目指している中で、それに適合しにくいことを承知の上で、国史と真っ向から反する、この様なプロフィールを敢えて打ち出しているのは特筆モノ。
このことは、これこそ、「古事記」の生命線とも言える記述と言えるのでは。

ところが、冒頭で述べたプラクティスを金科玉条としていると、そう見なすことはできないので、まさに大問題。(国権で問題視させないことにしてきたのが実情。)

特に厄介なのは、国史では、名称が<天照大御神>ではない日神が別途存在している点。しかも、その名称からすると自然神ではなく太陽神祭祀者を意味していそうな感じもするし、男神である可能性も否定しがたいものがある。これでは、「古事記」での大御神のプロフィールが否定されかねまい。
さらに、問題となるのは、国史記載の血脈上では、<天照大御神>が始祖とは言い難い点。そうなると、「古事記」で大御神と共に登場してくる、高天原最初の3神に位付けられている≪高木神≫を祖とせざるを得なくなる。「古事記」での大御神は父母無し誕生なので、そこで明瞭な血脈的断絶があり、大御神以前の神を始祖とする訳にはいかないから、両書併存はとても無理。

そうなると、「古事記」が示す祖が国史とは違う理由を示す必要性に迫られる。・・・「古事記」のこの部分は天武天皇の潤色であるとでもするしかなくなってしまう。例えば、天照大御神に戦勝祈願して、皇位奪取に成功したから、「古事記」で皇祖に祀り上げたという理屈が登場してくることになる。

実に苦しい解説。潤色としながら、皇祖崇拝に値するような、事績が記載されているとは言い難いからだ。そもそも、大御神の挙動は、圧倒的な地位に就いて、高天原の神々を従えた風情など微塵も感じさせない訳だし。

従って、素人からすれば、論理が逆転しているとしか思えない。
天武天皇は、自ら聴いた伝承を通じて大御神を皇祖と確信していたからこそ、勝利祈願したのでは。それが常識的解釈と思うが。
  続く

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